第21話 届いたはずの手と、零れ落ちた想い
観測室のドアを開くと暴風が噴き出した。
室内では機器は壊れ、技官は吹き荒れる風に飛ばされまい、と、身を低くし、防壁だった残骸にしがみついていた。
その異常の中心にシアが居た。
俯いたまま、静かに立っていた。
その、特徴的な蒼い外套が赤く染まっていた。
その姿の前に、倒れている脚が見える。
「シア!」
そう叫ぶが反応は無い。
荒れ狂う風は、近付くもの全てを拒んでいた。
瓦礫にしがみついていた技官の腕が凍り付き始め、その顔が恐怖に染まる。
思わず手を離すと、風圧に飛ばされ、壁に叩きつけられる。
壁は生きているかのように脈打ち、技官を飲み込み始める。
「ひっ、た、助け――」
発言を許さない、と、言わんばかりに、その身体は壁へと飲み込まれていった。
明確な異常事態。
災厄が起きていた。
壁に飲み込まれる技官を見ていた者たちの顔に恐怖が張り付く。
ここでは、世界の常識が壊れていることを、本能的に感じ取っていた。
恐怖を張り付かせた顔の一つが突然膨張する。
「ぐっ……」
苦しそうに、自分の顔へと向けられた手は、対象に届くことなく、パンッと言う破裂音と共にだらりと下がる。
周囲に赤が撒き散らされる。
力の抜けた肉体が、ゆっくりと倒れる。
倒れた肉体が、その色彩を失い、砂になっていく。
怒り狂う風の前に、その砂は消し飛ばされていく。
「ひっ、ひあ、あああああ。」
もうそこに、正気を保っていられる者はいなかった。
入口から動けずにいたジンは、風圧に逆らい、その手を前に突き出す。
そして、その手に自身の持つ、僅かな魔力を滾らせる。
――反転魔術
ジンを圧す風圧が、吸引力へと変わる。
バランスを崩しながらも、その目はその中心に向けられていた。
その一瞬は、とても長い時間に感じられた。
確実にその中心へと引き寄せられた手は、シアの肩に触れる。
肩を触れられたシアが、ゆっくりと、その赤く染まった顔を上げる。
今、助けてやる、と、もう片方の手にも魔力を込め、前に出そうとする。
シアは、ジンの顔を見て、しばらく考えていた。
目を伏せ、何かを掬い上げようとするが、割れた心から零れ落ちていく。
そうして、ゆっくりと、口を動かした。
――だれ?
何を言われたのか分からなかった。
その言葉は確実に耳に届いていた。
けれど、その意味が分からなかった。
理解を拒んでいた。
動揺が静かにジンを蝕んでいく。
その手に込められた魔力も、決意も、もうそこには無かった。
次の瞬間、床が崩落した。
それに飲み込まれ、浮かんだままのシアを見ていた。
そして、実験棟全体を爆発音と煙が包む。
吹き飛ばされながら、どこで間違ってしまったのか、とジンは考えていた。
崩壊した技術連邦実験棟から空に亀裂が走り、その表面をバリバリと剥がしていく。
青空はその傷から闇を漏らしていた。
亀裂が全世界を覆っていく。
太陽がその色を反転させ、戻り、昼と夜とを繰り返している様だった。
周辺地域では風が吹き荒れ、雷が落ちる。
落ちた雷が、そのままの形で氷になる。
その氷も色彩を失って崩れ落ちていく。
そうして、対災厄のための制御実験は、世界規模の災厄を引き起こした。
世界は、完全に壊れてしまっていた。




