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ブレインデッド

★★★★


 あまりの冷気に目を覚ますと、窓の外には発砲スチロール片のような雪がちらついていた。はめ殺しの強化窓は脱出者の障壁となれど、冷気はあまり防いではくれない。ライミは爪先をゴシゴシと擦って温める。

 最近の記録的な寒さのせいで、まともな暖房器具もなくホームレスの多いここボ区や最下層キ区では凍死する人間が激増した。一方では、その影響でライミのような尸科技工士(しかぎこうし)は若くて新鮮な死体が格安で手に入るようになっていた。

 倉庫を改装した店は事務室といえど文字通り死ぬほど寒く、ライミは自分も明日にはそうした死体の一つとして市場に流れているかもしれないとよく考える。

 口から魂のように白い溜息が漏れた。


「ま、それも仕方ないか」


 自分の死体がカメリアのように飾られる価値があるとは到底思えなかった。せいぜい色々な肉を寄せ集めた粗悪なツギハギ(カバネ)の一部品か、もしくは玩具(がんぐ)にされるだろう。


「カメリア」


 ソファで膝を抱いて震えているとカメリアが合成珈琲を盆に乗せ、揺れながら持ってきた。エプロンドレスには先程作ったらしい、珈琲の染みがあった。


「ありがと。よく眠れた?」


 (カバネ)に取り付けられたハガーは、余った時間で神経整理・情報整理のための省エネのスリープ状態になる。眼球の乾燥を防ぐため、瞼を閉じる。眠っているようにしか見えない。


「拒否。良い夢を見ました」

「どっちだよ」


 毎朝ライミはこのやり取りをして笑う。


 ポーン。


 昼過ぎになると、巨大な中央エレベーターが開いて上層からの客が降りてくる。両脇には赤い服を着た教会警察が無表情に佇んでいる。

 たった一つしかないこのエレベーター付近は上層客に向けて商売や物乞いをする場所だ。ライミの店はそこより少し奥まった場所にひっそりとある。

 客が回収にやってくると、ライミは男尸(だんし)に命令して立ち上がらせた。身長はライミより遥かに高い。昨晩修理したものだ。

 男尸は生前の癖で始終ゲップをするように唸った。その視線は客ではなく、後ろ――奥で事務をしているカメリアに注がれている。彼女は書類を整理していたが、誰がどう見ても散らかしているだけだ。男尸の熱視線に気付いているのかいないのか、特に反応は無い。


「右目の神経がお腐りになって動きませんでしたから、カメラとお取り替えしました」


 痩せぎすのマダムが興味なさげに、あらそうふうんと頷く。身嗜みの整った上品な佇まいはツナギ姿のライミとは対照的だ。


「そうなのよ、テイ区に行こうとしていた矢先にこれでしょう? 困っちゃって」

「もう大丈夫ですね」


 マダムは数秒固まり、合点がいった様子で一人頷いた。


「ああ、ここは公営放送が入らないものね。ついこの前、テイ区は改装のために立入禁止になっちゃったのよ。エレベーターもテイ区には止まらなくなっちゃって」

「残念ですね」


 ライミは全く心ない返事をしながら、男尸の説明をしていく。


「この子、生前は天然物ばっかりお食べになっていたようですね。だからお腐りになりやすいんです。今回はお身体を防腐液にお浸ししてコーティングさせてもらい、各部に超音波発生器をお埋め込みして防虫処理もさせてもらいましたので大丈夫ですよ」


 女が男尸に歩み寄るが、決して触ろうとはしない。細い首に掛かった大粒真珠のネックレスがざらざらと鳴った。


「ねえ。最近は新しい尸を作った方が修理より安くできるって聞いたのだけど、どうなのかしら」


 ライミは黙って耳のピアスを揉むように弄る。俯きがちにツナギで手を拭いた。


「そうなんですが、申し訳ありませんがウチではできないんですよ」


 ライミは既に兄がカメリアを作った時と同じ十五歳になっていたが、修理程度しかできない。尸を作り出すというのは制御装置(ハガー)を作り出すことと同義だったが、兄の残したノートやメモを開いたところで、そこには独自の抽象的でエキセントリックな用語が並んでいるばかりだった。

 わかったことと言えば、兄の作るハガーやそれによって作成された尸は、上の階層で広まっている技術とは根本から違うということだけだ。


「あらでもこの尸、ここで作ってもらったのよ」

「あ……はは」


 返事に迷ってタイミングを逃したあげく、困った顔で乾いた笑いを漏らす。なにもかもがチグハグだ。


「じゃあこの男尸は兄が作らせて頂いたものですね。今は兄がちょっと行方不明で。全くあの野郎、何処をほっつき歩いてるのか」

「お兄ちゃん、帰ってこないの?」


 女はまじまじと奥のカメリアを見定めている。通常ではありえない失敗ばかりの女尸を。


「あなた一人で大丈夫なの? あんな尸しか作れなくて修理だけでやっていけるの?」


 ぐ、と口許に力が入る。どう言ったものか逡巡して、ライミは軽く目を閉じた。


「大丈夫じゃなければどうなんだ? ヘイ区のあんたがボ区のアンハッピーを助けてくれるのか? どの口が大丈夫かなんて排泄物みたいな台詞をひり出してるのかな? 安寧の位置から心配するふりをして不安を煽るのは犯罪にも等しい行為だからわかったら帰れよ成金欺瞞脱糞ババアが!」


 ロメロならそう物申すだろうと思った。ライミは拳を握って目を開く。足元を行く蛆虫を気づかれないよう踏み潰した。


「あれも兄が作った尸なんですよ……ハハ。や、どうもありがとうございます」


 客が帰った後、ライミは書類を散らかし続けるカメリアに辟易(へきえき)する。今日は特に調子が悪く命令系統が錯綜しているのか、拾ってはすぐに床に捨てている。

 横顔を覗き込めば、人々の注目を集める無駄に整った顔立ち。耳には相変わらず蛆が出入りしている。

 ロメロに愛された唯一の存在にして唯一の失敗作――イヴ・カメリアは今日も黙々と、何を考えているのかわからない。

 ライミは事務机に座り、ツナギに張り付いて乾いた肉片をカリカリと爪の先で削り落とす。


「まだ片付けてるの?」


 反応せず、カメリアはライミを見ない。髪留めの黒いバレッタが鈍い光を反射した。

 兄はカメリアを起動したあの夜から二人だけで離れて暮らし始め、一年も経たず失踪した。ある朝、ライミはカメリアが事務所の前でウロウロしているのを発見した。慌てて二人が暮らしていた小屋に行くと、机に黒いバレッタがあった。その下に美しい文字によるメモ――そもそもボ区の人間で文字を使えることに驚くべきだ――が残されていた。

 イヴ・カメリアへプレゼント、とだけ。

 以来、五歳のライミは十年間、彼女と一緒に暮らしてきた。

 ライミは思案する。

 カメリアの持つ「糸」は少なくとも自分のものより太く、遠い兄へと繋がっているが、自分には誰にも繋がらないあるかなきかの「糸」しかないのだ。

 愛情の所在。誰かに必要とされること。他でもない誰かに。その証明。


「カメリアは兄さんに会いたいの?」


 ライミは傍にあった四角いバッテリーをカチカチと弄りながら、幾度となく繰り返してきた問いを再び呟いた。それは殆ど自己への問いだった。


「兄さんが好き? 嫌い?」


 近寄った影にバッテリーから顔を上げると、カメリアが音もなく立っていた。


「拒否」


 俯いた顔は逆光でライミにはよく見えない。初めての確かな返事は――「好き」ということだった。ライミは頷く。しかしすぐに首を振った。


「でも兄さんは私達を置いて……」


 ふとライミはカメリアのバレッタを見て気付く。違う。置いていかれたのは「私達」ではなく「私」だけだ。


「拒否。良い夢が、良い夢が来た」


 そう言って突然カメリアはバレッタを髪の毛ごと毟り取ると投げ捨てた。それは壁に当たってゴミ箱に入る。まるでスローモーションのように、ライミの瞳には映った。

 ライミは後になっても、どうして自分があんなことをしてしまったのかわからない。カメリアの謎の行動は今に始まった話ではないのだし、実際、ライミの唇はクスリと笑っていつも通り「どっちだよ」と言っていたというのに。

 彼女は思い知る。

 自分には日々の生活で貯まっていく黒いノイズがあるということを。それは無意識へ澱のように積もって心臓(ハート)を圧迫する。

 彼女は思い知るのだ。

 それはいつか確実に臨界が訪れ、ふとある種のタイミングが重なった拍子に暗い衝動として吐き出されることを。

 気づけば、ライミはバッテリーをカメリアの頭に力一杯投げつけていた。

 骨も肉も腐りかけた頭は柔らかく、五分の一ほどが豆腐のように潰れて吹き飛んだ。脳漿(のうしょう)を晒してフラフラと佇んでいる。


「初めまして」


 カメリアは腕をまわして首筋にあるハガーを自ら引き抜いた。途端に床に倒れこみ、うどん玉のようなものが頭から零れる。イチジクを剥いたようにえぐれたうなじに白い骨片が覗く。

 多くの場合、無理矢理引き抜かれたハガーは二度と動かなくなる。今、それは床を転がり、肉を求めて先端を小刻みに震わせている。


「違う、違う……!」


 ライミは慌てて近寄り、床に散った脳をかき集めて頭に戻す。意味があるのかどうかはわからなかったが、とにかく反射的にそうしてしまっていた。手が血まみれになり脂でヌルヌル滑る。構わずカメリアの首にハガーを刺して再起動する。

 自殺する尸などいない。それが常識である。ライミも聞いたことがない。そもそも命令を聞いて動くだけの労働力である。自殺などするはずもないし、できないように自己防衛設定がなされてもいるはずだった。

 ハガーのライトが真っ赤になって停止する。もう一度再起動スイッチを押してみるが結果は同じ。何度も試す。壁にかけた時計の音が妙にライミの耳に迫り、共に過ごした十年間が重くのしかかる。


「ちょっと……なんで……私は」


 後悔が嗚咽となって溢れ出しかけた時、ライトが緑になった。ライミは奇跡に感謝してホッと息を吐いた。

 目覚めたカメリアはそれまでと全く違う優雅な身のこなしで立ち上がり、優しくライミの頬を撫でた。その身体は震えもせずぴんと立っている。


「なんて哀しそうな顔をしていらっしゃるの。いったい誰がそんなことを? プンプンですわね。そんな輩、わたくしが懲らしめて差し上げますわ」


 ライミは困惑して、この美しい女尸をただ見つめることしかできなかった。

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