偽物王子の願いごと
「レナルド殿下! これ持って行ってくださいよ」
「立派な野菜じゃないですか」
街を視察、という名で歩いていれば毎回どこかから声がかかる。それは乳飲み子を抱きかかえた夫人からだったり、遊んでいる子供だったりと様々だったが、今目の前にずいと差し出されたのは籠のなかで陽の光を浴びて輝く野菜の山。
「王宮に献上するにはまだまだなんですが……」
「これ以上に良いものになるんですか? それは楽しみだ」
王宮に近く土壌が良い土地だけれど、こまめに世話をして手をかけないとここまで立派には育たないだろう。よく見れば、少し前に作物を大きく育てるためにはどうすればいいか、と相談を受けた農夫の一人だった。小さな実がたくさん出来ていたから、もったいないけれど栄養を集めるために、より良いものを選ぶことも大事だ、とアドバイスをしたはずだ。
王宮には、と謙遜する様子を見せてはいるが、それ以上に自分に出来る感謝の気持ちを表したものが、この野菜という事だ。
その野菜を見た他の農夫から、どうやったらそんな大きく育つんだ、とか色つやが自分のところよりも良く育っているから教えて欲しい、などとあっという間に人の輪が大きくなる。
ちらりと護衛の人に視線を送れば、微笑ましいものを見ているような表情から慌てて懐の懐中時計を確認していた。小さく頷いたのが見えたので、自分を中心とした人の輪から抜け出すべく、わずかばかり声を張った。
「もっと話していたいんですが、すいません。今日は予定がありまして」
「いえ! 引き留めてしまってこちらこそ申し訳ありませんでした」
たくさんの人の耳に届くように、だけど申し訳ないと思う気持ちもあるので語尾は決して強くならないように。そう計算して出した声は、自分の思っていたような効果をもたらしてくれた。ささっと人の輪が動き、自分一人が通り抜けるには十分な広さが生まれる。
すいません、と声にしながらも決して頭を下げないように、最初は苦労したそれも、今では意識せずとも行えるようになった。そうして、護衛の人が待っていた馬車に乗り込んで一息つく。
「はあ、本当にレナルド殿下は気さくな方だよなあ」
「王宮の方々もだよ。こんな親父の言葉遣いでも許されるんだからさあ」
「何だと!」
「本当の事じゃないか。さあ、もっと立派な野菜を作るためにもうひと踏ん張りだよ」
「そうだな。あの方々には健やかに過ごしてほしいもんだ」
「……聞こえていますよ」
護衛の人が気づかれないように扉を僅かに開けていたから、出発するまでのちょっとの時間でも街の人達の声が自分の耳に届いた。それを聞けるようにわざと開けていたんだろうなとは分かったけれど、直接じゃないにせよ住人の声を聞けたのは嬉しかったので、自分でそっと扉を閉めた。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさいませ」
馬車から降りて、向かったのは王宮の奥、王族の方々しか通されない場所。そこで待っていてくれた執事のブライアンに頭を下げる。
「もう、楽にしてくださってよろしいですよ」
微笑んだ表情から変化を見せないブライアンだけれど、そう教えてくれた時には鉄壁とも思える微笑みの仮面が少しだけ崩れる。
俺も、それに合わせるように言葉遣いを変えて、被っていた猫を放り投げる。
「あいつの調子は?」
「今は少し起き上がっておられます」
「これ、見せに行っても?」
籠を持ち上げて、さっき貰ったばかりの野菜を見せればブライアンが頷いてくれた。街で見た時もそうだったし、持って帰ってくる時にも思っていたけれど、やっぱりあの親父は丹精込めて野菜を作ってくれたんだろう。執事の中でも指示を出したりとかすることが多い立場のブライアンだけど、食材の管理に関しては取り仕切っているから目利きはすごい。
まあ、ダメだと言われたとしてもこれはあいつが教えてくれたことを実践してくれた親父さんが頑張って作ってくれた野菜だから、こっそり見せはするつもりだったけど。
「もちろんでございます。きっとお喜びになりますよ」
そのままブライアンの先導で部屋に向かう。俺の話を先に伝えてくれていたからか、ノックだけですぐに通していいと返事があった。
「レナルド」
「アラン、お帰り」
「起き上がって大丈夫なのかよ」
「うん。今日は調子がいいんだ」
カーテンが開けられて風を通しているから、確かに調子はいいんだろう。だけど俺からしたら顔は白いままだし、緩やかに振っている手は、ちょっと力を込めただけで折れてしまいそうなくらい細い。
その印象は、初めて会った時から変わっていない。つまり、状況は何一ついい方向には向かっていない、という事だ。
そのまま、自分が凭れているベットの隣をポンポン叩いて座るように促されたから、隣に用意してある椅子に腰掛ける。
誰がこの国の王子が使っているベッドに何の遠慮もなく座れると思っているんだか。レナルド本人は、俺だったらいいと思っている節はあるけれど。
「この間、お前に相談したところの親父さんから野菜貰ったぞ」
「うわあ、大きく育ったね。嬉しいな」
自分の知識が役に立った、なんて嬉しそうに笑うのは、正真正銘この国の王子。水の加護を受けているというこの王国で、とても珍しい濃い紺色の髪を持って生まれて、そして今も、誰とも知れない相手からの呪いと戦っている。その髪色のおかげもあって魔力が多いから呪いに負けずにいられるだけで、本当ならばとっくに命を落としていてもおかしくないらしい。
俺は、珍しいはずの髪色が同じだったから、幼い頃に王子の影として拾われた、孤児。
「あとで料理してもらおうな。そんで、少しでも食べろ」
「そうだね。一緒に食べよう」
王子の影として、必要だからと読み書きだってまともに出来なかった俺に、辛抱強く教えてくれたのは、レナルド。王国の王子が呪いを受けているなんて、公に出来るはずがないから解呪の方法の捜索はどうやったって水面下でのものになる。それでも、もう十年。
十年もの間、あれこれ手を尽くしても解くことが出来ない呪いは、じわじわとレナルドの心まで蝕んでいる。最近では、ふとした時に諦めたような表情を見せることが増えて来た。
何か、力になれることがあればとこうやって街で元気な姿を見せては、いろんな人の反応を観察しているんだけれど、それだって全然収穫はない。
とにかく、俺が見てきた物を全部伝えてレナルドを喜ばせる、そして呪いに勝てるような気力をもたせること、それが俺の仕事になっていた。
「アラン」
「国王陛下」
しばらく話していたけれど、疲れた様子を見せたから理由をつけて退出する。レナルド本人はそうと認めていないけれど、確かに体力だって落ちてきている。目を瞑っている時間が増えているのがその証拠なのに、本人だけは一向に認めようとしないのがブライアンや護衛騎士であるウィルからしたら、お労しい、という気持ちになるそうだ。それを認めてしまったら、呪いに抵抗できなくなりそうだ、という考えだって分かるけれど。
「レナルドの様子を見に来たんだが」
いつも後ろに撫でつけている水色の髪を少し崩して、声をかけてくれた国王陛下は、今日の政務を終わらせてから来てくれんだろう。俺が帰ってくるのがあと少し遅かったら、レナルドの体力だって残っていただろう事が申し訳ないけれど、ここで隠したって部屋に入ったらすぐに分かってしまう。
「申し訳ありません。先ほどまでお話させていただいておりましたが、今はお休みになっています」
「そうか。ではアラン、その分付き合ってもらえないか」
「光栄なお申し出ですが、この後に大書架の開放をお願いしておりまして」
先に謝ったら、何故だか陛下はちょっとだけムッとした表情になったけれどすぐに何かをひらめいたかのように笑顔を向けてくれた。二度も断りの言葉を告げないといけない事は本当に心苦しいけれど、せっかくの貴重な機会は無駄に出来ない。あそこの書物は年代物ばかりで、解放してもらっても見れる時間は限られている。
そんな理由だったからか、陛下から特に引き留められることはなかった。だけど、戻る先と俺の行くところは一緒の方向だったから、共に行こうと言われれば、断れるはずもなく。
「このような重責を背負わせた我らを、許してほしい」
「許すなんて変なことを仰います。むしろ、私のような孤児をこのように扱って頂けている事に感謝しなければならないのに」
明日、息をしているかも分からないままに眠りにつき、目が覚めた時に生きていることに安心して。小さいガキだったけれど、感じていたことは確かに覚えている。
そんな生活をしていたから、こうやって、屋根のあるところで何に怯えることなく眠れる事、パンから泥をこすり落したりせずに腹いっぱい食べられる事。それはレナルドに会えなければ、影を引き受けなければ、俺一人で生きていたならあり得なかった。
「それでは、私はこちらでございますので。御前失礼いたします」
何かを言いたそうな陛下の顔を見ないように、さっと角を曲がって目的の大書架に向かう。王子が自分の都合で解放をお願いしているんだ、遅れるわけにはいかない。
約束した時間の五分前に着いたので、管理人に丁寧にお礼を告げる。俺の事を知っているのは、王宮内でも限られた人達だけで、管理人は俺がレナルドだと思ってここにいるのだから、その評判を落とすような真似は決してしてはならない。
書架のなかをゆっくりと、だけど制限時間があるので一秒たりとも無駄にしないように歩いて目的の書物を探す。
「やっぱり、書物には残っていないか」
何冊か、それっぽい題名が書いてあったから手に取ってみたけれど、収穫になるような内容はなかった。
「だいたい、中身をほとんど覚えているはずのレナルドが思い当たらなかったんだ、俺が探したところで見つからないよな」
呪いの手がかりになりそうだから、と一番多くの人と時間を割いてこの大書架の書物はさらっているはず。なにより、元気だった時のレナルドは外で遊ぶよりも、ここに入り浸っていることがほとんどだったらしく、そのレナルドが見た覚えがないと言っていた。改めて、と俺も時間を見つけては書物を探しているけれど、今のところ参考になりそうなものはない。
「そもそも十年も続く呪いなんてあり得るのか……?」
呪いの事が書いてあっても、長くて一年も保たれていない。その前に対象者が力尽きてしまうか、術者が攻撃されて解呪されているかなんだ。
それを考えたら、レナルドにかかっている呪いの十年なんて、聞いたことがない長さ。もしかして、解呪のヒントはそこにあるのかもしれないと思って、違う書物を次から次へと探してみても。
結局、その日は何も解呪の手がかりになるような事は見つけられなかった。
「呼び出し? 珍しいな」
本格的に臥せっている時間が増えたレナルドには、俺もあんまり会うことが出来なくなっていた。街で聞いたり、王子として公務に参加した時の会話なんかはメモを残してブライアンや護衛騎士のウィルに託しているから、目を通してくれているはずなんだけど。もしかして、その内容で聞きたいことがあったのかもしれない。
とにかく急いで部屋に向かったら、しばらく見ない間に今までとは比べ物にならないくらい顔色を悪くしたレナルドの姿があった。
「レナルド!」
「アラン、呼び出してごめんね」
ウィルの手を借りてベッドの背もたれにやっとの調子でもたれたレナルドは、今にも消えてなくなってしまいそうなくらい弱々しい。苦笑を浮かべているその様子から、俺にだって自分がここまで弱っていることを見せたくなかったんだろう。
「呪い、解く手段を探してくれているんだってね。王子の公務だって忙しいのに」
「……当たり前、だろ。俺は影だ」
影、という言葉に反応したレナルドが、ため息を吐いた。本当は自分がやらないといけない事を全部俺に押し付けている、と感じているのは分かっているけれど、この王国の誰だってレナルド殿下が呪いで倒れたなんて聞きたくないと思っているはずだ。それを、一番強く思っているのは俺自身なんだから。
「僕は、このまま君に王子になってもらってもいいと思っている」
「ふざけんな。お前は俺から友人を奪うっていうのか」
俺が王子になる、なんてあるはずがない話なんだ。それは、レナルドが自分の事を諦めたという意味になってしまうから。思わず怒鳴りかけたけれど、寸前で思いとどまって出来るだけ静かに、だけどハッキリと俺の意志を告げる。そういえば、レナルドの事をこうやって友人、なんて言ったのは初めてかもしれない。
「な、なに泣いてるんだよ!」
「え……?」
「レナルド殿下、横になりましょう」
自分の意図しないところで流れ出して止まらない涙に混乱しているようだったけれど、ウィルに体を横たえてもらったとたんに、目元がトロンとしてきた。そのまま、世話をウィルに任せて俺は部屋を出る。背中に小さく聞こえたありがとう、に拳を握りしめて。
「……よし!」
感情の制御ってやつは王族は幼い頃に学ぶと聞いた。レナルドが身に付けているものは、もちろん俺も勉強している。ほぼ完璧に身に付けているレナルドが涙を流したのだったら、そこまでまだ上手に出来ない俺が我慢できなくたって、怒られはしないはずだ。
それからというもの、公務を最低限に控えてもらって、解呪の方法が見つからないかを調べるためにほとんどの時間を費やすことになった。今まで一度だって弱音を吐くことのなかったレナルド、それがあんなことを言い出すなんてリミットが迫っているのだとしか思えなくて。
ずっと隣にいた存在が手の届かないところにいってしまうかもしれない、そんな焦りもあったと思う。王子としても外見も取り繕えなくなって、ブライアンから注意されることが増えて来たある日、王宮の奥、レナルドが休んでいる区域の近くが騒がしくなった。
「レナルド!」
「アラン、どうして」
そこには、国王陛下や王妃様もいて。薄いカーテンを引かれたベッドに寝ているレナルドの姿を見なくても悟ってしまった、リミットがすぐそこまで来てしまったのだという事に。
今まで呪いについて調べてきたなかで、自分なりに立てた仮説、それは検証もしないといけないからと保留にしていたんだけど、もうそんな事を言っていられる余裕がない。
やらずに後悔するよりも、出来ることはやっておかないと絶対に一生、それこそ後悔なんて言葉が生温いくらい、悔いが残る。
国王陛下は王妃様にも挨拶をしないまま、無言でレナルドの横たわるベッドに向かう俺に、ブライアンから視線が飛んできたのは分かったけど、それも無視する。
そのまま、思い切りカーテンを引っ張ってレナルドの姿を見た。さあ、勝負だ。
「……俺は、お前の事が羨ましかった!」
「アラン様?」
ギョッとした顔でこちらを見ているのは国王陛下、いきなり何を言いだすんだろうかと思わず名前を呼んでしまった様子の王妃様。こんな時だけど、俺の呼び方はまだ改めてくれないのか、と小さく笑ってしまった。
ブライアンとウィルは、さりげなく、だけど何かあった時にはレナルドの事を守れるような位置に移動する。
「王子なのに、こんな孤児の俺にも優しくて、馬鹿にすることもないし、家族のみんなも温かくて。
それを当たり前に持っているお前の事が正直、憎いと思ったことだってある」
誰にも、ずっと一緒にいたレナルドにだって告げたことのない本音。だけど、もしかしたらこれが呪いを解くきっかけになるかもしれないから。
もしそうじゃなくて、ただ単にお前を傷つけるだけで、お前が呪いに負けるというのなら、俺も共にいくから。
懐に隠し持って来たナイフをぎゅっと握って、深く息を吸う。
「だけど! お前の代わりに街に出るたびに、みんな笑顔を向けてくれるんだよ。
お前は! そんな笑顔も何もかもおいていくのかよ!!」
しんと静まり返った部屋に、俺の荒い息遣いだけが響く。間違っても王子に言っていいことじゃない言葉ばかりを吐き出した。
「……僕だって、僕だって君が羨ましかった!」
今のレナルドの体力で叫ぶなんて、出来ないはずだ。案の定、そう叫んだ後にゲホゲホと苦しそうに咳込み始めた。慌ててウィルが口元に水差しを差し出したけれど、それを手で制したレナルドは、キッと意志の強い瞳で俺の事を射抜く。
「君は自由に歩き回れるのに、どうして僕だけが、こんなに苦しまないといけないのかって、ずっと思っていたんだ!」
王妃様が堪えきれなくなった涙を、拭っている。国王陛下はそんな王妃様の肩を抱きながらも、肩を上下させて激しく息をしているレナルドを見つめている。
「僕だって、街を歩きたい! みんなの声を直接聞くのは、王子である僕の役割だ!」
パキン、と何かが砕ける甲高い音が響く。護衛が国王陛下、王妃様、そしてレナルドを守るように動いたけれど、何も起こらない。みんなが恐る恐ると動き出したときに、茫然としているレオルドが口を開いた。
「苦しく、ない……」
「え?」
「さっきまでの息苦しさも、目の前が霞んだりもしていない」
わっとレナルドの周りに人が集まる。それぞれが体をあちこち触ったり、声をかけたりと忙しくしている中で少し離れた場所にいる俺は、ふーっと長く息を吐いた。
かなり分の悪い賭けだったし、自分でもとんでもない仮説だったと思うけれど、どうやら俺は勝ったらしい。
レナルドを苦しめていたのは、レナルド自身がこうあるべきという王子の姿に囚われてそれが呪いとなっているのではないか、という仮説。
俺、という影を拾ってからもしかしたらレナルドはいつかその立場が取って代わられるのではないか、と考えていたっておかしくない。自由に振る舞っていた俺の姿を見て、自分もあのように、なんて思ったことがいつしか澱んで心に溜まっていったのだとしたら。
「言えるじゃないか、自分の望み」
「アラン、君は……」
「来るな!」
ベッドから降りて自分の足で立っている感覚が久しぶり過ぎてふらつきを見せたけれど、しっかりとした足取りでこちらに向かって来るレナルドを制するように、叫ぶ。その声の大きさに驚いて足がもつれたレナルドのことは、ウィルがしっかり支えている。ブライアンだって手を伸ばしていたし、あいつの周りには、手を差し伸べてくれる人たちが大勢いる。
だから、俺はもう必要ない。
「国王陛下、王妃様。御前お騒がせいたしましたこと、謝罪申し上げます。
更には、王子殿下へのあるまじき発言、この身をもって償いとさせていただきます」
跪いて、懐のナイフを前に差し出す。
ウィルが俺の事を押さえつけようと動こうとしたのは見えていた。王子の護衛なんだから、当然だ。今までの俺の振る舞いだって、レナルドが許してくれていたから、目こぼしされていた。それが分からないなんて、言えるはずがない。
「アラン!?」
「レナルド殿下、私は殿下の影。今までの努力も、功績も、何一つ失われることはありません」
この十年、たくさん受け止めきれないくらい幸せな時間をもらった。それは、レナルドの元に返すべきだし、返さないといけない。
本来、光を浴びるべきだった人に居場所を返すだけ。国王陛下さえ頷いてくれれば、影の役割は終わり。幸せだったという思いを抱いて、ひっそりと消えればいい。
「アラン、君は前に僕に言ったよね。友人を僕から奪う気かな?」
「……一時の、戯れだと。殿下のお人柄なら友人などすぐに集まります。こんな影の事など、お忘れください」
「僕は、君が良いと言っているんだよ。十年も一緒にいたんだ、忘れられるはずがない!」
さっきふらついたことなど忘れたかのようにまた立ち上がろうとするレナルドは、ウィルが留めてくれた。それでも言葉を重ねてくれるレナルドの気持ちは、嬉しい。友人だと思っていたのが、俺だけじゃなかった。もう、それだけでこの十年のなか、どんなに難しい書物を前にしたって、厳しい礼儀作法の教師に叩かれたことだって、全部やってきてよかったんだと思えたから。
「そこまで」
「陛下」
良く通るのに深く、渋さを感じるその声が響いたことで、レナルドに向けていた視線を戻し、頭を下げる。
「アラン、まずはお前の働きに感謝を。おかげでレナルドは再び光の中を笑って歩めるだろう」
「お言葉、ありがたく頂戴いたします」
国王陛下だって、王妃様だって、レナルドの呪いが解ける日を待ち望んでいたし、使える手は尽くしていた。まさか呪いを自分自身でかけ続けていたなんて思わなかっただろうに、そんな様子を見せることなく堂々とした振る舞いはさすがだ。この姿は、確かに俺の憧れで目標だった。
「だが、お前の言う通り、王子に対しての言葉は、いかに友人関係だという事を差し引いても無遠慮が過ぎる」
だから、続けられた言葉を素直に受け取ることが出来る。側近とか、護衛騎士が窘めるのとは訳が違う。レナルドだって、感情はともかくとして理解はできてしまうから、口を挟んで来ないんだろう。
「そこで、だ。お前、さっきその身を償いとすると言ったな」
言葉に含まれた面白そうな色を感じ取って、思わず顔を上げてしまったら、茶目っ気たっぷりにウインクした国王陛下の顔があった。
「んで、何でこんな事になってんだ?」
「アランが自分で言ったんじゃないか。自分の身が償いになるんでしょ?」
「ああ、確かに言ったよ。言ったけどなあ、それはこういう意味じゃなくて……」
目の前に座っているのは、あれからすっかりと顔色も良くなってリハビリに励み、一人で歩き回っても誰からも心配される事ないくらいまで体力を回復させたレナルド。
薄い水色を基調としたジャケットには、金糸で装飾が施されており、袖の折り返しなどの僅かに見える部分には、髪と同じ深い紺色が使われている。ズボンには、横に一本、紺のラインを刺繍してあるだけで色は同じ薄い水色。
久しぶりに街の人々の前に立つ、レナルドはとても嬉しそうに支度を終えたらしい。
そして、俺が今一番謎に思っていることは、隣にいる俺も、レナルドとほぼ変わらない服装に身を包んでいる、ということ。
「二人とも、よく似合っていますよ。双子みたいね」
「王妃様、またそのような冗談を」
「アラン? 呼び方が間違っていますよ」
「……義母上」
国王陛下の考えた、俺への罰は、影でなくて本当の王子として表に出る事、だった。当然俺は反対したのに、その場の誰もが納得した上に真っ先に喜んだのは王妃様だった。
元孤児だった俺の境遇を聞いて、すぐさま国内の孤児院を訪問しては、それぞれに必要な修繕だったり支援なんかを精力的にこなしていた人。
俺が一線引いた態度を取ることを、ずっと心苦しく思っていたそうだ。だからこそ、自分も引いた態度を取らないといけないと思っていたそうだが、息子になるのだからもう遠慮はいらないと微笑んだ笑顔には、否を唱えることが出来ない迫力があった。
「さあ、出番ですよ。愛しい息子たち」
レナルドは第一王子、そして俺が兄であるレナルドを支え、見聞を広げるため極秘に市井で育ててもらっていた第二王子、ということになるらしい。そんなんで国の人達は納得するのかと思ったけれど、意見が出ようものなら国王陛下がことごとく論破したそうだし、レナルドとして俺が街を歩いていたのも、実はこっそり弟と会っていたんじゃないか、なんて噂も流れて割と好意的に受け止められているそうだ。
「弟、ねえ……」
「何かな?」
比べてなかったから、誰も気づかなかったんだけど、俺とレナルド、実は結構身長差があった。もちろん、俺の方がでかい。呪いに抵抗することを優先として、体の成長が後回しになっていたんだろう、なんて医師が言っていたけれど、レナルドは口を尖らせて悔しそうにしていた。今でもその話題を出すと不機嫌な様子を見せるから、ウィルとちょっとだけ笑ってしまったのは内緒だ。
二人、並んで姿を見せれば、割れんばかりの歓声に迎えられた。それを聞いたレナルドは、本当に嬉しそうに笑顔を見せるし、つられて俺も表情が緩む。隣で見守ってくれている国王陛下も、王妃様も嬉しそうだ。
今までのような自由が無くなったって、このぬくもりを手離さずに済むのならどんなことだってやってやろう、って気になるんだから不思議だ。
「レナルド、変わったよな」
「アランが積み上げてきてくれたものは、崩さないよ。だけど、これからは僕なりに頑張っていこうと思うんだ」
「いいんじゃねえの? しっかり支えてやるからさ、お兄ちゃん」
お読みいただきありがとうございます。