第3話 仮定の話は禁止です
ギルドに入ると、直ぐにリリィ嬢が駆け寄ってくる。
「ジンさん!大丈夫でしたか?」
日暮れのギルドは賑わいを潜めていた。
「ああ。先に報告した通り、盗賊に遭遇した。だが、依頼の品はある。」
「衛兵隊からも報告を受けております。その、帝国の貴族に襲われ、えっと、四肢を、粉砕した、と。その、まだ衛兵隊が帰還していないので、検分できておりませんが……。」
声を潜め、やや震えた声でリリィ嬢が言う。
「ああ、その通りだ。」
少し俯いて答える。
「そうですか……。まだ、建国祭中だというのに、どうして……。」
リリィ嬢はその顔に、これから起こるであろうことへの怒りと悔しさを浮かべていた。
「……使節団と言う旗を掲げれば、人を動かす口実になる。」
――どうして戦争をしたがるのか。
リリィ嬢が言葉を続けなかった問いに、答えることはできなかった。
「一先ず依頼の報告をしたい。依頼にあった薬草を採取してきてある。検品を頼む。」
「あっ……はい、すみません。確認します。」
暗い表情を払い、リリィ嬢はいつもの顔に戻る。
「はい、依頼の薬草、規定数あります!依頼達成です!お疲れ様でした。……本当に、無事で良かったです。」
労いの言葉とともに渡される報酬を受け取る。
ずっしりと感じる重みに対しても、笑顔にはなれなかった。
城の一室から怒気を孕んだ声が響く。
「お兄様のお顔に唾を吐きかけるだなんて、絶対に許せませんわ。」
湯浴みを済ませ、髪を梳かれながら侍女に言う。
「はい、お嬢様。ですが、あの者は利用されていただけです。」
「分かっていますわ。……これから、この件を口実に動いて来るでしょう。」
「はい、お嬢様。」
侍女は表情を変えず、髪を梳く。
「ですが、罪は、償わなければなりません。」
「はい、お嬢様。ですが……」
言いかけて、直ぐに口を閉ざす。
「いえ……。」
一瞬だけ悲し気な表情を浮かべた侍女だったが、直ぐに元の無表情に戻し、シアの髪を梳き続けた。
夕暮れから空を覆っていた暗雲は、夜の訪れに合わせてコツコツと窓を叩いていた。
建国祭が終わり、賑やかだった街も落ち着きを取り戻していた。
ジンは、楽な依頼を済ませて酒場に来ていた。
昼下がりの店内は閑散としており、楽師の奏でる弦楽器の音が、空気を揺らすのをカウンターで聞いていた。
ぐっと酒を喉に流し込む。琥珀色の液体が喉を燃やしても、胸に空いた隙間は満たされなかった。
「……俺に、力があれば止められたのか?」
呟いた言葉は誰に向けられたものでもなく、答えるようにグラスの氷がカランと音を立てる。
「仮定の話をしてもどうしようもないだろう。」
気付くと隣で、フードの男が同じようにグラスを傾けていた。
「……あんた、誰だい?」
「誰でもないさ、ここでは、な。」
そう言って自嘲気味に笑う口元が見えた。
「なあ、ジン。お前に力があったとして、何ができた?」
「……仮定の話はしないんじゃなかったのか?」
「ふっ、そうだな。」
男はグラスを置くと、真剣な顔をジンに向けた。
「お前があの時止めていたとしても、結果は変わらない。大きな流れは、そう変えられないんだ。」
「……何を言っている?」
一瞬、誰かに似ているような気がした。
だが、記憶の底に届くより先に言葉が届いた。
「はっ、若者が腐っているから励まそうと思っただけさ。」
笑いながら男はグラスを傾ける。
「なあ、ジン。お前は何を願う?」
「……何?」
不意を突かれ、男の方を見る。
手に持ったグラスが、カランと氷の音を鳴らす。
「お前の願いを信じろ。」
男はそう言ってグラスを一気に飲み干す。
理由は分からないが、この男の言葉が胸に刺さった。
「そして、その願いを手放すなよ。」
そう言うと男は立ち上がり、店から出ていこうとする。
入り口でこちらを向き言う。
「また会おう、シルガルド・ヴァルデリア!」
「っ、待て!」
追って店から出るが、その男の姿はどこにも見えなかった。
心音が頭に響いていた。
「あいつ、なぜ俺の名を……」
呟いた言葉は風に消え、喧噪の中で気にするものはいなかった。
足元の石畳を見つめる。
なぜ、あの男が自分の名を、通り名で無い方の名を、城を出てから名乗ったことのない名を、知っているのか。
「くそっ。」
かぶりを振り、溜息とともに肩を落とす。
全身にべったりと疲労が纏わりついていた。
速くなった胸の鼓動はまだ頭に響いていた。
「……帰るか。」
重い足を引き摺り、歩き出した。
その背を、遠くの屋根の上から見ているものがいた。
フードに隠れ、その表情は読み取れないが、その姿を見たものがいたならば、鋭い眼光、と評しただろう。
男は空を見上げる。
男の目は、どこまでも青く広がっている空を、慈しんでいるようだった。




