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解けた糸を、結び直す  作者: Kanon


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8/9

『祈りだけが残った』

 私はずっと、教会の中で生きてきた。

 高い天井。色とりどりのステンドグラス。

 朝になれば祈り、昼には祈り、夜にも祈る。

 人々は私を見て言う。


「聖女様」

「神に愛された子」

「この国の希望」


 その言葉を聞くたび、私は微笑んだ。そうするように教えられていたから。

 けれど、本当のところを言えば――世界を知らなかった。

 教会の外に出ることはほとんどない。

 街の喧騒も、森の匂いも、遠い国の話も。すべて、本の中の出来事だった。

 そんなある日。教会の門が乱暴に開いた。騎士でも司祭でもない。一人の青年だった。

 ぼさぼさの髪。使い込まれた剣。どこか呆れたような顔。

 彼は私を見て言った。


「……きみが聖女?」


 私は頷いた。


「はい。リナリアです」

「よし、俺と魔王倒そうぜ!」

「……はい?」


 周りの司祭たちが怒鳴る。


「無礼だぞ!!」


 けれど彼は気にしない。むしろ私をまっすぐ見た。


「外、見たことある?」


 私は答えられなかった。

 彼は少し笑った。


「じゃあさ」


 肩をすくめる。


「見に行こうぜ」


 それが、マキアとの出会いだった。

 教会の外は、想像していたよりもずっと騒がしかった。市場の匂い。人の声。子供の笑い声。

 私はきょろきょろしてしまう。

 マキアが呆れる。


「観光客かよ」

「だって……」


 言葉が見つからない。

 空が、こんなに広いなんて知らなかった。風がこんなに強いなんて知らなかった。


「……世界って」


 思わず言う。


「こんなに広かったんだね」

「当たり前だろ」


 マキアが笑う。

 それから私は、彼と旅をした。

 森を歩き。魔物と戦い。街を渡り歩く。

 彼には既にアネモネという仲間がいたけれど、個人的には仲良くできていたと思う。

 怖いことも多かった。初めて魔物を見たとき、私は震えて動けなかった。

 その時、マキアが前に出た。剣を振るう。一撃。魔物が倒れる。振り返って言った。


「ほら」


 手を差し出す。


「聖女様。立てるか?」


 私はその手を握った。温かかった。

 それから、少しずつ。私は戦えるようになった。祈りだけじゃない。人を助けるための力。


「お前の魔法、すごいな」

「本当?」

「ああ」


 少し笑う。


「仲間にいると安心する」


 その言葉が、嬉しかった。

 旅は続いた。

 たくさん笑った。たくさん戦った。たくさんの人を助けた。新しい仲間も増えた。

 教会にいた頃の私はずっと、「聖女様」と呼ばれていた。

 朝の祈りが終われば、人々が列を作る。

 病気の子供。怪我をした兵士。家族の無事を願う母親。

 私はその一人一人に手を差し出す。

 祈り、祝福を与える。


「ありがとうございます、聖女様」


 感謝の言葉が降り注ぐ。

 けれど、そのたびに思っていた。


(私は、本当にこの人たちを救えているのでしょうか)


 誰もその疑問を口にしない。

 聖女は疑わないものだから。

 でも、マキアは違った。


「聖女って大変だな」

「え?」

「みんなの希望なんだろ?」


 薪を棒で突く。


「そんなの、重いだろ」


 私は少し考えた。教会では誰もそんなことを言わなかった。

 聖女は希望であるべきだ。迷ってはいけない。弱音を吐いてはいけない。けれど――


「……少し」


 私は小さく言った。


「重いね」


 マキアは笑った。


「だろうな」


 それだけだった。慰めの言葉も、説教もない。

 でも、その言葉が不思議と楽だった。旅の途中。

 ある村で、私は子供たちに囲まれた。


「聖女様だ!」

「魔法見せて!」


 私は困ってしまう。

 するとマキアが後ろから言った。


「こいつな、実は食いしん坊なんだぞ」

「ちょっと!」


 抗議すると、子供たちは笑った。


「聖女様でも食べるの?」

「当たり前だろ」


 マキアが肩をすくめる。


「人間なんだから」


 私は思わず笑った。

 教会では、聖女は特別な存在だった。けれど旅では違う。

 私はただの一人の人間だった。それが、嬉しかった。


 そして、ある夜。

 マキアはまだ起きていた気がする。


「先に寝てろ」


 そう言っていた。私は安心して眠った。

 朝。目が覚めた時、彼のベッドは空だった。

 アネモネも既にこの部屋から抜け出していたようだ。

 最初は、二人で外にいるのかと思った。でも違った。

 アネモネのベッドにだけ温もりが感じられる。なによりマキアだけ荷物もなく、剣もない。

 机の上に、小さな紙だけがあった。そこには、短い言葉。


『すぐ戻る』


 それだけ。だから私は待った。

 1日経った。彼もアネモネも帰ってこない。祈る。

 2日経った。マキアは帰ってこず、アネモネは帰ってすぐにまた出て行った。祈る。

 3日経った。今日も何も変わらなかった。祈る。

 そして届いたのは――知らせだった。

 勇者マキア、魔王城で戦死。

 私は、言葉が出なかった。

 もうマキアに会えない。その現実が私に深くのしかかる。

 ただ、祈ることしかできなかった。ずっと。ずっと。祈り続けた。

 もし神様がいるなら。どうか。もう一度だけ。


 「あの人に会わせてください」

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