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第6章

 俺は、ここ数日の教訓を活かし、人目につかず、かつ白石美月から発見されにくいであろう絶好のポイントを探し当てていた。

 校舎裏手にある、今は使われていない焼却炉の隣のベンチだ。


 日当たりはいいし、風は心地いい。

 他の生徒たちの喧騒も、どこか遠くに聞こえる。


 今日こそ、今日こそは平和に俺のソーセージパンを完食してやる。

 そう固く誓い、俺はパンの袋を破った。


「よーた! こんなところにいた!」


 その、太陽みたいに明るい声が聞こえた瞬間、俺のささやかな平和は、あっけなく崩れ去った。


 振り返ると、そこにいたのは、ポニーテールを元気に揺らしながら走ってくる、快活な少女。

 俺の幼馴染、早坂あかねだ。


「探したんだからね! 最近あんた、昼休みになるとすぐどっか行っちゃうんだから」

「そりゃ、平和を求めて旅に出てるんだよ」

「はいはい、意味わかんないこと言わない。それ、美味しそうじゃん。一口ちょうだい」


 あかねは俺の返事を待たずに、俺のソーセージパンにがぶりと噛みついた。

 こいつのこういう遠慮のなさは、今に始まったことじゃない。


「お前なあ……」

「んー、おいし! で、本題なんだけどさ」


 もぐもぐと口を動かしながら、あかねは真剣な顔つきで俺を見つめてきた。


「最近あんた、変よ」

「…………そうか?」

「そうだよ。なんか、上の空っていうか、いつも何か考え事してるし。それに……」


 あかねは、少しだけ声を潜めた。


「あの白石美月と一緒にいるとこ、よく見るんだけど。生徒会室とか、図書館とか。あんた、あの人に何かされてるんじゃないでしょうね?」


 図星だ。図星すぎて、心臓が変な音を立てる。


「な、何かって何だよ。別に何もされてねえよ」

「ふーん…………」


 あかねは、じっと俺の目を覗き込んでくる。

 こいつのこういう勘の鋭さは、昔から厄介だ。

 嘘やごまかしは、大抵見抜かれてしまう。


「ならいいけどさ…………。でも、心配なんだよ」


 彼女の表情から、さっきまでの快活さが消える。

 そこにあったのは、俺の身を案じる、真剣な眼差し。

 その距離の近さに、少しだけドキッとしてしまう。


「あの女、完璧すぎて怖いのよ」

「完璧……?」

「そうだよ。成績トップで、スポーツ万能で、お家は名門。おまけにあの美貌でしょ? ミス一つしないし、誰にも媚びないし…………。まるで、人間味がないっていうか」


 その言葉が、妙に胸に引っかかった。


 完璧? 人間味がない?


 確かに、眼鏡をかけている時の彼女はそうだ。

 氷の仮面をつけた、完璧な女王様。


 だけど、俺は知っている。

 あの仮面の下にある、もう一つの顔を。


 体育館で、潤んだ瞳で俺を見上げてきた、か弱い天使の顔を。

 図書館で、俺の膝を枕にして、幸せそうに寝息を立てていた、無防備な少女の顔を。


「…………あいつ、そんなに完璧なだけの奴じゃ、ないと思うけどな」


 思わず、口から言葉がこぼれていた。

 自分でも驚くほど、自然に。


「え?」


 あかねは、きょとんとした顔で俺を見ている。


「よ、陽太? あんた、なんであの女のこと庇うの……?」


 その声には、明らかな戸惑いと、ほんの少しの、痛みのような響きが混じっていた。

 しまった、と思った。俺としたことが、墓穴を掘っちまった。


「いや、庇ってるとかじゃなくて! ただ、まあ、なんだ。あいつも色々あるんだろ、多分。人間だから」

「…………」


 あかねは、何も言わずに俯いてしまった。

 揺れるポニーテールが、なんだか寂しそうだ。


 気まずい沈黙が、俺たちの間に流れる。俺が何か言おうと口を開きかけた、その時だった。


 キーンコーンカーンコーン。


 またしても、チャイムに救われた。

 

「あ、もう予鈴だ。俺、教室戻るわ」


 俺はそそくさと立ち上がり、その場を離れようとする。


「…………陽太」


 背後から、あかねが小さな声で呼び止めた。


「うん?」

「…………ほんとに、気をつけてよね。私、あんたの幼馴染なんだから。心配する権利くらい、あるでしょ……」


 その声は、いつもの元気いっぱいなあかねからは想像もできないほど、か細かった。


 俺は「おう、サンキュな」とだけ返事をして、足早にその場を去った。


 教室へ向かう廊下を歩きながら、俺はまだ、頭の中の整理がついていなかった。

 

 あかねは心配してくれてる。

 いい奴だ。それは、痛いほど分かってる。


 でも、あいつは知らないんだ。

 白石美月は、ただ「完璧」なだけの女じゃない。


 怖くて、冷たくて。

 でも、脆くて、甘えん坊で。


「…………わけわかんねえよ、ほんと」


 俺は誰に言うでもなく、そう呟いた。


 あかねの寂しそうな顔も、心配そうな声も、この時の俺の頭からは、すっかり抜け落ちてしまっていた。

 俺の心は、もう完全に、白石美月という巨大な謎に、囚われてしまっていたのだから。

 

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