第2話 依頼はピクニック気分で
ギルドの中は、普段と変わらない喧噪に包まれていた。
「建国祭だってのに、ここは変わらず賑やかだな。」
そう言いながら受付に肘を置く。
「そうなんです!他国からの来賓の方が、バザーで見かけたものを大量に依頼するケースが多く、普段よりも報酬も高めで。」
話ながら大量の依頼書を仕分けているのは、王都の冒険者ギルドの顔である、リリィ嬢だ。
噂では微笑み一つで依頼の質が変わる、だとか。機嫌を損ねてはいけない相手である。
「楽して稼げる依頼、あるか?」
真剣な面持ちで尋ねる。
「またそれですか……。」
心底呆れた表情で、溜息を吐きながら言う。
「ジンさん、あなたならもっと高みを目指せるのに。」
「高みってのは、満足に腹が膨れてから目指すものだろ?」
やれやれと言った身振りで軽口を叩く。
リリィ嬢は頬を膨らませ、一枚の依頼書を出しながら言う。
「楽な依頼は無いです!……ですが、これは報酬が相場よりかなり高いです。三系統以上の魔術を使いこなせること、と言う但し書きはありますが……」
リリィ嬢が、少し眉をひそめて言う。
「三系統以上?それはまた、なかなか厳しい条件だな。」
「ええ。場所はそう遠くない遺跡で、そこまで危険は無かったと思うのですが……」
考えるような表情を浮かべるリリィ嬢に、軽く答える。
「ん、まあ、依頼としてはそこの薬草を取ってくれば良いんだろ?」
「ええ。ジンさんであれば、その、王女殿下がご一緒なさると思うので、系統は問題無いと思います。」
声を潜めてシアのことを伝えてくる。
確かに、遺跡に行くとなればシアはついて来るだろう。
どこで知って来るのか、王都の門で待ち伏せされるのだ。
衛兵も、王女が気軽に出かけていくのを、見ぬ振りで済ませないで欲しいのだが。
「まあ、だろうな。」
軽く溜息を吐きながら答える。
「その依頼、受けて良いか?その額ならしばらく飯に酒を付けても困らなそうだ。」
お酒はほどほどにですよ!とリリィ嬢が釘を刺す。
「では、こちらの依頼、ジンさんで受理します。すぐご出発されますか?」
事務手続きをしながらリリィ嬢が尋ねる。
「そうだな、特にやることも無いし、直ぐに発とう。日没までには済ませられるだろう。」
錬金公国で作っている治癒薬の手持ちもある。
大丈夫だろう。
「承知いたしました。それでは依頼の成功と、ジンさんのご無事を祈っております!」
任せとけ、と、依頼書を受け取り、力こぶを作る真似をしてみせる。
さて、このまま王都の門へ向かおう。楽に稼げてギルドも依頼主も嬉しい。
皆が得をする良い依頼じゃあないか。
自然と笑みが零れる。シアがきっと門で待っているだろう。
危険も無い依頼だ。
きっとピクニック気分でついて来るに違いない。
ギルドを出ると、視線を感じた。
一瞬ではあったが。
どこからかは分からなかった。
シアであれば直ぐに寄って来るだろうから別の誰か。
気のせいか?少し考えてはみたが、思い当たるものも無く、まあ良いか、と街路を歩き出した。
門まで来ると、案の定シアとサクラがいた。
「あっ!お兄様!」
恭しく礼をしてみせた後、シアが寄って来る。
「今日はルーゼル遺跡に薬草を採りに行くのですね。あそこは途中の泉が素敵ですよね。崩れた天井から差す光がまた、幻想的で。」
うっとりとした表情で語りだす。
「……依頼の内容まで知っているのか?ああ、その通りだ。その泉まで採取に行く。」
「お兄様の事で知らないことはございませんわ。」
上機嫌で答えるシアの隣で、サクラが舌打ちを鳴らす。
シアと俺が仲良くしているのが気に入らないようなのだが、そこまで露骨にされる程の事をしただろうか。
「まあ、そんなわけなんだが、一緒に行くか?」
「当然ですわ。泉で昼食を摂りましょう。お弁当を作らせて参りましたの。」
笑顔でシアが答える。
今にも踊り出しそうな程機嫌が良い。
本気でピクニックと勘違いしているのではないだろうか。
「歩くには少し遠い。馬を借りようと思うが――」
「その程度の距離、転移すれば一瞬ですわ。」
シアが言うなり景色が歪む。
空間魔術はかなりの高位魔術だったはず。
その中でも転移は特に難しく、安定した魔力制御と緻密な座標制御が必要な――。
と考えている間に遺跡の前にいた。
「高位魔術……だよな?」
我が愛しく優秀な妹が、自分の理解を遥かに超える魔術を無邪気に使う様に、背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
遺跡と言えど、あちこち崩落しており、半分は洞窟の様なものだ。
目標である途中の泉で光が差し込むが、道中は松明を灯して進む。
入り口で灯りの準備をする。
「お兄様とピクニックなんていつぶりでしょうか。心が躍りますわ。」
「一応獣も要るし、依頼で来ているんだがな。比較的安全とは言え。」
「何があろうとも、私がお兄様をお守りいたしますわ。」
上機嫌のシアは、本気でピクニックだと思っているのだろう。
遺跡に入って直ぐに、違和感がざらりと肌を撫でた。
何かに見られている。
「サクラ。」
「分かっております。」
そう言うと、サクラはすっと闇に溶けて気配が消えた。
「お兄様!二人きりですわね。」
シアが抱き着いて来る。
「そうだけれど、そうじゃない。何かおかしい。一度外に出た方が――」
言い切る前に何かが飛んでくるのを感じ、咄嗟に躱す。
何かが頬を掠める。
灯りを向け、それが小石であることを確認する。
その間に、闇から出てきた男にシアが捕らえられてしまう。
「あらあら。」
何が起きたのか分かっていないような、気の抜けた声を上げるシアの喉元に、短剣が突き付けられる。
シアを捕らえた男が叫ぶ。
「動くな!動くとこの女が死ぬぞ!」
シアは笑顔を崩さないまま目を瞑っている。
男ではなくシアに向かって叫ぶ。
「シア!殺すなよ!絶対にだぞ!」
この男はおそらくシアを知らない。
この国の人間であれば知っているであろうシアを知らない。
「あ?お前、状況が分かっているのか?」
理解できない、とばかりにこちらに尋ねてくる。
「状況が分かっていないのはお前だ。……その女が誰か、知っているのか?」
「誰でも関係無いだろう。高く売れそうな、良い女だ。」
「……サクラ。」
呼ぶと、暗闇からその場に似つかわしくないメイド姿の女が現れる。
「状況は?」
「遺跡の入り口に二人、離れたところから入り口を見張っているのが三人。そして、そこに二人。」
灯りを向けると昏倒している男が二人見える。
「……殺してないよな?」
「当然です。お嬢様を知らないような連中です。」
話の分かる侍女だ。
こちらの話を聞いていた男が狼狽える。
そして、半狂乱になりながら喚く。
「お、おい!状況が分かっているのか?!動けば、この女の首が飛ぶぞ?!」
その気持ちも分からなくもない。
一瞬で状況が逆転しているのだ。
「ふふっ、首を飛ばせるものなら飛ばして御覧なさい?」
シアが笑顔を崩さないまま男に言う。
「へ?あ?」
その瞬間男の手足が凍り付く。
動かすことも、逃げることも叶わなくなっていた。
「う、うわああ!」
悲鳴を上げる男からすっとシアが離れる。
首元の短剣も、転移魔術には意味を成さないようだ。
男に向き直り、改めて尋ねる。
「さて、どこの、誰からの依頼だ?」
「し、知らん!我らはただの盗賊だ!この女が高く売れると思い襲っただけだ!」
白を切る男に、やれやれ、と言った身振りをしながら答える。
「ま、誰でも良いんだが、盗賊となれば管轄は冒険者ギルドだ。そちらに連絡はさせてもらう。」
冒険者として登録した際に渡された腕輪に触れ、短く詠唱をする。
『ギルド簡易報告術を起動。』
腕輪から鳥型の魔力が飛び出し、ジンの額に触れて遺跡の入口へと飛び去って行く。
「数刻もすればギルドから応援が来るだろう。良かったな。誰にも怪我を負わせていなくて。少なくとも極刑は無いだろう。」
ギルドは盗賊に厳しい。
盗賊の存在で流通が滞れば物価の高騰を招く。
必要な物資が届かず、人々の生活にも影響が出る。
商人が商隊を組むこともあるが、基本的には護衛も、盗賊や獣の討伐もギルドの管轄だ。
人々の生活のための国家に依らない武力、それがギルドだ。
「わ、私を誰だと思っている!」
盗賊が突然態度を変えて言う。
「盗賊だろ?自分でさっき言っていたじゃないか。」
内心、面倒事を引いたかな、と思った。
「私はゼルトヴァイン帝国ブラウハルト侯爵家の三男、ジークベルト・ブラウハルトであるぞ!」
――他国の侯爵家の人間が、なぜここに?
そう思いながらサクラの顔を伺い見ると、如何にも面倒なものを引きました、と言うような顔をしていた。斯く言う俺も、相当渋い顔をしていたと思う。
「あー、で、その侯爵家の三男様が、一体何のために他国で盗賊稼業を?」
こいつは何も知らされず、ただ使い捨てにされた駒だ。
危害を加えることは避けなければならない。
……面倒だな。
早くギルドが身柄を引き取ってくれないだろうか。
「平民風情が!口の利き方に気を付けろ!」
顔を真っ赤にして貴族が叫ぶ。
「これはこれは、大変な失礼を。まさか、他国の侯爵家の方が、盗賊に成り下がっているとは思いもせず、失礼をいたしました。」
お道化てみせる。
こちらも大事な妹に刃を向けられたのだ。
多少は言い返しておいても良いだろう。
こちらの態度が癇に障ったのか、手足の動かせない三男坊が、俺の顔に唾を吐きかける。
その瞬間、周囲の温度が下がったような気がした。
「……今、お兄様に対して、何をなさいましたの?」
シアの言葉は小さく、凍るように冷たかった。
空気がひび割れるような音を立て震え始める。
その変化に頭に血が上った三男坊は気付かない。
「貴様らなど、我が帝国の誇る技術の前には――」
「お兄様のお顔に、汚らわしいものを吐きかけた、その罪を償いなさい。」
パキン、パキン、と、氷が内側から破裂する音が響く。
次の瞬間、三男の四肢が音とともに砕け散る。
支えを失った身体が地面に落ちる。
「がっ!あ?へ?あ……腕が……脚が……」
魔力の奔流が遺跡の中に風を吹かせる。
四肢だけでなく、胴体も凍り付いていく。
「おい!シア!やめろ!」
哀れな貴族は既に気を失っている。
噛み締めたのは己の無力さ。
「お兄様の慈悲に感謝することです。その罪、本来ならば命で償ってもらうところです。」
そう言うと、呼吸を整え、シアが残念そうにこちらを向く。
「お兄様、ピクニックどころではなくなってしまいました。折角、お弁当を用意して参りましたのに……」
「あ、ああ。」
直前までの冷酷さとのギャップに上手く言葉が返せなかった。
「と、とりあえず、傷口は凍らせたままにしておいてくれ。止血の用意が無い。ギルドの到着を待とう。あと、しばらく眠らせておいてくれ。」
日が傾きかけた頃、ギルドからの要請で派遣された衛兵隊がやって来る。
襲われた時の状況、そこの四肢を失って眠らされている男が、帝国の侯爵家の三男であること等を伝える。
「戦争になれば、苦しむのは民であるというのに……」
衛兵隊の隊長が言う。
その顔には悲しみが滲んでいた。
衛兵隊との話を終えると、彼らは盗賊を連れ帰還していった。
それを見送り、シアたちの元へ戻る。
「お兄様、ご依頼の薬草を採取しておきましたわ。」
と笑顔のシアと、感情を押し殺して俯いているサクラが待っていた。
「お弁当は食べられませんでしたが、依頼も済みましたし帰りましょうか。」
シアがそう言うと景色が歪んでいく。
行きが転移だったのだから、帰りもそうか、と考えているうちに王都の門に着いていた。
先に帰還した衛兵たちは未だ着いていなかった。
「お兄様、私もお役に立てましたわ。」
そう言ってシアは満面の笑みで依頼の薬草を手渡してくる。
「それではお兄様、また。」
非の打ち所の無い、完璧な礼をして、シアは去っていく。
その後ろを、表情を殺したサクラが軽く礼をしてついて行く。
「……元々、罠だったのかもな。」
空を見上げる。
夕刻の迫った曇天から覗く朱が、少しばかり顔を明るく見せていた。
「薬草は薬草だ。困ることは無いだろう。」
そう呟き、ギルドに報告へと向かう足取りは重かった。




