今日、会社に報告します!
「けっこん?」
「ええ、相手の方が私の姓になるので事務処理はないと思いますけど、ご報告まで」
「今度は騙されてない?」
心配そうな顔の事務のお姉さま。おお? という顔でその上司が見ていたりする。
結婚するんです、報告は実は2回目だ。それが結婚詐欺とわかって撤回したことも思い出す。周囲が触れていけない話題としているのかその件が蒸し返されることはなかったが。
「ちゃんとした方ですよ」
人ではないが。
根掘り葉掘り聞かれる前に切り上げた。前回の舞い上がりっぷりを思い出して恥ずかしい。
さっさと席へ戻る。
病気で休んでも仕事の量が減るわけではない。仕事の山は崩しているが、あまり減らないのは定時退社ばかりしているせいもある。
私の仕事というのは機材管理である。一般社員のPCから自社サーバーなどの保守の更新や新規購入などの手続きが主なものだ。
すぐに締め切りがあるという仕事ではないが、締め切りを過ぎたらもう手遅れだったりするので先に終わらせるものである。
突発的に必要になってレンタル品の手配を頼まれることもあるし。
上司一人に部下二人の三人体制なので一人抜けるときついところはある。
「なんか不備でもあった?」
上司にそわそわしたような様子で聞かれた。
「いえ、事務処理的ななんかです。
あ、一応報告しておきますね。
結婚します。式なんかの日取りは未定ですけど、年内には」
「え!」
でかい声を出された。
フロア中に響き、注目されるくらいにはでかかった。
なになに? 問題? と各部署の部長クラスがわらわらとやってくる。
「なんでもないです」
「そうそう。
ちょっと心底驚いただけで」
「なにがあったんだい?」
間が悪いことに役員の人もきてしまった。
なんだか隠すほうが大事になりそうである。
「結婚する報告したら、大声出されました」
なんということでしょう。
気まずそうな顔で皆が散っていった。口々に、ごめん、だの、すまん、だの言って……。
お祝いしてけよ。
偽装だけどお祝いしてよ!
「結婚までに破談にならなきゃいいな」
「パワハラで訴えますよ」
肩をすくめて上司は仕事に戻っていった。
変則的勤務時間を選択している同僚がほどなく出社してきた。周囲を見回してちょっと首をかしげている。
「おはようございます。あれ? どうしたんです? 変な空気」
「そっとしておいてやれ。今、一番幸せそうなところ」
「はぁ!? そうなってなんですか」
「まえ、すごい落差があった。仕事はするが、鬼気迫りすぎて怖かった。俺はそれの心構えをしておく」
「ああ、あれ、やっぱり彼氏さんだったんですね。
この間、動物園で見かけましたよ。ホッキョクグマ水槽ずーっと見てましたよね。うちの子も好きで張り付いてました」
「……声かけてくれればいいのに」
確かに出かけた。ただし、二人ではない。アリアと旦那さん、それからツイさんもいた。せっかくこっち来たんだから遊びたいと言われたのだ。
ホッキョクグマをぼーっと見ていたのは、ツイさんと涼さんの二人なのでどっちを認識したのかは不明である。
「なんか、楽しそうだったから今度は大丈夫じゃないですか」
「そうだといいんだが」
……まあ、偽装なのでそのうちにこっそり離婚しました報告をすることになるのだが。
やっぱり、会社に報告はいらなかったかな……。
その日は妙に穏やかに過ぎ去った。
今日も残業をせずに退社した。いつもは夕飯の買い物でもして帰るところだが。
「待ちました?」
「10分くらい」
涼さんが会社の入っているビルの外で待っていた。
私に憑いてた怪異は一応説得はしたし、納得している風だがいつ気が変わるかもしれないので一人にならないようにお迎え付きになった。
朝は駅までは来てくれる。満員電車2回でもう嫌だと拒否されたからだ。いや、別に頼んではいないが、とは言わずにおいたけどさ。
なんだか、一緒に居る理由をみつけてはそこにいるような気がする。……自意識過剰かな。
「今日はどこだっけ?」
「丸の内の景色の良いレストラン。楽しみ」
結婚式用の貸し切りもできるレストランの下見に行くことになっている。そう言う名前のデートということにしておく。
なんとなく手を握って、歩調もあわせてくれる。
視線を向けるとなに?と言いたげに見てくるし。
こ、これは落としにかかっているのでは!? という都合の良い幻想は置いておこう。すきになっちゃうじゃん! というのも、あるがそれも棚上げだ。
優しい婚約者役のロールプレイ完璧です。終わったらなに貢ぐことにしようかな。やっぱり祠を新築に。そこから微妙に古く見えるようにして、中は快適にして。
「なに考えてるわけ?」
「祠の中ってどうなってるのかなって?」
「自己領域を展開してるのが普通。で、なにを考えてそういうこと考えたわけよ?」
「新築の件で。
内装は凝ったほうがいいのかなって思ったんだけど、いらなそう」
嘘は言ってない。
いらないと思うけど棲むモノの要望を聞いておいてくれるらしい。仲良くしているみたいだ。なんだかちょっと複雑だ。
元彼と今彼が仲良い、みたいな。
もっとも、知らぬ元彼で、偽装彼氏なわけだが。
お店はほどよく混んでいた。
少し高級な洋食店である。メインはステーキ。でも、お魚もちゃんとある。前菜もワインに合わせたようなパテとか生ハム系をそろえている。
軽い飲みからディナーまでいけそうな店である。
「ここがいいかな。
夜景もきれいだし。お値段もお手頃」
ただし、こういう貸し切りにしては、である。普通に十万単位飛んでいく。さらにドレスのレンタルやら色々な手配を考えると頭が痛い。
間に合うの? 半年と言いながらもうすでに一か月経過している。いや、普通の結婚式の準備も半年前から本格的になるというし、いけるいける。
「決める?」
「ええ。あとで申し込みしましょう」
結婚情報のサイトから申し込むと特典があったりするから。
それからデザートまで堪能する。
珈琲まで飲み干して、そろそろお会計かなと思ったが、なんだか涼さんがそわそわしている。
「どうしました?」
「……手を出して」
「はい?」
ぽんと箱がのった。
「プレゼント?」
「婚約指輪」
「……え」
「ないと変だろ。結納とかもしないわけだし」
「ありがとうございます」
箱の中にはダイヤモンドの指輪があった。
一つ石のシンプルなものだ。きらめきが……。
「あの、高級そうなのだけど」
「たいしたもんじゃない」
……。
箱を見るのは無作法だとわかっているが、確認しないと落ち着かない。
銀座の有名店の店名があった。
「……大事にします。あと、お返しもします」
気軽にもらっていいレベルではない。
神妙に応える私。しかし、涼さんは面白くなさそうだ。眉が寄っている。
「喜ぶと思ったんだけどな」
「恐れ多すぎてそこまでいけません……」
元々お高い婚約指輪でも桁が一個違う。偽装で用意するレベルじゃない。
そのあとは無言で指輪をつけられた。
「これで、ここは思い出の店という理由もできた」
「あ、そういうことまで考えてたんだ」
「プロポーズどこでしたの? というのは地味に困る質問だった。お披露目もするならそれなりに用意しなければいけないだろ」
「お手数をおかけします」
「で、指輪返して」
「え」
「刻印とかしてもらってないから店に一回戻す。名前を入れるつもりだけど、要望は?」
確かに裏面はつるりとしたものだ。
「じゃあ、涼さんの名前も入れて欲しいな。なんか浮かれたような♡を挟んでもいいよ」
「……考えておく」
渋い顔で了承した。
かくして指輪は出戻った。
それが戻ってくるまでにはお返しも考えておかないと……。
「ええとお返しは新築の祠でいいですか?」
「普通に、スーツ一式がいい。腕時計はつける習慣はないからね」
「オーダーしに行きましょう。そうしましょう」
新しい出かける予定が増えるのは楽しい。
期限が決まっているからこそ、イベント入れ込もうと思える。
笑って、またね、と言って別れても思い出せるように。
指輪のサイズがぴったりというと。
褒めてと言いたげな触手が一本伸びてきてご褒美のなでなでをもらう。
なんで僕が褒められないんだという本体は不満である。