聖女の怒り、勇者の決断
「……あれ?」
体を起こす。痛みは……ない。いや、むしろ信じられないほど軽い。
確か俺は、アンデッドの群れに囲まれて――
「起きた?」
横から声がした。
振り向くと、焚き火の向こうにリコリスが腕を組んで立っていた。
アネモネは木にもたれて座っている。
「……あれ?戦いは?」
「終わった」
「早くね?」
俺の疑問に、アネモネが肩をすくめる。
「あなた寝てたからね」
「あれぇ?」
寝てたら全てが終わっていた件について。
「それより」
静かな声が背後からした。ゆっくり振り向く。
白いローブ。焚き火の光に照らされた金色の髪。そして――
「……リナリ、いや信徒さんがなんでここに?」
「リナリアで間違いないよ?」
聖女は、俺をまっすぐ見ていた。その瞳を見た瞬間、背筋が冷える。
「……記憶」
俺は思わず立ち上がる。
「お前……」
喉が乾く。
「……思い出したのか?」
リナリアは般若を彷彿とさせるような笑顔で尋ねる。
彼女の圧が高まる。
「どうして、私は記憶を戻そうとしなかったの?」
わかっていた質問だった。でも、逃げる気はない。
俺は思ったまま答えた。
「アネモネはさ、記憶を戻した時泣いたんだよ。そして自分の店を捨ててまで俺についてきた」
俺はアネモネを見る。
「バハムートを倒す上で仲間が欲しかったからさ。何も考えず記憶を戻した。その結果アネモネの元の生活を壊してしまったんだ」
そして、と続ける。
「……お前は」
少しだけ笑う。
「幸せそうだったから」
リナリアの目が揺れる。
「教会で子供たちに囲まれてさ。薬作って、祈って、笑ってた」
あの光景が頭に浮かぶ。
「だから思ったんだよ」
焚き火の火が揺れる。
「俺の都合で、今の生活を壊すのは違うだろって」
沈黙。数秒。そして――バシッ!!
ビンタが飛んできた。
「痛っ!?」
「勝手に決めないで!!」
リナリアが泣きながら怒鳴る。声が震える。
「勝手に測らないで!!」
拳を握りしめる。
「あなたがいない世界で幸せになれるわけないでしょ!!」
森が静まり返る。俺は言葉を失った。
リナリアは涙を拭きながら、もう一歩近づく。
「……前もそうだった」
小さな声。
「あなたは一人で行って」
俺の胸を軽く叩く。
「そして死んだ」
痛い。でも、これは剣より重い。
リナリアは睨みながら言った。
「次」
指を突きつける。
「次こそ置いていったら」
少し間を置いて、
「聖女の権限で呪うから」
「こわっ!?」
思わず叫ぶと、横からアネモネが笑いを堪えていた。
「自業自得ね」
リコリスも鼻で笑う。
「当然の報いだな」
俺は頭を抱えた。
「いや待て待て、味方いなくない!?」
アネモネが口をはさむ。
「一応言っておくけど私にもリナリアと同じことしてたら怒ってたからね!置いていくなんて許さないから!!」
リナリアが、そっと俺の手を掴んだ。
「……今度は」
小さく言う。
「一緒に行く」
強い声だった。
「絶対に」
俺はため息をついて、空を見上げた。
星が瞬いている。
「……わかったよ」
苦笑する。
「今度は」
仲間たちを見る。
「ちゃんと頼る」
「最初からそうしなさいよ」
アネモネがニヤッと笑う。
リコリスは腕を組んだまま言う。
「さて」
視線を北へ向ける。
「まだ終わっていないぞ」
俺は立ち上がる。
指の先から赤い糸が伸びている。四つの糸が、確かにそこにある。
「……あと一人だな」
そう呟いた。
「そういやどうやってリナリアの前世を思い出させたんだ?」
リナリアは無言でビンタの準備をする。
「いや違うから!!単純に気になったんだよ!だってリナリアと戦場は距離があったろ!?」
「記憶解放に距離制限などない。使う機会がなかっただけだ」
それを聞いて俺は思いつく。
「じゃあさ、シオンの記憶戻してこっち来てもらおうぜ。そっちのが早いじゃん」
三人から馬鹿を見る目が向けられる。
アネモネがため息をつく。
「あんた本当に何も考えてないわね。ガーディアンなのにマキアを護る機会すら得られないまま死なれたのよ。あの娘がどれだけ病んだと思ってんの?」
アネモネが俺と目を合わせる。
「そんなことしたら最悪――自殺しちゃうわよ?」
やべぇまじ重い。前世の俺何してんだ。もう勇者様呼びやめます。出てこいしばかせろ。重い沈黙が落ちた。
焚き火が、ぱち、と音を立てる。
俺は頭を抱えたまま呟く。
「……前世の俺さ」
空を見上げる。
「最低じゃない?」
アネモネが即答する。
「最低ね」
リナリアも頷く。
「最低だね」
リコリスは腕を組んだまま言った。
「紛うことなき最低だな」
「満場一致やめろ」
パンッと乾いた音が森に響く。リコリスが手を叩いたのだ。
「寝てただけの馬鹿も理解は済んだろう」
三人が視線を向ける。リコリスは呆れた顔で言った。
「過去の自分を責めても時間の無駄だ」
焚き火の向こうで、金色の瞳が細められる。
「重要なのは今だ」
俺を見る。
「最後の一人がいるんだろ?」
俺は指を見る。赤い糸が、一本だけ遠くへ伸びている。
「……ああ」
北の方角。
「シオンだ」
アネモネが立ち上がる。
「あの娘が居そうな場所ってどこよ。前世はあんたが拾って来てたでしょ?」
「いやだから俺前世ほとんど思い出せてないんだって…」
「それ、どういうことか教えてほしいな」
リナリアが反応し、俺の肩を揺さぶってくる。
「あー、《記憶解放》ってあるだろ?俺がそれされた時、何故か気絶しちゃったんだよね。で、バグって?俺だけ中途半端なんだ」
「ふん。マキア以外誰も気絶などしていないのだからマキアの脳が微生物レベル説は有効そうだな」
「それ言うなら俺だけ中途半端なの絶対あの電撃のせいだったろ!!こいつらはちゃんと成功してるじゃねぇか!!失敗がなくてよかったよ!!」
雑談をしながら歩き出す。焚き火を消し、森を出る。夜風が少し冷たい。
少し歩いたところで、アネモネが小さく言った。
「……マキア」
「ん?」
「本当に」
少しだけ躊躇う。
「思い出させるの?」
足が止まる。その目は覚悟を問う目だった。
「私の時は知らなかった。リナリアの時はあなたが気絶してるときに勝手にやった。でも今回はマキアが決断しなくちゃいけない」
正直な声だった。
「あの娘」
視線を落とす。
「あなたを守れなかったこと、本当にずっと気にしてた。私よりずっと重いわよ」
「……だろうな」
俺は頭をかいた。そして少し笑う。
「でもさ」
三人を見る。
「仲間だろ」
リコリスがニヤリとする。
「ようやく勇者らしいことを言ったな」
俺は続ける。
「一緒に背負って♪」
沈黙。白けた空気が場を占める。
軽く咳払いし、発言を変える。
「今度こそは置いていかないようにな」
アネモネがため息をついた。
「……本当、そういうとこよ」
リナリアも小さく笑う。
「うん」
リコリスは肩をすくめる。
「何はともあれ決まりだな」
俺は指を見る。赤い糸は、確かに北へ伸びていた。
「行こう」
勇者パーティ最後の仲間。
ガーディアン。
「シオンのところへ」
四人は夜の街道を歩き出した。
◆
街が見えたのは昼過ぎだった。
「……でか」
思わず声が出た。
視界いっぱいに広がる石の城壁。塔がいくつも突き出し、門の前には長い行列ができている。商人、旅人、荷馬車。人の数だけで田舎町一つ分ありそうだ。
リナリアが少し笑う。
「ここは確か王都だったよね」
アネモネは腕を組んで城壁を見上げた。
「魔法都市より大きいんじゃない?」
リコリスは特に興味もなさそうに言う。
「人間はこういう壁が好きだな」
「元魔王が言うと説得力あるな」
軽口を叩きながら検問の後、門をくぐる。どうやら魔王が出現したことが王都にも伝わり、警戒が高まっているようだ。
王都の中はさらにすごかった。石畳の大通り。高い建物。行き交う人、人、人。
「……迷うなこれ」
俺は指を見る。赤い糸は、確かにこの街の中へ伸びていた。
「こっちだ」
歩き出す。大通りを抜け、少し狭い道へ。さらに進む。建物が古くなる。人の服装も変わる。空気が、少しだけ重くなる。そして――
「……ちょっと待って」
アネモネが足を止めた。目の前に広がるのは、粗末な木の家。崩れた壁。ゴミの山。痩せた子供たち。王都の光から切り離された場所。
「ここ」
アネモネが呆れた声を出す。
「スラムじゃない」
リナリアも戸惑っている。
「本当にここなの?」
俺は指を見る。赤い糸は――まっすぐ奥へ伸びている。
「……間違いない、みたい」
「さすがにスラムはないんじゃない?」
アネモネが疑っている。俺も、そう思った。その時だった。――――フラッシュ。視界が一瞬、揺れた。路地。雨。痩せた子供。
「……っ」
頭がズキッと痛む。
「マキア?」
リナリアの声。俺は顔を上げる。目の前のスラム。崩れた壁。細い路地。胸の奥がざわついた。
「……やっぱりスラムで間違いなさそうだ」
小さく呟く。アネモネが聞き返す。
「え?」
「俺の記憶がそう言ってる」
スラムの奥を見る。
「ここで会った」
三人が驚く。
「前世?」
俺は頷く。
「雨の日だった」
記憶がぼんやり浮かぶ。
「路地裏でケンカ吹っかけて来た子どもがいた気がする」
リコリスがニヤリとする。
「なるほど」
アネモネはため息をつく。
「勇者様、スラムで仲間拾ってたのね」
「言い方」
俺は苦笑する。
「でも多分そうだ」
赤い糸は、さらに奥へ伸びている。
「行こう」
スラムの路地を進む。子供たちの視線。大人たちの警戒。しばらく歩いたところで――見つけた。
崩れた石壁。その下に座り込んでいる、一人の少女。くすんでいるがそれでもわかる青色の髪。古い外套に包まれた小柄な姿。
胸が、どくんと鳴った。
「……いた」
俺は呟く。三人も気づく。
「……あの子?」
リナリアが小さく言う。少女はこちらを見た。警戒するでもなく、ただぼんやりと。
「……何」
かすれた声。
「用?」
俺は数歩近づく。足が少し重い。胸の奥が、ざわざわする。これからやることはわかっている。大丈夫、もう決断したんだ。
しかし、アネモネの言葉が頭をよぎる。最悪、自殺。
俺は一度深呼吸した。そして少女の前でしゃがむ。
「なあ」
少女が少し眉をひそめる。
「何」
俺は、まっすぐ見る。
「……先に謝っとく」
少女は意味がわからない顔をした。
「は?」
俺は苦笑する。
「たぶん」
小さく言う。
「また、お前の人生めちゃくちゃにする」
後ろでリナリアが息を飲む。少女は呆れた顔をした。
「意味わかんない」
当然だ。俺は振り向く。
「リコリス」
リコリスが一歩前に出る。
表情は真剣だった。
「……本当にいいのだな?」
俺は頷く。
「頼む」
リコリスは少女を見やり、指先が彼女の額に触れる。
「《記憶解放》」
魔力が、静かに揺れた。その瞬間。少女の瞳が、大きく開いた。




