王女殿下は夢を追う
「おふたりが居てくださって、助かりました」
ミサはそういいながら、友好関係にある国の国王夫妻に、深く頭をさげた。
宮廷の大広間に隣接した、控え室の前である。冬至の祭りは一時的な混乱のあと、多くの貴族を追い出して続けられている。
ミサは自分の職務を果たしたあと、父王に命ぜられ、こちらへやってきた。控え室には、宴の席で突然、陳情をしはじめた娘が、眠っている。貴族のひとりに刺されたのだ。
王后はぼんやりした表情だが、王はにこやかに手を振る。彼は炎王とあだなされていた。その、力故に。
「いや、この国の助けになったのなら、よかった。以前、我が国を助けてくれましたからね」
相手は国王夫妻だが、年齢はミサとほとんどかわらない。だからなのか、炎王の気質なのか、ざっかけない口調だった。以前、ヴァルと一緒に訪れたことがあるのだけれど、初対面からこのような態度だった。最初は軽んじられているのかと思ったが、裏表のない素直なひとで、そういう気質なのだとわかった。
あちらの国には、不可思議な力を持ったものが多く存在する。古くからの貴族ならばほとんどがそうだ、という話も聴いた。この国には、少数の人間を除けば、ほぼ存在しない。忌むべきもの、と捉える向きさえある。
炎王は、自分がつれてきた、怪我を治療する力を持った従僕に、穏やかにいった。「しばらくついていたほうがいいのなら、そうしてくれ。ミサ殿下のゆるしがあればだが」
「勿論、是非そのように」
従僕が部屋へ戻ると、炎王はにこっとして、王后の顔をのぞきこんだ。「しばらく大人しくしていてくれ給え。怪我をすぐに治せない。君が怪我をしたら、わたしは哀しみで死んでしまう」
王后は夫を見詰め、小さく頷く。この、小柄で愛らしい王后は、非常に無口だ。無口、という度を超している。以前、あちらの宮廷へお邪魔していた時にも、ミサは何度か彼女や、炎王の妹が催したお茶会へ招かれたのだけれど、その席でも彼女は口をきかなかった。そして、あちらの宮廷の人間は、彼女が口をきかないことを、気にしていない。無口振りは徹底していて、こちらの宮廷へきてからも、ひとことも声を発していなかった。
ただ、常々炎王が、『王后は破格のひとだ』と手放しで誉めていたとおり、彼女は素晴らしい働きを見せてくれた。あの娘を襲った貴族に、フォークで立ち向かったのだ。フォークを掴み、立ち上がり、声を発することなく刺した。貴族は腕を少し怪我しただけだったが、小柄な女性にフォークでやられたという衝撃は大きかったようで、彼も、彼に加勢しようと動いていた貴族達も、気勢をそがれた。ひとり、ばかなことに令嬢達を更に攻撃しようとした者が居たが、炎王が火を操る不可思議な力をつかい、蝋燭やたいまつから動かした火をぶつけた。それで、あっという間に鎮圧されたのだ。
ミサは小さく息を吐き、目をぎゅっと瞑った。開いて、炎王を見る。王后は子どものように、夫の手を握っていた。かすかに震えているから、彼女もおそれていたのだろう。「我が国のはずかしいところを見られてしまいました。あのようなことが日常的に起こっているのではないと、ご理解ください」
「わかっています」炎王は優しく、いう。「どこの国にでも、あるものですから」
ミサは額に手を遣り、頭痛に顔をしかめる。ああまったく、どうしてこうも問題が尽きないのだろう。
「ミサ、気分が悪いのか?」
あたたかい声に目を向けると、ヴァルが困り顔をしていた。「お前はなんの関わりもないのに、どうしてお前が後始末をしなくちゃならない。ほら、部屋まで運んでやるから、もう横になれ。また頭痛だろ?」
ミサは安堵の息を吐いて、大柄な彼へ寄りかかった。
「ありがとう。でも、やることがまだあるから」
ミサはこの国の王の、長子として生まれた。男だと思っていた父王はがっかりしたそうだが、国は沸いた。
すぐに妹、それに少し間を開けて弟も生まれたけれど、ミサは特別扱いだった。彼女は物覚えが異常によく、些細なことにも気付く。学者達はミサに、次々といろいろなことを教えた。数学、幾何、化学、物理、外国語、古語、詩、音楽……ミサはありとあらゆるものを吸収し、覚え、自分のものにしていった。
ある日、ミサには不可思議な力があるとわかった。
ミサの力は、水に影響する。それは、単なる『水』だけではなく、体のなかの水分や、あらゆるものに含まれた水分を対象としていた。勉学や詩、音楽が楽しくて、熱中し、我を忘れると、ミサは体調を崩した。水に作用する力が彼女の意思とは無関係に働き、体のなかの水分が本来とは違う動きをしてしまうのだ。また、どこからか水をひきよせることも、多々あった。だから、ミサは常に冷静で居ようと心がけた。
その為には、安堵させてくれるものが必要だった。だから、一番大切なヴァルを選んだ。
それが間違いだったのだ。
不可思議な力は、この国ではあまり誉められたものではない。だから、持っている人間も、はっきりいうことはない。だが、王家への忠誠心に富んだケイジュ家は、長男のヴァルが不可思議な力を持っていることを理由に、なにか悪いことがあるかもしれないと、彼を廃嫡するといってきた。植物に干渉する力故、悪用が簡単だと。
父王はそれを停め、ミサに彼をひきあわせた。不可思議な力を持っている者がまわりにおらず、孤独のなかで感情をおしこめていたミサに、友人をと思ったのだ。
ミサはヴァルと会い、すぐにうちとけた。ヴァルは尊大な口を利き、ミサに対して、男にするような態度をとった。それがミサにとっては、楽だった。そして、安心は、不可思議な力の暴走を防いだ。
それに、ふたりの力は相性がよかった。ヴァルは植物を育てるのがうまく、庭を自分好みに、自分でつくりかえる程だ。彼は植物が好きだ。名前を覚えるのは苦手だが。
ミサの力は、水を運んだり、植物に水を行き渡らせたり、役に立った。不思議と、水に近付いていると、暴走は滅多にない。体がひえているのがいいのかもしれないと、不可思議な力を研究している学者にはいわれた。
熱中していて力が暴走し、水が襲いかかってきても、ヴァルはそれに怒らなかった。俺もよく失敗するぜ、と、くすくすしていただけだ。
彼しか居ないと思い、ヴァルと婚約したいと父王に願った。
幼かったミサは、自分の立場をしっかりとは理解していなかった。
婚約以来、ヴァルは不可解な事故にまきこまれたり、怪我をしたり、果ては毒を盛られたりと、ろくなことがなかった。皆、ミサが優秀なこと、そして法律上、女王が立つこともありえない訳ではないことを考え、邪推したのだ。ヴァルが王配になる、と。堅苦しい、今まで悪い噂のひとつもないケイジュ家が、王家に対して甚大な発言力を持つようになると。
そして、父王はどうやら、それを考えているらしい。ミサを女王にし、弟王子を王太子とする。それでいいのではないか、と。
ミサはヴァルの為に、彼とは親しくないような態度をとった。彼と結婚しても、ケイジュ家が王家に影響力を持つことはないと見せる為に、ケイジュ家ともさほど交流はしなかった。婚約前に何度か訪れたヴァルの庭は、だから今どうなっているのか、ミサは知らない。
それに、友達もつくらなかった。話が合わないというのもあるが、誰かと親しくなったらその誰かが傷付くかもしれないと、そうおそれて。
段々と、ヴァルの被害は減り、ミサに直接襲いかかる災難が増えていった。ヴァルはそれからミサをまもろうと、ほとんどいつも一緒に居てくれている。それが心苦しくて、王女として開かないといけないお茶会やなにかには、彼を呼ばないこともある。
ヴァルはそのことに、何度か、とても怒った。なんの為に自分は居るのか、と。お前の楯になれるならそれでいいと断言するのに、ミサも怒った。ヴァルに傷付いてほしくない。絶対に。わかってくれないのにはらが立って、扇を投げつけてしまったこともあった。
婚約を解消すればいいのに……。
ヴァルをこれ以上傷付けたくないけれど、ヴァルが居なくなったら自分がだめになることもわかっている。
「……お父さまに、話したいことがあるの……」
「ミサ?」
ぼんやりと口にしたミサに、ヴァルは不安げな目をくれる。「なあ、ミサ、もしか、俺のことを疑ってないよな? あの令嬢とは、俺は少し口をきいたぐらいだぜ。そりゃ、舞踏会で踊ったことはあるけど、それくらいはほかの令嬢ともしてるし」
ミサはヴァルを見て、微笑んだ。「疑う理由はないでしょう。ヴァルはあの日、わたしに話してくれた。わたしを心配している令嬢に、わたしのつくった手巾を渡したって」
「ああ」
ヴァルは小首を傾げ、宙を見た。「きちんと説明したんだが、あの令嬢、聴いていなかったんだろうか」
一昨年の夏のことだ。ミサはヴァルに誘われ、舟遊びに行った。もともと、ふたりは毎年そこを訪れていた。ミサは物事に熱中したり、体が熱くなったり、いらいらしたりすると、水に干渉する力が暴走する。だから、夏場は涼しいところで過ごしているのだ。ヴァルからは、お前は熱いと溶ける氷と同じだ、とからかわれていた。
いつもならすいているところだったのに、舟遊びがはやったからか、貴族達が大勢居た。ミサは詩の本を開いて、心を静めようとした。うまく差せなくて、日傘を外したのが悪かったのか、段々と熱くなってきた。特別製のガウンは、体温の上昇を防いでいる。けれど、露出している顔や手はどうしようもない。それでミサは、手を水へ浸して、少しでも熱を下げようとした。
それなのに、水が『動く』のが感じられたから、とっさにごまかしてしまった。水が宙にうくところを見られたくないと思ってしまった。不可思議な力を持っていることを隠していたかった。
そして、掬い上げた水は、ミサの意思とは無関係にヴァルにふりかかった。
あとは、動揺で、はっきり覚えていない。宿へ戻ったミサは、涼しい庭でぶらんこに揺られていた。久々の暴走で、動揺がおさまらなかったのだ。
そして、ぶらんこの縄が切れた。
ついてきていた従僕達が調べて、誰かが細工したとわかった。
ミサがそのぶらんこをきにいっているのは、夏場、彼女を見ていれば誰にでもわかる。誰かがやったのははっきりしていた。
ヴァルはぶらんこの木を調べ、誰が細工したのかを割り出そうとしていた。彼は植物に干渉できるから、その力をつかって、誰が触ったのかもわかることがある。けれど、痕跡はわずかで、ヴァルにも判断は難しかった。
そこに、あの令嬢がやってきた。侯爵家の娘だ。
彼女は、縄が千切れたのを見た、といったらしい。そして、ヴァルの気持ちはわかるといって、泣いたそうだ。ヴァルはだから、ミサを心配してくれているのだと考え、ミサのつくった手巾を渡した。ミサのつくったものだ、と。ミサも、君の気持ちをありがたいと思うだろう、と、そのようなことをいったらしい。
それ以降、ヴァルは何度かあの令嬢と顔を合わせたが、会話らしい会話もしていない。
だが、あの令嬢にとっては、違うのだろう。
愛していないのに……か。
彼女は、ミサがヴァルを家柄で選んだと思っているらしい。女王になる為に、都合のよい男児を許嫁にした、と。
家柄や職務や、事情によって結婚することは、ミサは悪いとは思っていない。父王もそういう結婚だった。それでも、夫婦仲は睦まじく、うまくいっている。愛を本気で誓っても別れる夫婦だっている。
だが、自分のヴァルへの気持ちを疑われたのは、愉快ではなかった。
ミサはヴァルの頬に、手を伸ばした。彼はやたらに、まるで木みたいに背が伸びたので、随分頑張らないといけない。
ぺたり、と、頬を触る。
「ミサ?」
「ヴァル、一緒に来て」
低めた声に、ヴァルは微笑んで、ああ、といった。お前となら、どこまでも、と。
わたし達もいいかな、という炎王とその妻も一緒に、ふたりは大広間へ戻った。そこには、もう、父王と、弟王子、古くからの貴族しか居ない。貴族は、爵位を持っている当人だけ、或いはその代理の嫡男だけだ。来賓達も居なかった。これは、大事な行事で、ひとが刺されたくらいで中止にできるものではない。皆、楽しげに冬を祝い、酒をのみ、肉を食べている。
ミサはおざなりにお辞儀をする。ヴァルは丁寧だった。彼は、憎たらしいくらいに冷静なのだ。ミサの暴走にも、動揺することはない。
「お父さま、宜しいでしょうか」
父王はやわらかい表情で、ミサを見た。「おお、ミサ。疲れたろう。あの娘達から話は聴いた。チャルロウの娘が、ヴァルに愛されているなどと、妄言をいったらしい」
そんな名前だった、と、ミサはやっと思い出した。
あの娘と一緒になって陳情した子達は、あの娘のいうことを真に受けていたそうだ。ヴァルからもらったという手巾があれば、それも仕方のないことかもしれない。ヴァルには同じ手巾を数枚、あげた。彼がつかっているのとまったく同じものを持っているのだから、なにか特別な関係だと思っても、不自然ではない。
だが、あの娘の話には、無理があった。今年にはいってすぐ、ヴァルとミサは、炎王の国へ留学している。ミサの体調が崩れた為に静養する、といい、ヴァルも領地に居ることになっていたが、不可思議な力を学ぶ為にそちらへ行っていた。
その期間、ヴァルは絶対に、この国に居ない。だがあの娘は、ヴァルさまの領地でふたりですごした、といっていたらしい。
もともと、思い込みの激しい娘のようだ。ヴァルとすごしたと楽しげに吹聴していた日時は、即座に調べがついた。半分ほどはヴァルには不可能な情況だったという。
父王は言葉を濁したけれど、チャルロウ、というのを聴いて、尚更ありえないとミサにはわかった。不可思議な力をきらう人間は幾らでも居るが、チャルロウ家は反対で、不可思議な力を持っている人間は国の為に働けばいいといっている。ヴァルはそういう考えをきらっていた。個人の力に依存する貴族は、だめになる。ひとりの絶大な力よりも、大勢の少しの力が領地をよくする。それは国でも同じではないのか、と。
ヴァルなら、もしミサ以外に心を動かすとしても、不可思議な力をいい方向にも悪い方向にも特別視しない相手を選ぶだろう。それくらいは、わかっているつもりだ。もう十年以上、一緒に居るのだから。
娘達は、チャルロウの娘に騙されていたが軽率だった、として、多くは謹慎処分になるそうだ。冬至の祭りでの陳情を提案した娘は、ほかよりも処分が重く、参内をしばらく禁ずる。
チャルロウの娘に関しては、参内を今後一切禁ずる。また、監督不行き届きで、チャルロウ家は転封になる。娘は転封先で生涯をすごすことになるだろう。
王女の扇動で娘達が陳情した、といっていた貴族達は、武器をかまえていたもの、実際に娘を刺した者は、謹慎、そして転封になる。どのような理由であれ、神聖な祭事を破壊しかねなかったからだ。
ミサは父王が静かに語ったことをすべて聴くと、小さく頷いた。
「お前はあの娘の思い込みにまきこまれただけと、はっきりした。もうさがりなさい」
「その前に、お父さま、お願いがございます」
「今は祭りの最中だ。あとになさい」
「いえ、今、皆さんにも聴いてもらいたいのです」
ミサは貴族達を眺めまわし、父王へ目を戻す。
「今度のことは、わたくしも原因のひとつ。神聖な冬至の祭りを失敗させていたかもと思うと、身の毛がよだちます。かりにあの娘の思い込みであっても、今後かようなことが起こらぬとも限りません。わたくしは、責任をとって、王女の称号を返上したく思います」
場が静まりかえった。ヴァルの父、ケイジュ卿が、するするとひげを撫でている。
父王がうわずった声を出す。
「しか……しかし、ミサ。お前は無関係だったではないか?」
「わたくしがヴァルさまにつめたくしていたのが原因のようです。それは、王女として、特定の人間との付き合いを殊更深くしないように努めてきたからこそ」ミサは肩をすくめ、率直なところを口にした。「正直に申します。もう、疲れました。わたくしは、女王になりたくはありませんし、自分の愛するひとや友人が傷付くかもとおそれるのは、もうごめんです」
ミサの言葉に、貴族達がざわめく、なかには、顔色が悪くなった者も居た。ミサが女王にならぬよう、工作してきた連中だろう。
「しかし……しかし、ミサ、お前のような才のある人間が……」
「陛下、申し訳ございません、わたくしからも申し出がございます」
ケイジュ卿が、穏やかにいう。「我が息子ヴァルは、軽率な行いであの娘に誤解をさせました。嫡男としてあるまじき行い。もともとそうかしこくもないですし、廃嫡いたしたく」
父王は流石に、言葉がないらしい。
ミサは驚いたが、ヴァルを仰いで、安堵した。彼はちょっと肩をすくめて、いったのだ。「あれは十年以上前にも聴いたことだ」
「ヴァル、地図を見せて」
「ああ」
ひと月後、すったもんだの末に宮廷を出たミサは、ヴァルと一緒に、荒れた山道を歩いていた。
王女の称号については保留、ただしミサが強硬に主張したので、女王になることはないと決まった。ヴァルは無事に廃嫡され、法的にはケイジュ家とは無関係になっている。
宮廷から出たかった。ヴァルや自分を傷付けようとする誰かに怯える日々は、もういやなのだ。だからミサは、都を飛びだした。ヴァルも一緒だ。
「こっちか」
「ほんとに?」
「地図ではそうなってる」
荷物を背負いなおし、地図を振ってみせる。ヴァルは肩をすくめる。「仰せのままに」
王国の端には、未耕作の地域がある。以前は一歳下の妹の化粧領だったが、嫁いでいった彼女はミサにそれを託した。ひとは年中通しては住んでおらず、時期になると山林の果実をもぎに、近在からひとがやってくるだけの土地だ。都からも遠くはなれているし、『普通』の人間なら数百人単位での移住が必要になるだろうと考え、その準備をすすめるにとどまっていた。
そこへ行って、ふたりは好きなように植物を植え、畑を耕そうと考えていた。ヴァルは植物に干渉でき、ミサは水を操れる。そう困りはしないだろう。
そうしたいというと、邸よりもっとひろい庭なら、ゴルフもし放題だ、と、ヴァルは喜んだ。
お金の心配は……まあ、しばらくはない。ミサは自分の化粧領の上がりを、幾らか貯めていたし、ヴァルにも蓄えはあった。めずらしい植物を株分けしたのを売り、今回の費用に充ててくれたのだ。それで大工を雇い、先に行ってもらっている。簡単な小屋に、最低限の家具があれば、それでいい。さいわいにも、井戸の心配はないから。
「ご飯にする?」
「ああ。咽も渇いた」
「じゃあ、好きなだけ水をあげるよ」
ミサの言葉に、ヴァルは笑う。
炎王は、我が国へきませんか、と誘ってくれた。ただ宮廷に逗留するだけでもいいし、貴族にしてもいい、と。
我が国では、その力はここほどめずらしいものではない、と、ふたりをはげましてくれた。王后も、小さく何度か頷いていたから、ふたりを気にいってくれてはいるのだろう。
『異質』な自分達が限りなく『普通』に近い場所は、心地いい。以前、勉強に行ったから、知っている。でもミサは、断った。今のところは、と付け加えて。炎王は微笑んで、いつでも食事に招けるようにしておく、といった。
峠にさしかかって、ヴァルが手庇した。遙か遠くの山の稜線を見ているらしい。
「いい景色だな」
「うん……」
少しだけ不安はあったが、次第に気持ちは和らいでいった。別に、失敗してしまってもいい。ヴァルとふたりで居られるのだから。
ヴァルは振り向いて、にっこり笑った。
「ミサ、最初になにを植える? お前の好きな薬草茶なら、すぐに飲ませてやれるぞ」
ミサは彼の腕をとった。ずっと歩いてきて、とても熱いのに、力は暴走しなかった。