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第4章

 俺は、まるでラスボスの魔王城にでも足を踏み入れる勇者の気分で、生徒会室の重厚なドアをノックした。

 中から「入りなさい」という、温度の感じられない声が聞こえてくる。


 約束通り、俺は白石美月による『個人指導』を受けるためにやって来たのだ。

 生徒会室の中は、彼女の性格をそのまま反映したかのように、塵一つなく整然としていた。


 磨き上げられた長机、ずらりと並んだ革張りの椅子、壁一面の本棚には歴代の資料がファイルされて隙間なく並んでいる。

 そこは高校の部室というより、どこかの大企業の役員室のような、息が詰まるほどの威圧感を放っていた。


 そして、その部屋の主、白石美月は、一番奥の席に女王様のように腰掛け、優雅に腕を組んで俺を待っていた。


「五分遅刻よ、田中陽太。私の貴重な時間を、これ以上無駄にしないでくれるかしら。まあいいわ、そこに座りなさい」


 彼女が顎で示したのは、長机の、彼女の真横の席だった。

 

 なんでよりによって隣なんだよ。

 もっと距離を取らせてくれ。


 そんな俺の心の叫びも虚しく、彼女の命令は絶対だ。

 俺は観念して、その革張りの椅子に恐る恐る腰を下ろした。


 「さて」と、美月は俺が持ってきた数学の教科書とノートを、値踏みするように手に取る。


「……この有様は、想像以上ね。あなたの脳は海綿か何かでできているの? スカスカじゃない」

「うっ……、返す言葉もねえ……」

「当然よ。あなたのような劣等生には、私の特別な教育が必要だわ」


 そう言うと、彼女は自分の椅子を、グイッと俺の方へ引き寄せた。


 近い。

 距離感が、明らかにおかしい。


 肩と肩が触れ合うか触れ合わないかの、絶妙なゼロ距離。

 昨日の体育館で感じた、彼女の甘いシャンプーの香りが、ふわりと鼻腔をくすぐる。

 心臓が、ドクン、と嫌な音を立てた。


「まず、この問題。なぜこの公式を使うのか、理解しているの?」


 彼女の細く白い指が、教科書に書かれた数式の列をなぞる。

 その指先の動きを目で追おうとするが、どうにも集中できない。

 意識が、すぐ隣にある彼女の存在にすべて持っていかれてしまう。


「聞いているの?」

「あ、ああ! 聞いてる聞いてる! えっと、それは、だな……」


 しどろもどろになる俺を見て、美月はわざとらしく大きなため息をついた。


「はぁ……。本当に、手が焼けるわね。これでは埒が明かないわ。もっと、分かりやすく教えてあげる」


 そう言うと、彼女はすっくと立ち上がった。

 そして、何を思ったか、俺の椅子の後ろに回り込む。


「え、ちょ!?」


 俺が戸惑いの声を上げるのと、彼女が俺の肩に両手をつき、ぐっと身を乗り出してくるのは、ほぼ同時だった。


 背中に、柔らかくも確かな弾力を持つ感触が、ぐっと押し付けられた。

 彼女の胸だ。

 制服の薄い生地越しに、その温かさと、しなやかな質量がダイレクトに伝わってくる。


 俺の背筋は、カチンコチンに固まった。

 耳元では、彼女のかすかな吐息が聞こえる。


 まずい。これは、あらゆる意味でまずい。


 俺が思考停止に陥っていると、彼女はさらに追い打ちをかけてきた。

 覆いかぶさるような体勢になったことで、完璧に着こなされていたブラウスの第一ボタンのあたりに、わずかな隙間が生まれている。


 そして、俺の角度からは、その隙間の奥に、彼女が身に着けている純白の下着の、繊細なレースがちらりと見えてしまった。

 普段の彼女の、氷のようなイメージとは真逆の、あまりにも女性的なディテール。


 脳が、ショートする。


 俺が必死に教科書に視線を固定しようと努力していると、すぐ耳元で、悪魔のような囁きが聞こえた。


「集中しなさい」


 その声は、愉悦に濡れている。


「それとも…………私の身体が、そんなに気になるの?」


 挑発。

 間違いなく、これは彼女による、意図的な挑発だ。


「ち、違う! そんなわけないだろ!」

「あら、そう? 顔が真っ赤よ」

「これは、その、部屋が暑いからで……!」

「ふふっ」


 彼女が、笑った。

 それは、いつものような冷たい嘲笑ではない。

 

 もっとこう、獲物をいたぶって楽しむ、猫のような、蠱惑的な笑みだった。

 俺の動揺した姿を見て、心底満足している顔だ。


 やがて彼女はゆっくりと身体を離すと、元の席へと戻っていく。

 背中から温もりが消え、俺は安堵と、ほんの少しの名残惜しさという、矛盾した感情に襲われた。


「どうやら、あなたには思った以上の『集中訓練』が必要みたいね」


 彼女は満足そうに口の端を吊り上げ、そう言った。


 ああ、そうか。

 俺は、ようやく理解した。


 これは『個人指導』なんかじゃない。

 昨日宣言された、『特別監視』の一環なんだ。


 俺をからかい、その反応を見て楽しむための、彼女だけのゲーム。

 俺は、この女王様の新しいおもちゃにされてしまったらしい。


「さあ、続きを始めるわよ。あなたが完全に理解できるまで、今夜は帰さないから、覚悟なさい」


 その言葉は、もはや脅迫にしか聞こえない。

 とんでもないことになった。心臓はうるさいし、頭はくらくらする。


 これから始まる、地獄か天国か分からないこの『個人指導』。

 俺の理性は、果たして最後まで持つんだろうか。

 

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