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解けた糸を、結び直す  作者: Kanon


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『置いていかれた日』

 森の小道に朝の光が差し込む。淡く揺れる木漏れ日は、踏み込むたびに小さな模様を地面に描いた。

 まだ幼い私とマキアは、その中を駆け抜けていた。


「アネモネ、こっちだってば!」

「マキア……待ってよ、怖いよ……」


 私は少し恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに笑った。

 まだ小さな肩を震わせるその姿に、マキアは思わず手を伸ばす。

 私は引っ込み思案で、ちょっとした物音や見慣れない景色にすぐ怖がる子だった。

 だからマキアはいつも、私の先導役であり、守護者でもあった。


「大丈夫だって!俺がいるじゃん。ほら、手をつなごう」


 マキアの手をぎゅっと握った私は、少し安心した顔を見せる。

 日々は平穏ではなかった。

 村の外に住む冒険者の両親を持つマキアは、自然と行動力があったが、私はどうしても内気で、何をするにもマキアの後ろに隠れた。


「マキア、今日は何して遊ぶの?」

「そうだな……川まで探検に行こう!」


 マキアが先導し、私を引っ張る。

 私は不安そうに足を止めるが、マキアが励ますと、一歩ずつ進んだ。

 小さな川を渡るときも、木の枝を橋代わりにする時も、マキアの手が彼女の命綱だった。


「ありがとう、マキア……」

「はは、アネモネは俺がいなきゃダメだな」


 そう笑い合ったあの日の記憶は、私の心に深く刻まれた。

 成長していく過程でも、私は徐々に自分でも動けるようになった。

 マキアがいなくても森を抜けられるし、小川を渡れるようになった。

 学校の遠足で、他の子たちと一緒に行動できる日も増えた。


「マキア、今日は一人で行ってくるわ」

「おう、気をつけろよ」


 表向きには自立している。けれど、心の奥底では、まだマキアの存在を強く求めていた。

 夜、布団に入ると、無意識にマキアの声や手の温もりを思い出す。

 誰にも言えない弱さが、そこには確かにあった。

 そんなある日、マキアは勇者として王都へ招かれる。


「アネモネ一人でも平気か?」

「もちろんよ!マキアこそちゃんと活躍するのよ!」


 嘘。本当は寂しい。心細い。

 けど足手纏いにはなりたくないからと強がる。

 マキアがいなくなった後、私は一人で立たなければならなかった。

 涙をこらえ、心を奮い立たせた。


『私……一人でも戦えるようになる』


 その思いだけが、前に進む力だった。

 王都の学舎で魔法を学び、剣や盾の技術を身に着ける日々。

 初めは小さな火の玉すらまともに扱えず、何度も失敗した。炎は足元に落ち、剣の重さに手は震えた。それでも諦めなかった。


「火の玉……成功……!」


 自分の力で魔法を生み出せた瞬間、心の中に小さな光が灯った。

 マキアがいなくても、私は生きていける。そう思えた。

 しかし、心の奥底では、やっぱりマキアの存在に依存していた。

 どんなに強くなっても、どんなに戦えるようになっても、もし彼がまた一人で危険な場所に行ったら――その恐怖は消えなかった。


 年月はあっという間に過ぎた――とは思えなかった。

 私は一歩一歩、強くなるための道を進んでいた。マキアがいなくなった日から、私は誰にも頼らずに立ち上がるしかなかった。

 その痛みは、今でも胸の奥にずっと残っている。

 けれど、同時にそれは私を強くした。

 火の玉を操るたび、剣の重さに手が震えるたび、私は自分の力を磨いた。仲間たちと共に数々の試練を越え、魔物の巣を踏破する度に、確かな手応えを感じた。

 振り返れば、あの頃の私では考えられないほど、身体も心も鍛え上げられていた。

 それでも、心の奥ではいつも不安がくすぶっていた。

 マキアがいない――いや、マキアは今どこにいるのだろう。

 私を置いて、ひとりで危険な場所に行ったあの日のことを思い出すたび、胸が締め付けられる。

 しかし、今の私はただ涙を流すだけの小さな少女ではない。


『もう二度と、マキアを置いて行かせない』


 その思いだけを胸に、私は日々を生きた。

 マキアがどこにいるのか、手がかりを求め、情報を集め、地図を広げ、マキアの後を辿るように魔法の訓練を続けた。

 炎を操り、氷を作り、風を呼ぶ技を一つひとつ身に着ける。少しずつ完璧に近づけていく。


 戦いの最中、私は自分自身の限界を超える感覚を知った。

 全力で魔物に挑み、仲間と連携し、呼吸を合わせる瞬間――それはまるで、マキアと一緒にいた頃の幼い日々を思い出させる。

 だが今回は違う。私は自分の力で、誰の助けも借りずに立っている。


 その日、ついに再会した。

 荒野の道、砂埃が舞い上がる中で、私は彼を見つけた。

 背中が大きく、剣の鞘が太陽に反射して光っている。戦いの覚悟が全身から滲み出ていて、あの頃の少年の面影はあるものの、もう別人のようだった。


「マキア……!」


 思わず駆け寄る私の心臓は高鳴り、全身が震えた。離れていた年月の重みが一気に押し寄せる。


「……!」


 彼の声も、私と同じくらい震えていた。

 成長した私を見て、目を見開いた。

 幼い頃、私が彼に頼っていたように、今度は私が彼を理解している。胸が熱くなる瞬間だった。


「誰?」

「……ふん!」

「痛い!?」


 訂正、このバカは私のことがわからなかったらしい。

 その日から、私はマキアの仲間として旅を共にすることになった。

 戦場で互いに支え合い、連携を取り、魔物や試練を乗り越える。砂漠の嵐の中で斬り合い、森で魔法を呼び出し、洞窟の奥深くで罠をかわす。

 どんな危険も、私は彼の横で立ち向かうことができた。


「任せろ、アネモネ!」

「頼むぞ、マキア!」


 呼吸はぴったり合い、戦う楽しさと共に、失った時間の寂しさを少しずつ埋めていった。

 互いに力を認め合い、信頼を確認し合う。冒険の中で仲間も増えた。

 私はもう、幼い頃の依存的な少女ではなかった。

 しかし、胸の奥ではまだ恐怖が消えない。

 どんなに成長しても、どんなに戦力を積み上げても、あの時の記憶が私を縛る。

 もし、またマキアが一人で魔王城へ向かったら――その恐怖は、いつも私の背後に張り付いていた。


 夜、宿で眠りにつく前、私はその恐怖を噛みしめながら、そっと彼の顔を思い浮かべる。

 無事でいてほしい――でも、万が一のことが頭をよぎるたび、胸が締め付けられる。

 幼い頃の依存心は消えていない。いや、むしろ成長した私にしかわからない、守りたいという強い想いに変わっている。

 明日もまた、私たちは旅を続けるだろう。

 新たな試練が待っている。そうした思いを胸に、私たちは眠る。

 目覚めた朝、私はすぐに異変に気づいた。

 隣で眠っているはずのマキアの布団が、冷たく平らだった。

 寝息も、呼吸の振動も、温もりも――何もない。


「……マキア?」


 小さな声が喉から零れたが、返事はない。

 胸がぎゅっと締め付けられる。

 昨夜の眠りの中で見た夢のような安心は、消え去っていた。

 布団を握りしめながら、心臓が早鐘のように打つ。

 廊下に飛び出す。宿はまだ静かで、他の冒険者たちはまだ眠っている。

 階段を駆け上がり、外に出ると、朝の光が差し込む街角が冷たく輝いていた。

 しかし、マキアの姿はどこにもない。赤い剣の鞘も、背中の厚い革の鎧も見えない。

 胸の奥がざわつく。

 手が震え、唇がわずかに震える。思わず天を仰ぎ、泣きそうな声で呟いた。


「……どうして……」


 昨日の夜、あんなに笑って、冗談を言って、私の肩を軽く叩いたあの温もりは――もうない。

 小さな布の隙間に残った彼の匂いだけが、まるで幻のように漂う。

 マキアがいなくなってから、私は彼を探す。しかし、見つからない。そのまま3日が経った。

 3日後、国から届いた知らせは――訃報だった。


『王都より報告。勇者マキアは、単独で魔王城に突入した後、帰還せず、討伐の最中に戦死確認。』


 読み上げる声もない。

 文字が頭の中で何度も反復する――戦死。討伐の最中。帰らず。私を置いて。


 視界が揺れる。

 赤い光に照らされた剣の背中、砂埃を巻き上げて駆け抜けたあの姿、笑顔で私を振り返したあの目――すべてが一気に蘇る。


「いや……いや……いや……」


 声にならない声を何度も吐き出す。

 床に座り込み、背中を抱え込む。

 冷たい風が吹き抜け、涙を頬に伝わらせる。

 胸の奥で、幼い頃からずっと抱えてきた恐怖が、現実となったのだ。


 幼い頃、私は彼に依存していた。

 怖がる私を、引っ張ってくれたあの背中。

 いつも守ってくれた手の温もり。

 独りでは進めない場所を、いつも彼が開いてくれた。

 それが――もう、二度と見えない。触れられない。


「どうして……どうして……置いて……」


 嗚咽が止まらない。

 胸の奥が引き裂かれるように痛む。

 ここまで強くなった自分の力でさえ、今は無力だった。

 魔法を操り、剣を振るうことができても、守ることができなかった。

 守るべき背中が、もう遠くへ消えてしまったのだ。

 廊下の向こう、宿の静けさは変わらない。けれど私の世界は、音も光も色もすべて失われたかのように、凍りついた。


『もう二度と、置かない――そう思っていたのに……』


 涙が止まらず、手で顔を覆う。

 肩が震え、呼吸もままならない。

 声を上げて泣きたい。叫びたい。けれど、声は喉の奥で絡みつき、出てこない。

 その瞬間、胸の奥に小さな光が差し込む。

 マキアの遺志――戦士としての誇り、勇者としての覚悟、そして私を想い続けた心。

 彼の勇気は、確かに私の中にも残っている。

 泣きながらも立ち上がる。

 布団を片付け、剣と魔法の装備を整える。

 涙が頬を伝い、髪を濡らす。


「……マキア、あなたがいないと、私は……」


 私は、無意識にマキアを探す。

 しかし、今朝の静けさの中で知った現実――私がどれだけ追いかけても、彼はもう、私の前にはいない。

 赤い糸の先は、無情にも断たれていた。

 痛みと後悔が渦巻く。

 夜の帳に消えた背中。私の足元には、残されたのはただ、静寂と、悲しみだけだった。

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