死体と遊ぶな子供たち
ちょっぴりグロなので嫌な方は気をつけてくださいね。
――創造主よ、俺は確かに醜い肉塊かもしれないが、知恵のある肉塊だということを忘れるな。
―『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』より―
月もない闇夜に蛍光グリーンの海が波打つ。放たれた妖しい光がオーロラのように「塔」を彩っている。
街一つ入るほどの超巨大高層建築物――その下部ユニットの更に一部――窓際に染みだらけのツナギを着た少女が佇んでいる。
「……こんなもんかな」
黒のショートヘアから覗く耳には翡翠のピアス。ライミは、部屋の中央に突っ伏した血塗れの男尸を見つめて満足気に微笑んだ。
ゴム手袋を外しマグカップに合成珈琲を注ぐ。香ばしさが鼻を抜けると同時に、血生臭さが部屋に充満していることに気がついた。
「カメリア」
「ウイ」
名を呼べばすぐにドアが開く。エプロンドレスを着た少女が頭を傾かせて立っていた。傷んだ金髪は裂いたビニール紐のよう。白い肌には所々に斑点が出ていた。頬にいた蛆がのっそりと這って焦点の合わない左目へ到達する。しかし瞬き一つしない。
「済んだわ。片付けて」
「拒否」
尸用人は秒針のように、クッと微かな動きで首を振った。
しかし発言とは裏腹に、カメリアはふらついた足どりで散らばった工具を片付け始める。
赤と青のケーブルをクルクルとまとめようとして失敗、文字通り自身の首を全力で絞めてしまう。バッテリーと電極を棚にしまうのに失敗、電流を帯びて痙攣する。白煙が腕から立ち昇る。終始、無表情である。
もたつきながらも血まみれの工具をしまい終えた。血と脳漿の散ったコンクリート床をモップで拭き取り、ついでに男の尸も拭き清めた。
ライミはその一部始終を母親のように微笑みながら眺めていた。
「終わった? ご苦労さま」
「拒否。感謝しなさい」
首を振ると、彼女の頭から蠅が数匹飛び立つ。
ライミはうんうんと頷くと、棚から殺虫スプレーと脱臭スプレーを取り出しカメリアの全身に振りかける。程なく耳や鼻からぶよぶよした白虫が数匹出てきて床へ落ちてのたうちまわった。
「防虫装置を付けてあげられたらいいんだけど、勝手なことしたら兄さんに何て言われるか」
更に彼女の髪から虫の死骸を数匹とりゴミ箱に捨てた。それから背後にまわり髪を纏めているバレッタに触れる。金髪とは対照的に黒光りするエナメルを撫で上げ、その重みを確かめて嘆息した。
「兄さんに会いたい?」
「…………」
カメリアはされるがまま、光の無い瞳を揺らして立っている。返事をしないという返事。その本意はライミにもわからない。
ライミは口を押さえて笑い、飲んでいたマグカップを覗く。底にはどろりと溶け切らない珈琲がまだ残っている。
★★★★
ライミには両親の記憶が無い。興味はあったが、同じボ区を歩く親子連れの姿を見たところで羨ましさは微塵も湧かない。幼い頃はそれよりも毎日が大変だったのだ。
「ロメロ……」
物心ついた時には、唯一の家族――十歳上のロメロは人間として既に手遅れだった。極度の寒がりで三重にコートやマフラー、フードで肌も顔も隠し分厚く着膨れした全身を数本のベルトで無理矢理縛って人の形にしている。その姿は初対面のいかなる他人をも動揺もしくは警戒させた。
彼は常軌を逸した支離滅裂な振る舞いと確信犯的態度から、もれなく同じボ区の者に無視されていた。
しかしロメロ自身は全く意に介さない。少なくともライミの目にはそう映っていた。誰から引き受けたのかわからないが、死体を動く尸に加工して賃金を得ていたし、妹を養っていた。そこには彼なりの誇りがあるらしかった。
ロメロは塔内を蜘蛛の巣状に広がる排水兼ダストシュート管の全位置を把握し、隠れて自ら梯子を取り付けて回っていた。本来ならば行ってはならない上階層にも、誰も行きたがらない下階層にも。
「兄ちゃん、兄ちゃん……」
「邪魔だって言ってるだろう」
五歳のライミには彼が何をしているかわからなかった。ただ兄に疎まれながらついていって、管内でよく遊んだものである。
ロメロは上階層から流れてくる本や雑誌、それから壊れた制御装置の類を集めていた。ライミは管内の端に座り珍しいものが流れていく様を眺めるのが好きだった。
「これは……愉快だね……」
何かの破片、食べかす、緑色のゴム、ファッション雑誌、機械片、黒い人形、破れた本、糞尿、膨張した死体、長年使われた果てに崩壊して棄てられたと思しき尸。管内に時折吹く強風と水流がそれらを運ぶ。
その度に兄は吹き飛ばされぬようライミの肩を掴んで身を隠す。
「滑るなよ。落ちたら二度と帰ってこれない混沌のアンハッピーだからね」
大きな衣に包まれ、危険だというのにライミは嬉しかった。たった二人きりの家族だけれども幸せだった。
★★★★
その日、兄妹は管内に取り付けた足場を伝って上を目指していた。ライミの腕が痺れてきたのを見透かして、上から声が降ってくる。
「さあもうすぐ『高級墓地』だ」
彼ら兄妹が住んでいるボ区の上階、テイ区の中央には〈博物庭園〉が広がっている。この世の価値あるものが一堂に集められたとされている庭。ロメロはそこを「高級墓地」と呼んでいた。
「ハッピーも集めると、煮凝りのようで気持ち悪い。死はコレクションするものじゃないね」
そう呟くと、フード越しにくぐもった音で微かに舌打ちする。
テイ区のゴミ捨て場から出ると、ライミは思わず目を細めた。ライトアップされた庭園が視界に広がったのだ。ゴミ一つ落ちていない整然とした茂みが迷路のように入り組み、通路は石畳。そこにはライミが見たことのないものしかなかった。
「うわあ……!」
見上げると、あんまり驚いてしまって――まるで出来の悪い尸のように開いた口が塞がらない。
ボ区やキ区では昼も夜も剥き出しの金属構造が天井に見えるだけだが、ここではどうやっているのか――屋内だというのにどこまでも夜空が広がっていた。ボ区の窓から見る空は濁った沼みたいなものだ。
幾千もの星の瞬きに動けなくなる。たとえ偽物だとしても、下層民が想像することさえできない世界の広さ。星明かりが一秒ごとに胸を射し、苦しいほど熱い血が全身を駆け巡っていく。
兄はロマンティックな気持ちに浸っている妹の手を引くと、茂みの傍へ急いだ。そして絵本でも読み聞かせるようにゆっくりと語りかける。
「いいかい、ここの警備尸は庭園保護のため銃を持てないんだ。警棒だけだ」
暗がりで兄は妹を抱き寄せ、こもった声を出した。全身を覆う衣類のせいで近寄らないと正確に聞き取りづらいのだ。
幼いライミは鳩のように首を傾げた。
「ケイボーってなあに」
「うん。だから――」
彼は警備尸が通り掛かったところへ妹を蹴り飛ばした。ライミはその瞬間、彼がいつも煙たがっている――足手まといの自分を連れてきた理由を悟った。
「まァ、いいよね?」
兄の軽い口調は今もライミの耳に残っている。
警備尸とライミの目が合う。涎を垂らした男尸だった。お互い数秒間の沈黙のあと、警備尸は逃げ回る彼女を追っていった。手を振ってそれを見送ったロメロはすぐさま警備尸の詰め所へ向かう。
「うふふふっ」
もう一体の警備尸を背後から襲い、その首筋の金属製クワガタといった容貌の制御装置をギチチと抜き取る。首肉がえぐれるのも構わずに。すぐさま持参した新しいハガーを刺す。そのライトが赤、緑と幾度か点滅した後、警備尸の身体は震え脳髄が再起動された。
「オール・グリーンだッ!」
警備尸は大人しくなった。ロメロは詰所のモニタを眺めて警報装置を解除しつつ、命令する。
「行けッ! もう一人の警備尸を捕まえろッ!」
彼は走り出し、まだライミを追っている先程の警備尸の後頭部を警棒で執拗に殴り、すぐに羽交い締めにして捕まえた。
ライミは芝生に倒れこみ、肩で息をしながらチラリと詰所の兄を見る。幾重ものフードに隠された表情はわからない。
死ぬほどの目に遭ったが、ライミはやはり兄は最高だと思った。常識を逸脱している。妹の瞳にキラキラ星が宿る。
十五歳にして尸を制御しなおすなど、同じボ区の誰ひとりとしてできない。大人であろうとテイ区よりも更に上、ヘイ区やオツ区の専門家にしかできないことなのだった。兄は凡人の自分とは違う。
「さ、行くぞ。遊びに来たわけじゃないんだ」
規則正しく刈り取られた茂みの道を、かくれんぼをするように進む。両腕の取れた女性像や羽と触手を持つ怪物の像と出会う。青いスポットライトに照らされた像を見上げ、ヘンな形だと二人は笑う。ショウケースに入った錆びた剣や棺に入った壷を横目に見つつ進むと、あるトンネルの前で空気が一変した。
ライミは足を止め躊躇する。そこはライトの加減で一層暗くなっていた。
「兄ちゃん、待って」
先が見えないのに兄は気にせず足早に行ってしまう。目標としているものに近づいているのだ。
ライミは振り向いたが、先程とはうって変わって怪物の像が恐ろしかった。無表情の像たちが迫ってくるようで、走って兄を追った。
仄かな緑色に照らされて、通路の両脇に名前・誕生年・没年が書かれたプレートが一定間隔で並んでいる。その下にはそれぞれ――緑の光の源でもある――大きな水槽があった。
ロメロはスイッチを切ってはそれらの蓋を片っ端から開けていき、溢れ出した保存液に濡れてニンマリと笑う。
ライミはじわじわ近付いてくる蛍光グリーンの水溜まりから後ずさった。
「ものの本によれば、死体愛好性癖の原体験は母親の寝顔に恋することにあるらしい。全ての道はマザコンに通ずとはよく言ったものだね」
ロメロは自分に言い聞かせるように呟き、目当ての水槽の前に立った。フードを取り一礼すると、中性的な顔が蛍光色に浮かび上がる。顔の半分には生まれながらの大きな痣があった。
「全く、そんなことを言うなんてきっと大昔の心理学者は頭がハッピーなロマンチストだったんだな」
蓋を丁寧に開き、防腐処理の施してある金髪の少女――十五歳といったところだ――の手を恭しく持ち上げる。液体が糸を引く。少女の肌は白く、血液が流れていない分、むしろ青かった。
「兄さん、何をしているの」
「ん? んー」
滅多に見せない素顔を晒しているのだ。常ならぬ様子にライミは不安になった。
それは愛情の行方に敏感な子供の第六感。
「さて何をしているんだろうね。少なくとも、美しいことじゃあないが」
彼は遺体の手にキスをして微笑む。水槽の縁に手をかけライミへ振り返る。ロメロの目許が隠れたまま声だけが朗々と響いた。
「さてライミライミライミ、僕は女性のボディが心底好きなんだ。誰でも良いわけじゃあないが、その個人差も含めて死ぬほど好きだ。愛していると言ってもいい。鎖骨の凹みに溜まった汗で泳ぎたい。冷たく白い肩にオリーブ油を塗って滑りたい。うなじに生えた産毛を一本一本ねぶりたい。水彩絵の具のパレットに『乳輪色』という色をいつも置いておきたい。洞窟に潜む化物じみた複雑な構造の性器。奥に内臓のうねりを感じさせる臍。丸みを帯びた胸から腰への曲線なんか完璧な造形で泣きたくなるよ。でも文化的には虐殺したくなるほど大嫌いだ。大事なのはボディ。だからここは一つ徹底的に――完膚なきまでに僕に忠実で従順な女尸を作ってやろうと思ったのさ」
彼はポケットからハガーを取り出し、少女のうなじを舐めて唾液をたっぷりつけ一気に先端を突き刺した。
「というのは全部後付けで、つまるところ――この可愛い娘に一目惚れしちまったから屍姦がしたいだけなのかもな、僕はッ!」
ハガーは自動的に深く先端を肉の内部へと伸ばし、かえしを出して抜けないように体を固定した。
「彼女の冷たい身体で僕の熱いハッピーを受け入れてもらいたいんだ」
やがて少女は釣り上げられた魚のように口をパクパクさせて痙攣し始めた。ロメロは嬉しそうに見守る。すぐにハガーの点滅が終わり、尸は青い目を開いた。
「ハッピーバースデイ、イヴ・カメリア。服を着るかい。君の美しい肌を眺めていられるなら、僕はそのままでも全く構わないけれどね」
ロメロはコートを一枚脱いで肩から着せた。少女はくらげのようにゆらゆらと揺れながら無表情に周囲を見回した。
「…………」
彼女は血に汚れた彼の手をとった。ロメロは何かブツブツ呟きながら顔を近づけていく。
薄暗闇ではあったが、ライミは見ていられず目を背けていた。所在無く佇むことしかできない。動悸を押し殺すように小さな胸を掴んだ。
恐らく、二人はキスしていた。
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