第2話 魔法が解けたら編 〜セシル襲来〜
終わった……
魔法師団本部。第四部隊(通称:魔4隊)事務室。
書類の山に囲まれながら、アリスティアは昨日の舞踏会の失態を、頭をかかえて思い返していた。
……よりにもよって格上の相手の鳩尾に、思いっきり拳を入れてしまった。
しかも、魔法師団とは犬猿の仲の近衛兵団の王子こと、若くして王太子付きになったエースにだ。
やってしまった……
しかも久しぶりのドレスで気が大きくなって、もう貴族でもなんでないのに令嬢ぶってしまった…!
声に出さずに唸りながら頭を抱えていたアリスティアは、そこまで考えて、はっ!とする。
そういえば昨日、私名前呼ばれてない。
もしかして、セシル・レグノーは私のことを知らないのでは……
そうだ。きっとそうに違いない。というか、そうであれ!
脳内でセシルは”自分のことを知らない”ということでケリをつけて、仕事に取り掛かろうとしていると、バンッ!と乱暴に扉が開いた。
事務室に入ってきたのは、筋肉隆々の中年の大男、この魔4隊の隊長、バーク・ランベルだ。
彼がアリスティアを昨夜、舞踏会に無理やり連れ出した張本人である。
3年前、父親が横領の罪に問われ、アリスティアの家は取り潰されている。
父親を逮捕したのがこのバークで、それ以来何かと彼はアリスティアを気にかけ、面倒を見てくれている。母親はというと、父親が捕まるや否や若い不倫相手と雲隠れした。一人、ポツンと男爵家に取り残され、途方に暮れていたアリスティアをこの魔4隊に入団させてくれたのもこのバーグだ。
そして最近は、年頃になっても恋人の一人もいないアリスティアを心配して、彼女の親代わりとして彼の夫人に頼んで、流行りのドレスや小物を用意して舞踏会に連れ回しているのである。
もっとも、アリスティアにとっては大きなお世話であるとこの方が多いのだが。
バークは事務室に入るなり、部屋中に響き渡るような大きな声でアリスティアに話しかける。
「おー、アリス。昨日の舞踏会、途中で見当たらなかったけどよ、まさかお前、誰かにお持ち帰りでもされちまったんじゃねぇのかー?おじさん、ついつい心配になっちゃってよー」
わーはっはっはと豪快に笑うバークを中心に、事務所内はアリスティアを揶揄う声で溢れかえる。
魔法師団には女性隊員も少なくて野郎ばかりだ。そのため浮いた話などなく、こういった話題が一度上がると、待ってましたとばかりにお祭り騒ぎとなってしまう。
バンっと立ち上がり、アリスティアはバークを睨みつけながら口を開く。
「違いますよ!…靴擦れしたんで帰ったんです」
勢いよく立ったものの、よもや王太子付きの護衛魔法師を殴りつけたとは言えず、アリスティアはだんだんと声が小さくなってしまう。
すると、そのアリスティアの様子を見た隊員たちは、また盛り上がって、ヤジを飛ばす。
「あれー?アリス、照れ隠しかー?」
「へー、アリスが”帰りました”ねぇ?」
「”ごきげんよう”とか、言ったんじゃないですか〜?」
と、散々な言われようだ。
「だから何もなかったって言ってんじゃないですか!!うるさい!このセクハラ野郎ども!」
周りのヤジに悪態をつくと、アリスはどすんと座って、仕事に取り掛かる。周りもそれ以上は揶揄うのをやめて、笑いながらそれぞれの仕事に戻った。
アリスティアが、しばらく積み上がった書類の山を片していると、隣のデスクの同僚、レイン・カルドが書類を書きながらアリスティアに真顔で話しかけてくる。
「…魔2のやつが若い女性陣から聞いたらしいんだけど、あのセシル・レグノーが、赤毛の女と抱き合ってたんだって?…お前、何かやらかしてないよな?」
「…し、知らない。何言ってんの。てか、あんたに関係ないでしょ。そんなこと」
なんでもうそこまで話が回ってるんだ…。
アリスティアは目を泳がせながら、書類を書くフリをする。
するとレインは仕事を止めて、アリスティアの方を訝しげに頬杖をつきながら眺める。そして納得していない様子で口を開いた。
「ふーん。ならいいけど。お前結構迂闊だからな。
間違ってもあんなチャラついた近衛のキツネ野郎とイチャコラすんなよ?」
まるでアリスティアのことを監視するようなレインの眼差しに耐えきれず、アリスティアは両手でレインの顔をぐいと押しやる。
「わかってるってば。もういいでしょ。仕事に戻りなって」
レインがアリスティアの手を避けながら、お前さー、とまた反論を口にしようとした時、今度はトントンっとお行儀よく事務所の扉を叩く音が響いた。
どうぞーと誰かの気の抜けた返事の後に扉を開けて中に入ってきたのは、ちょうど話題になっていた、あの、セシル・レグノーだ。セシルの顔を見たアリスティアは、咄嗟に頭を下げて、身を縮こまらせる。
なんであいつがここに!
まさか、殴ったことの因縁をつけにきたんじゃ…
セシルとは一切目を合わせずに、アリスティアは縮こまっている。私は空気ですよーと心の中で念じているのを知ってか知らずか、セシルはツカツカとバークの元へ行き、持っていた書類を彼に手渡す。
「ランベル隊長、次回の近衛兵団と魔法師団の合同演習に、王太子が視察をすることが決まりまして。それについての警備についての書類をお持ちしました。
次回の合同演習ですが、こちらの第四部隊は現場進行でのご参加でしたよね?」
「おー、セシル君か。了解した。こちらでも目を通しておこう」
バークとセシルはなにやら仕事の話を交わしている。どうやら1週間後の合同演習の件についての話のようだ。
良かったーと、アリスティアが小さく息をついていると、上から声がした。
声の主は言わずもがな、あの因縁の相手である。
「あぁ、これはアリスティア嬢。昨夜の舞踏会ではどうも。
足の怪我はいかがですか?次回はぜひ私とも一曲踊っていただけないでしょうか」
ギギギっと音が鳴りそうなぎこちなさでアリスティアが上を見上げると、嫌味なほどにこやかな笑みを貼り付けたセシルが彼女を見下ろしていた。
周りの隊員たちも何事かと、固唾を飲んでこちらを見守っている視線がアリスティアとセシルに突き刺さる。いつもではあり得ない静けさが事務室内にただよっていた。
ば、バレてたー!全然知られてたー!最悪だー!
アリスティアは内心パニックになりながら、なんとか口を開く。
「…どうも。また機会がありましたら」
はははっと引き攣った顔でなんとか笑みを返すアリスティアにセシルがニヤリとして、一歩近づいて彼女に話しかけようとすると、アリスティアの椅子をレインがぐいっと自分の方へ寄せ、セシルから遠ざける。
「すみません。まだアリスティア嬢は勤務中故、プライベートの話は勤務が終わってからにしていただけますか」
2人の会話に割って入ったレインにセシルは目を大きく開く。
そして、セシルを睨みつけるレインを見て、なるほど?と小さく呟くと、レインに対して笑顔を向ける。
「これは失礼。では、アリスティア嬢、また後ほど」
セシルはアリスティアの肩に手をポンっと置いた後、彼女の頬についた髪の毛をゆるく後ろに流す。そして、そのまま事務室を出ていった。
セシルがガチャリと事務室の扉を閉めた途端に、爆発したように部屋中からアリスティアへの質問が飛び交っていく。
「え!?今の何?何が起きたんだ!?」
「ちょっとアリス嬢!?」
「まさか本当に何かあったのか?え?」
「うわー!俺らの紅一点がよりによって近衛のやつなんかに持ってかれたのか!?」
「ときめきメモリあったのか!?そうなのか?アリス嬢!」
次々と遠慮なく、好き勝手に放たれる質問責めにアリスティアは、わなわなしながら大声で叫んだ。
「うるさーい!仕事中ですよ!いい加減仕事してください!!」
真っ赤な顔でふーっふーっと息を荒げながら叫んだアリスティアを見て、隊員たちは、そんなこと言ってもなー?など口々にぶつくさ文句を言いながら、各自の仕事に戻っていく。
アリスティアが席についてぶつぶつ文句を言っていると、その様子を黙って見ていたレインがアリスティアに話しかける。
「何?後ほどって。あいつとなんか約束でもしてんの?」
「いやいや、約束もなにも、そもそも昨日だってそんな大して話してないし。約束なんかしてるわけないじゃん」
こそこそと2人が言い合っているのを見ていたのか、アリスティアとレインの直属の上司であるフレデリックは、2人の肩にポンッと手を置いた。
「なにー?痴話喧嘩?おふたりさん」
ニヤニヤとしながらフレデリックは2人の顔を交互に見る。
2人は、は?と口を揃えていやいやいや、と否定する。
「そんなんじゃないですってフレデリック先輩!」
「そうですよ。あまりにこいつが迂闊でマヌケだから」
2人の否定をフレデリックは、あー、はいはい、といなしながら、にっこりと笑った。
「よし、わかった。今日この後3人で飲みにでも行こう。話はその時にな」
そう言い終わると2人の了承も得ずに、フレデリックは2人の頭をぐしゃぐしゃーと雑に撫でる。
「だから、さっさと今日の仕事終わらせなよー、おふたりさん。」
その日、仕事を終えると3人は、宿舎の近くの魔法師団員御用達の居酒屋に来ていた。
おつかれー。と、フレデリックのかけ声と共に3人は持っていたビールのグラスをカチンと合わせる。
そして、ごくごく飲んでいると、フレデリックがニコニコしながら、今日のセシルの襲撃についての話題をアリスティアに振る。
「アリス嬢〜。昨日あのセシル氏となにがあったの〜」
んー?っと楽しそうに首を傾げるフレデリックと、無言でこちらを見ているレインにアリスティアは一瞬、もぐもぐと唐揚げを食べていた手が止まる。が、すぐさまビールをごくごくの流し込んだ。そして、うんざりしながら口を開く。
「だからなんにもないですって。…足痛めて休んでたらたまたま会って、少し話してただけですよ」
もごもごと話しながら、アリスティアは2人の方を見ないで、ビールを飲みながらトマトを口に運ぶ。
そんなアリスティアの姿に、フレデリックは何かを察しているような笑みを浮かべ、チラリと無言で酒を飲んでいるレインを横目で見る。そして、再びアリスティアに視線を戻すと頬杖をついて、タバコに火を付けた。
「どーせ、抱き合ってたってのもアリス嬢なんでしょ?なんでそうなったの?」
ど、どうしてフレデリック先輩までそれを!
アリスティアは、咄嗟に浮かんだ言葉をなんとかビールで流しこむと、ため息を付く。そして、フレデリックがタバコを吸ったのに合わせるようにアリスティアもタバコに火をつけ、この性格の悪い、ニヤニヤしている先輩に白状する。
「…セシル氏と話してたら誰か来て、その人たちを撒くのに利用されただけですよ。だから、本当になんでもないんですって」
…まぁ、殴り飛ばしたことはバレてないから、まあいっか。
と半ばヤケクソになりながら、アリスティアは彼らとは目を合わせずにタバコの煙を吐く。
アリスティアの発言を聞いてイラついたのか、レインが眉間に皺を寄せている。
「…やっぱりお前が迂闊なんじゃねーか」
いつもよりも低い声でイライラしている様子のレインと、ニヤニヤしているフレデリックを見て、アリスティアはさっさと飯を食ってトンズラすることに決めた。
自分の取り皿にあった物を平らげると、残っていたビールを一気に飲む。そして、テーブルにドンっと空いたグラスを置くと、席を立つ。
「うるさいわね!んじゃ、ご馳走様でした。私はお先に失礼します!!」
財布の中から、数枚お札を抜き取り、バンッと置くと2人にお辞儀をして、半ば駆け足で店を出て行ったアリスティアに、フレデリックは爆笑している。
あいつ…と、アリスティアが去って行った方を不満気に見つめるレインを笑いで滲んだ涙を拭きながら、フレデリックは口をひらく。
「……あーあ、逃げられちゃった〜」
勢いよくお酒を煽ったレインは、ジョッキをドンっっと下ろすと、小さな声でつぶやいた。
「…あのゴリゴリ隊長があいつを舞踏会なんかに連れ回すのがいけないんですよ」
「…あっはっは。まぁ、隊長には隊長の気持ちもあるんじゃない?笑ほら、彼女も色々複雑だしさ」
まぁ、今日は話聞いてあげるからと言って、フレデリックは店員におかわりのビールを2杯頼む。店員に注文をしているフレデリックを横目に、今度は自分が標的になってしまって逃げ場を失ったことを後悔するレインであった。