聖女、降臨
遠く離れた町の教会。
白いローブの女性――リナリアは、薬を並べていた手を止めた。
「……え?」
胸の奥が、急に熱くなる。
ドクン。鼓動が跳ねた。
「なに……これ……」
頭の奥に、知らないはずの景色が流れ込んでくる。戦場。炎。剣の音。仲間の声。そして――
「……マキア」
名前が自然とこぼれた。知らないはずの名前。
なのに、涙が出た。手から薬瓶が落ちる。パリン、と床で割れた。頭の中で声が響く。
『ごめん、リナリア』
知らないはずなのに。彼の笑顔を、知っている。
「……嘘」
膝が震える。頭の奥で、もう一つの声がした。
『繋がったか。悪いが緊急だ。マキアを死なせたくなければ早く来い』
聞いたことのない声。普段なら知らない者からの指示なんてもっと考えてから行動するだろう。しかし前世でリシマキアを助けられなかった彼女はその言葉にすぐ行動せざるを得なかった。
彼女は走り出していた。子供たちの声も、町の人の呼び止めも聞こえない。ただ一つ、胸の奥で叫ぶ声だけがあった。
(お願い、間に合って!!今度こそ――マキア)
足元に光が広がる。
(あなたを助けさせて!!)
「《転移》」
白い光が、夜の森へと消えた。
◆
森。爆発の煙がまだ残っている。焦げた木の匂いが夜の空気に混ざっていた。
ムラクが肩をすくめる。
「一人でよく粘るね」
アネモネが叫ぶ。
「まだよ!!」
杖を振る。足元に巨大な魔法陣が展開する。
「《炎槍》!」
無数の火槍が空へと放たれた。雨のように降り注ぎ、アンデッドの群れを貫く。
骨が砕ける。腐肉が燃える。
だが森の奥から、さらに黒い影が湧き出してくる。骨の兵士。腐った狼。黒い霧。
アネモネが歯を食いしばる。
(数が多すぎる……!)
アンデッドが一斉に突進する。腐った狼が跳びかかった。
「ちっ!」
杖を横に振る。
「《風壁》!」
衝撃波が広がる。狼が弾き飛ばされる。だが別の骨兵士が剣を振り下ろした。ギィン!!
アネモネが杖で受ける。重い。骨の剣が押し込んでくる。
(まずい……!)
骨兵士の頭が吹き飛んだ。黒い魔力の刃。
リコリスがゆっくり前に出る。
「……鬱陶しい」
手を振る。
「《シャドウエッジ》」
黒い刃が扇状に走った。十体以上のアンデッドが一瞬で真っ二つになる。
ムラクが笑う。
「さすが元魔王」
森の奥からシュラが出てくる。フードの奥で笑う。
「やはり死体は便利ね」
地面の魔法陣が輝く。腐った死体が再び立ち上がる。
アネモネが叫ぶ。
「また増えてるじゃない!」
アンデッドの群れが波のように押し寄せる。
その瞬間、空から光が落ちた。白いローブが夜風に揺れる。
アネモネの目が見開かれた。
「……リナリア」
聖女は、ゆっくり顔を上げた。その瞳にもう迷いはない。
まっすぐマキアを見る。
「……また」
小さく呟く。
「また守れなかったかと思った」
膝をつく。血だらけのマキアの体に手を置く。震える指。そして静かに言った。
「今度は」
白い魔法陣が展開する。
「間に合わせる」
「《聖域回帰》」
光が溢れた。暖かく、優しい。森全体を包むほどの光。
リコリスが目を細める。
「……規格外だな」
マキアの胸がゆっくり上下する。骨が戻る。傷が塞がる。血が消える。
アネモネが呆然とする。
「……えぐ」
リナリアは涙をこらえながら呟いた。
「もう」
手を握る。
「一人で行かないで」
マキアはまだ眠ったままだ。だが呼吸は安定している。リナリアは立ち上がり、ゆっくり振り向く。その瞬間、空気が変わる。聖女の魔力が森を満たす。アンデッドたちが一斉に怯む。
シュラが驚く。
「……なんだこいつ」
リナリアが静かに言った。
「死者は」
白い魔法陣が広がる。
「眠るべきです」
「《浄化光》」
夜が昼になった。白い光が森を埋め尽くす。骨が崩れる。腐った肉が灰になる。アンデッドが次々と消滅していく。
「うそ!?」
シュラが叫ぶ。
数秒後、森に残っていたアンデッドは、すべて消えていた。
アネモネがぽつりと言う。
「……前より強くなってない?」
リナリアが振り返る。
「当然だよ。」
マキアを見る。
「この人が」
静かに言う。
「いなくなってからもずっと、私は祈り続けていたから」
ムラクは苦笑を浮かべる。
「えーまじかぁ」
シュラのアンデッド壊滅に戦力不足。
「……こりゃ撤退だね」
アネモネが杖の先をムラクへと向ける。
「逃すと思うわけ?」
ムラクが肩をすくめる。
「元魔王のあなたならご存知でしょう」
地面に既に描いていた魔法陣が光出す。
「俺は戦うタイプじゃない」
ニヤリと笑う。
「負ける可能性は計算済みだ」
煙玉のような黒い霧が広がる。
アネモネが叫ぶ。
「逃がすか!」
だが、霧が晴れた時には二人の姿は消えていた。リコリスが舌打ちする。
「相変わらず小賢しい奴だ」
アネモネが肩を落とす。
「くそ……」
その時、リナリアが小さく言った。
「……大丈夫」
二人が振り向く。彼女はマキアの横に座っていた。優しく髪を撫でている。
「全部終わりました」
夜風が焚き火を揺らす。静かな時間が流れた。アネモネがぽつりと呟く。
「……起きたら何て言うかな」
リコリスが腕を組む。
「どうせ」
少しだけ笑う。
「『俺また何もしてなくね!?』だろうな」
アネモネが吹き出す。
「ぷっ、確かに」
リナリアも小さく笑った。そして、優しく言う。
「おかえり」
眠る勇者に。
「マキア」
夜は静かに更けていった。




