第6話 果実は落ちない
ジンは、一人部屋でアパールを浮かべていた。
今の自分の力ではダメだ。
誰も救えない。
シアを、妹を救えない。
そう思い、自分の持つ唯一の魔術である、『少し浮かせる魔術』を改めて観察していた。
「うーん、浮かぶ距離は二センチ程度。俺の放てる魔力の限界距離か。」
そう言いながら、浮かせている手と反対の手で、果実を軽く突く。
果実は押された勢いのまま進み、手のひらから外れたところで床に落ちる。
浮いているだけだなぁ、と考える。
ふと、上から魔力を与えたらどうなるのか、と思い付いた。
魔力の届く距離が維持されているのであれば、果実の行き先が無ければ、と。
果実の上に手を置き、魔力を込める。手のひらに果実の圧を感じる。
そのまま、ゆっくりと手を持ち上げると、手のひらに果実は張り付いたまま持ち上がった。
顔の高さまで持ち上げてみても、果実は手に張り付いたままだった。
「……少し浮かせる魔術、ではないのか?」
斜めにすると、手のひらに沿って上に向かって転がり、手から離れたところで床に向かって落ちた。
「魔力を込めている間、上に向かって、落ちる?」
何かが分かりそうな気がした。
ふと、屋根から平然と飛び降りたもう一人の自分を思い出した。
「落ちる向きの反転……着地前に勢いを殺せば……。」
試さずにはいられなかった。
幸い、この部屋は窓から飛び降りても大丈夫な高さだ。
窓から飛び出し、着地前に自分に対して魔力を込める。
ふっと軽くなる感覚と同時に、ずんっと急激な重さを感じた。
着地自体は思った通り。
発動の瞬間感じた衝撃は何だろうか。
反転するだけではないのか?だが、確かに何かを掴んだ実感があった。
「これが、俺の魔術……。」
落ちる方向を反転させる魔術。
そんな魔術は聞いたことが無かった。
「文献を探してみるか。城の書庫に入れると良いんだが……。」
言ってかぶりを振る。
王家を捨てた自分が、何を今さら。
だが、心は空と対照的に晴れ渡っていた。
早朝の澄んだ空気の街を歩くと、普段とは違う感じを受けた。
――人が多い。
見覚えのない顔、旅装束の家族連れ。
毛布や食器の積まれた荷車。
露店も出ているが、賑やかさは無い。
教会の炊き出しの長い列には、疲労が色濃く浮かんでいた。
「なんだ、これは。」
疑問を浮かべつつ、自身の魔術の実験に手頃な大きさであるアパールを買いに、市場へと向かった。
市場で目当ての果実を直ぐに見付け、二つ包んでくれ、と頼み、金を払う。
包んでもらっている間に尋ねてみる。
「なんだい、この混雑は。」
店主は手を止めずに答える。
「なんでも、国境付近の村が帝国に襲われたとよ。正規軍が展開してるって話だ。」
胸がざわついた。
帝国軍だと?あの件か。
と、四肢を破砕した貴族を思い出す。
「あいよ、また頼むよ!」
と果実を渡される。
受け取ると、直ぐギルドへと駆け出していた。
ギルドに入ると、中もまたいつもとは違った喧噪が広がっていた。
冒険者たちが地図を囲み、荷を整え、矢継ぎ早に依頼書が張り出されては剥がされていく。
受付では複数人でそれぞれが別の、複数の文書を同時に捌き、書記官たちが走る。
慌ただしい空気に飲み込まれる。
受付に近付くと、リリィ嬢が気付き、声を上げる。
「あっ、ジンさん!」
「帝国軍が展開していると市場で聞いた。」
「そうなんです!国境沿いの村がいくつか焼かれた、と。それで避難民が次々流れて来ていて……」
俯き、悲し気な表情で語る。
それを聞いて思わず眉をひそめる。
「開戦の通達は。」
「いえ、ギルドの持つ情報ではまだ開戦していません。でも、もう……。」
声を詰まらせた彼女の目には涙が浮かんでいた。
無意識に拳を握っていた。
自分に何ができるかを考えていた。
近くに置かれた依頼書が目に入る。
生存者の捜索と救助、安全な場所への誘導。
この依頼を受ける手続きをし、ギルドから飛び出した。
遠雷とも砲声とも分からぬ重い音が遠くから響いていた。




