Aランク到達、そして再会へ
それからの日々は、文字通り地獄だった。
いや、正確には“地獄を歩かされる日々”といった方がいいだろう。
ゴブリン、オーガ、ワイバーン――そして再びドラゴン。
魔王リコリスは容赦なく俺を魔物の巣に叩き込み、俺は死にかけながらも剣を振り続けた。
最初は、ただ必死に生き延びるだけで精一杯だった。血と泥、焦げた匂いに包まれながら、何度も何度も倒れる。
だが、不思議なことに――身体が、心が、少しずつ反応し始める。
あの恐怖の最中、無意識に繰り出した動きは、まるで前世の勇者の戦い方そのものだった。
鱗の隙間、角度、尾の薙ぎ払い……どれも自然に、的確に躱せる。
「ほう……反応が速くなってきたな」
リコリスの声は、いつも通り冷たくも的確だった。だが、耳に入る言葉の端々には、微かに認めるような響きもあった。そして、気づけば――
冒険者ギルドのカウンターで、新しいタグを渡されていた。
「おめでとうございます。本日付で――Aランクへ昇格です」
金属製のタグは、かつての青みがかった色から金色へと変わり、首元で存在感を主張していた。目標にしていた“最強”まで、あと一歩。手が届きそうだという実感に、胸が熱くなる。
しかし、その横でリコリスは腕を組み、眉を吊り上げていた。
「遅すぎる。マキアがこの程度のランクに収まるわけないのが、わからないのか?」
「いや、冒険者ランクには強さの他に信用もあるから……」
「言い訳はいい」
彼女の目は厳しいが、どこか嬉しそうでもあった。
四年の鍛錬で、俺たちはお互いを理解し合うようになった。彼女は一度も手を抜かず、俺を限界まで追い詰め、戦わせ続けた。俺はその度に倒れ、また立ち上がる。
気がつけば、俺の身長はリコリスを追い抜き、見下ろす形になっていた。あの日、森でドラゴンを前に足がすくんだ弱い自分は、もうここにはいない。
冒険者として活動する日々、隣にいるのは常にリコリスだった。
戦闘中は容赦ない師であり、日常では無言の支え。お互いの呼び方も変わった。最初は「リコリス様」と呼んでいた俺も、今では「リコリス」と呼ぶ。彼女も、「マキア」とあだ名で呼ぶようになった。
だが、性格は変わらない。冷静で厳しく、容赦がない。
ある日、夕暮れの森で休憩中、俺はふとリコリスを見た。
斜めに差す夕陽に照らされ、鎧の隙間から伸びる指先まで神々しく見える。
「……俺、強くなったな」
小さく呟く俺に、彼女は横目だけで答える。
「まだまだだ。だが、今日の戦いぶりなら許してやる」
俺はその言葉だけで十分だった。
四年間、死にかけ、悔しがり、喜び、そして成長してきた。
冒険者としての俺、勇者としての俺、その両方がようやく交わり始めた瞬間だった。
そんな毎日を過ごしていた時だった。突然リコリスが俺との会話を切ったかと思うと、突拍子のないことを言い始める。
「話が変わった。今から私たちは北を目指す」
「……はぁ?急にどうしたんだ?」
「新たな魔王が誕生した」
その一言で、周囲の空気が変わった気がした。
「……は?」
俺は思わず間抜けな声を出す。
「ちょっと待て。魔王って……今まで何もなかったじゃないか。なぜ急に?」
「マキアに説明してなかったか?そもそも魔族は片ツノの種族だ。魔王は自身のツノに加え、歴代から受け継いだツノをつけるのだ。そしてツノは魔族の力の源だ。そのツノを受け入れるだけの器がなければ魔王になれん」
話を続ける。
「そして器があるとされたのは私とあの馬鹿、バハムートだけだった。私は魔王になどなるつもりはなかったが、バハムートにその席を渡したが最後魔王の力を得た上で敵味方問わず殺すのが見えていた」
リコリスは淡々と言った。
「私が退く前、奴が暴れ出さない様に封印を施したはずだ。だから魔族の統治は長く空席だった。だがバハムートを解き放った奴がついに現れたらしい。力だけを振りかざす愚か者をな」
その声には、激しい嫌悪が混じっていた。
「そいつが今、北で勢力を広げているのがわかった」
「……人間を襲ってるのか?」
「あぁ、既にいくつかの町が滅んだようだ。その情報もすぐに出回るだろう」
「うわ、最悪じゃん」
「だから行く」
リコリスはそれだけ言った。まるで散歩にでも行くような口調だった。
「……おいおい」
俺は額を押さえる。
「それってつまり」
「魔王討伐だ」
あまりにもさらっと言うものだから、思わず笑いそうになる。
魔王討伐。それは、かつて勇者が命を懸けて挑んだ戦いだ。胸の奥が、少しだけざわついた。遠い記憶の底で、何かが揺れた気がした。リコリスは俺をまっすぐ見て言う。
「行くぞ、マキア」
その言葉に、俺は一瞬だけ考える。逃げる理由はいくらでもある。だが、ここまで来て引き返すつもりはなかった。俺は小さく息を吐いて言う。
「……しょうがないな」
そして剣の柄を軽く叩いた。
「Aランク冒険者の初仕事が魔王討伐か」
リコリスが鼻で笑う。
「遅すぎるくらいだ」
俺も笑った。
「ほんと、スパルタだよなお前」
「当然だ」
リコリスは踵を返す。
「貴様は――勇者だからな」
その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなった。俺は何も言わず、その背中を追った。
◆
北へ向かう道中、森を抜けたところで俺は立ち止まった。
「……どうした」
前を歩いていたリコリスが振り返る。俺は少し困った顔をする。
「いや、ちょっと気になることがあってさ」
「何だ」
「運命探知なんだけど」
リコリスの目がわずかに細くなる。
「……続けろ」
俺は指先を見る。そこには、いつもの赤い糸が伸びている。魔王と繋がっているあの糸だ。
「これさ、最初はリコリスとだけ繋がってたんだよ」
「ほう」
「でもお前の魔法で前世見たろ?あん時から増えたんだよ」
「ふむ。確かに気にしていなかったが魔力の線が私とのもの以外にも三本ほどあるみたいだな。で?」
俺は頷く。
「うん。まぁ問題があればリコリスみたいにあっちから来るかと思って放置してたんだわ」
リコリスは黙ったまま赤い糸を見つめる。
「でもさ」
俺は首をかしげる。
「これ全部、北に向かってるんだよ」
その言葉を聞いた瞬間。リコリスの表情が、ほんのわずかだけ変わった。
「……なるほど」
「これもしかしてだけどさ」
彼女は小さく息を吐く。
「恐らく」
そして静かに言った。
「貴様の前世の仲間だろう」
「……やっぱり?」
「丁度いい、最悪を考えるなら戦力が足りなかったのだ。回収に行くぞ」
◆
俺から伸びた赤い糸の内の一本を追っていくと、やがて名もない小さな町に着く。
町は小さく、どこにでもあるような辺境の町だった。
だが俺の指先から伸びる赤い糸は、迷いなく町の奥へと続いている。
「ほんとにこの町にいるのか?」
「少なくともマキアの魔力はこっちに続いている」
リコリスは淡々と言った。
俺たちは糸を追って歩き、やがて一軒の店の前で止まった。
看板には簡素にこう書かれている。
『魔導具修理』
「……魔法使いっぽい店だな」
「入れば分かる」
俺は扉を押した。
カラン、と小さな鐘が鳴る。
店の中には魔導具や工具が所狭しと並んでいた。そして奥のカウンターで、一人の少女が何かを分解している。
「いらっしゃーい」
その瞬間、俺の心臓が跳ねた。
(……似てる)
年齢は俺たちと同じくらい。少し乱れた髪、作業用のローブ、集中すると眉を寄せる癖。
全部、記憶の中の誰かと重なる。けれど――彼女の目には、俺を知る様子はない。
「修理?それとも魔導具の購入?」
普通の店員の声だった。
俺は少し戸惑いながら答える。
「いや……その」
言葉を選ぶ。
「アネモネ、って名前じゃないか?」
少女はきょとんとした。
「違うけど」
即答だった。俺は思わずリコリスを見る。
リコリスは少女をじっと観察してから、静かに言った。
「……まぁ記憶を戻せばわかるだろう」
「いきなり?」
少女は完全に置いていかれている顔をした。
「ちょっと待って、何の話?」
リコリスは一歩前に出る。
「問題ない」
「いや問題あるでしょ」
「今から解決する」
そう言うと、リコリスは少女の額に指先を向けた。
「ちょ、何――」
少女が言い終わる前に。淡い紫色の魔法陣が展開する。
「《記憶解放》」




