コンビニ等での立ち読みという悪癖について想うこと
毎日の自宅から勤務先との往復の道程においては、片手に余るというよりも両手の指の数に近いコンビニが実はあるのですが。
(細かく言うと、少し寄り道をせざるを得ないコンビニを含みます)
先日、とうとう全てのコンビニで、雑誌等の立ち読みが完全に不可になりました。
10年余り前から、最初は漫画雑誌のみだった(筈な)のですが、徐々に一般の週刊誌や漫画本等までシールを貼る等して、雑誌等の立ち読みができないコンビニが増えていましたから、何れはそうなる、と私も覚悟はしていましたが、本当にそうなると一抹の寂しさを覚えてなりません。
そんなことを言うと、
「きちんと雑誌等を買えば済む話だろうが」
等と叩かれますが。
そうは言っても、一般の書店でも漫画等の立ち読みが出来た昭和の末頃を知る身としては。
何とも言えない時の流れを感じてならないのです。
私の記憶が間違っているかもしれませんが、昭和の末頃、1980年代後半になるまで、少なくとも私の近所では、一般の書店でも漫画の単行本にはカバー等は掛かっておらず、漫画の単行本の立ち読みが出来るのが当たり前でした。
でも、その頃から徐々に漫画の単行本には、ビニールカバー等が掛かるのが当たり前になり、1990年代に入ると漫画の単行本は書店では立ち読み不可が当然になりました。
実際問題として、漫画の単行本とか、小一時間も掛ければ読み通せるのも、よくありますから、書店側にしてみれば、当然の自衛策だった、と今になっては考えざるを得ません。
その一方で、その頃からコンビニが完全にありふれた存在になり、それまでは書店で漫画雑誌を立ち読みしていたのが、コンビニで漫画雑誌を立ち読みするのが、よくあることになった覚えがあります。
実際にその頃と言うか、つい最近まで、コンビニの出入り口近くには雑誌等のコーナーがあって、それが防犯対策の一つになっていた覚えまで、私にはあります。
雑誌等のコーナーで立ち読みする客の目があることで、コンビニを襲いにくくする効果を期待するとのことで、本当に時の流れを感じます。
ですが、1990年代から2000年代、更に2010年代と時が流れるにつれて。
書店では漫画の単行本どころか、徐々にいわゆるライトノベルや雑誌等までカバー等が掛けられて、立ち読みができる雑誌や書籍は減る一方になりました。
2024年現在となっては、書店にある大半の書籍や雑誌にカバー等が掛けられて、立ち読みが出来なくなっている気さえ私はします。
(そうは言っても、細かく見れば、専門書や教養関係の新書、古くからある文庫の一部等にはカバー等は掛かっておらず、まだまだ立ち読みが出来る書籍等が、書店には残ってはいますが)
コンビニでも、徐々に漫画雑誌の立ち読みができるところが減るようになり、更には漫画雑誌以外の一般の週刊誌等の雑誌、更にはコンビニ限定といえる漫画本にまでもシールを貼る等して、立ち読みが徐々にできなくなっていく一方になりました。
そして、つい最近というか、2020年代に入ると、そもそもコンビニの雑誌や漫画コーナー自体が縮小する一方になった気がしてなりません。
ほんの一時ですが、2010年代半ばから後半に掛けて(だったと想うのですが)、コンビニで一般書籍まで扱おうとしたことまであったのが、本当に夢のように感じてなりません。
立ち読みは店にとって迷惑だ。
そう言われれば返す言葉がありませんが。
そうは言っても、新社会人になって以降、長きに亘って、朝の通勤途中で、少し漫画等の続きを斜め読みしては、飲み物や昼食を買って、勤務先に向かっていた我が身としては。
どうにも時の流れ等を感じざるを得ないのです。