第16話 震える手。秘めた決意。
傷の治りが遅い。
災厄による傷には治癒術式の効果が薄く、術技師が追加の薬剤を調合していた。
治癒官は交代で術式を使用していた。
彼らの顔にも疲労の色が滲む。
この治療の経過は記録され、災厄による傷の治療状況として報告される。
各国が連携して、未曽有の災厄に対する備えをしているのだった。
キャンプの中央には炎が灯され、周囲を赤く照らしていた。
交代で周囲への警戒の任に就く護衛と、休憩中に歌い踊る姿は対照的に見えた。
冒険者はギルドの運用する武力であるとともに、それぞれは独立しており、歌に秀でる者、舞踊に秀でる者など、こういった場での雰囲気を和らげていた。
技術連邦の調査官と錬金公国の術技師は、捕縛した獣の解剖、生体変化などを議論し、詳細な記録を記していた。
そんな中、シアは少し離れたところで膝を抱えていた。
「お嬢様、お食事でございます。」
「ええ、ありがとう……」
サクラが即時の準備をしていく。
「お嬢様、お食事を摂らないと、体力が持ちません。少しでも、召し上がってください。」
「ええ……分かっています……。」
そう答えるが、とても食べられる気分ではなかった。
目の前で兄が異形の攻撃を受け、そして負傷した。
制止されていたとはいえ、防げたはずだった。
護れたはずだった。
自責の念に苛まれる。
気付くと、サクラの気配が消えていた。
「……サクラ?」
もう大丈夫だろう、と、治療が終わった。
皆の顔に疲労の色が見て取れた。
「ありがとう、助かった。」
「これも、貴重な情報です。」
息を整えながら治癒官が言う。
「災厄の魔力による傷に対し、神聖術式を始め、既存の治療法の効果は限定的でした。あなたが怪我を負った事、それは決して無駄な事ではないのです。自分を責めないでください。」
医務官がそう言って励ましてくれる。
治療にあたってくれた各国の、全員がその言葉に頷く。
まだ無理はしないでくださいね、との言葉を背に受けながら、医務テントを出る。
歌や踊りに盛り上がる者もいれば、確保した獣の調査をしている者も見える。
各々がそれぞれの責務を果たし、つかの間の休息を享受していた。
その中からシアの姿を探す。
離れたところに一人でいるのを見付け、近寄っていく。
「珍しいな、一人だなんて。サクラは?」
「ええ。つい先程まで、一緒にいたのですが……。」
さては、自分が来ることを見越して気を遣ったな、と、思いながら、シアの隣に腰掛ける。
「すまない、心配をかけた。」
「本当に心配をしました。無茶はなさらないでください。」
シアは俯きながら、静かに言う。
「そう言えば、シアは怪我していないのか?」
袖が破れているのを見て、尋ねる。
言われて初めて気が付いたように、シアが自分の腕を見回す。
そこには血も傷も、その痕跡すらも見当たらなかった。
「……大丈夫そうですわ。衣服だけ、掠めたのでしょうか……。」
「そうか、無事なら良いんだ。」
と安堵の溜息を吐く。
「大事な妹に傷を付けたとなりゃ、父上が立場を忘れて怒鳴りつけに来るからな。」
やれやれ、といった大げさな身振りにシアが笑う。
「ふふっ、お父様ならやりかねませんわ。」
そう言いながら笑うシアに、先ほどまでの暗い雰囲気は無かった。
「お兄様。」
真剣な面持ちでシアが言う。
「……どうした。」
受け止めつつも、平静を装う。
「私、とても、怖いのです。」
どこか遠くを見ながら、シアが言う。
「お兄様が傷付くのを見ると、心が張り裂けそうになるのです。」
そう言うシアは、小さく震えていた。
「……心配をかけて、すまなかった。」
そう言って、震えに手を重ねる。
シアは、一瞬身体を強張らせるが、その手にもう一方の手を重ねる。
「お兄様、ご無理はなさらないでください。私は、私には、お兄様しかいないのです……っ!」
ふと、孤独だった自分と、恵まれながらも孤独だったシアを思い出す。
重ねられた手を持ち上げ、顔の前で両手で包む。
「……大丈夫だ。俺を、信じてくれ。」
涙で顔を歪めながらも、無理矢理笑って見せてくれる妹を、守ってやれるのは兄である自分だけだ、と、感じていた。
シアの手を包む自分の手は、そこにもう不安を感じてはいなかった。
欠けた月が、かつての賑わいを懐かしむ様に、静かに、一夜の宴を見守っていた。




