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オークの女騎士

作者: 槌場野ビサ

「それでは今期の見習いを紹介します。サンドラ、トーマス、前へ!」


 人間の少年、トーマス・シャンソンは憤慨していた。

 憧れの湖畔騎士団、その見習い入団という華々しい晴れの日。そのはずだったのに。

 先輩騎士達の注目が、全て隣の同期の女に向いているのがわかる。──それがとても悔しい。拳を握りしめ、やり場のない感情を堪える。


「本日から見習いとして配属になりました、サンドラ・ムーンベースです。よろしくお願いします!」


 一見礼儀正しく挨拶をしたサンドラに対し、周囲は拍手と歓声で応える。それを受けてサンドラは喜びを隠せないようだ。多様な種族を受け入れる湖畔騎士団である、戸惑いは一瞬のことでもう受け入れてしまったらしい。だがトーマスは納得がいかない。

 何故なら、サンドラ・ムーンベース。彼女は──





 オークなのだから。





 ***



 オーク。

 前面に突き出た特徴的な豚鼻。大きく広がる耳。分厚い蹄。らせんを描く小さな尻尾。丸々と太った体躯は、実は筋肉質であるらしい。

 豚獣人とも呼ばれる彼らは、古の時代、獣人族であるにも関わらず魔王に味方した。そのため魔王が勇者に倒され、長い年月が経った今もなお、多くの人類から敵視されている。魔物や魔族と同一視されることもあるほどだ。現代に生き残ったオークの末裔は何処かに隠れ住んでいるという噂だが、真相は定かではない。


 それが何故か人里どころか騎士団にまで出てきて、騎士見習いになっている。それも、よりにもよってトーマスの同期として。

 一体誰に何をどうやって取り入ったのか知らないが、絶対に何かよからぬことを企んでいるに決まっている。


「先輩方は騙せても、俺の目は誤魔化せないぞ……忌まわしきオークが騎士になるなど認めない!」


 歓迎会でもみくちゃにされるサンドラを見やりながら、正義に燃えるトーマス少年はかの女オークの正体を暴くことを一人決意した。



 ***



 それからというもの、トーマスはサンドラの監視を始めた。もちろん自分の仕事もあるので、それをこなしながらではあるが。


 よく晴れた日の午前の訓練場。騎士達がそれぞれ鍛練に励む中、自身も基礎訓練を続けつつ意識はオークに向ける。なんと彼女は騎士団長直々に剣の稽古を付けられているではないか! オークの、それも自分と同じ新人のくせに!


「いいね、今の感覚を忘れないで。さ、もう一度打ち込んでごらん」

「はい、師匠! てやぁーっ!」


 裂帛の気合いと共に打ち込まれた木剣は、素人目にも重い一撃だとわかる。それを軽々といなす団長は流石巨人を祖に持つサイクロプスだと言わざるを得ない。


「サンドラ、だっけ? あの新人、団長に直に鍛えられてるだけあって筋がいいな」

「ああ、訓練態度も真面目だしな。泣き言一つ漏らさず言われたことに集中してるし」


 オークの訓練の様子を見て、リザードマンとコボルトの騎士が評価する。先輩達にまで認められるなんて、とトーマスは歯噛みする。


「聞いた話では、団長自ら拾ってきたらしいぜ」

「へぇ、そうなのか。どこでどう拾ってきたのか、気になるな~」


 トーマスも気になる。尊敬する我らが団長はどこであんな邪悪の種を拾ってきてしまったのだ。

 残念ながら先輩方は副団長に見咎められて訓練に戻ってしまい、話はそこで終わってしまった。


「おいシャンソン! 貴様余所見とは随分余裕があるようだな! 追加で十周走ってこい!」


 そしてトーマスもまたミノタウロスの教官に叱られ、オークの悪巧みを暴くという目的を果たせなくなった。訓練を疎かにしたのだから当然の結果だが。



 そして訓練が終わり、休憩時間になった。

 トーマスは枝を両手に茂みへ隠れ、サンドラの動向を観察する。何か良からぬことの兆候があれば、少しでも見逃さないために。


 あの忌まわしき邪悪(推定)なオークは今、女性騎士達に囲まれて話しかけられている。やれあの商会の化粧水がどうの、やれ流行りの菓子屋がどうの、と彼女らは和気藹々とした雰囲気を出していた。トーマスにとってはどうでもいい話題ばかりだが、いつ重要な情報が出てくるかわからない。諜報は辛抱強く待つことが大事だ。


「それにしてもさー、サンドラちゃんは偉いよねー」


 と、いつの間に話の流れでそうなったのか、ケットシーの先輩騎士がサンドラを褒めはじめた。


「ぷごっ!? な、なんですか突然」


 当のサンドラは唐突に褒められて戸惑った素振りを見せる。だがそれも本心か怪しいものである、とトーマスは訝しむ。


「だってさー、トイレ掃除とか皆が嫌がるような仕事も率先して引き受けるし、地味な作業も訓練もサボらず真面目にやるしー」

「か、買い被りすぎです。自分は当たり前のことをしたまでです」

「その当たり前をやるのが難しいんだって! そういうのも一種の才能だよー、誇っていいよー」


 そう言って肉球のついたもふもふの前足でぽふぽふとサンドラの太股(背が低いので背中まで届かない)を叩くケットシーの騎士。彼女に追随して、他の騎士達もサンドラのことを称賛しはじめる。褒め殺しの嵐に恐縮です、と照れくさそうに、しかし嬉しそうにオークの見習い騎士ははにかんでいた。


「ぐぬぬ」


 その様を見てトーマスは悔しがった。またしても悪の尻尾を掴めずに終わったのだ。



 時刻は変わって昼飯時。湖畔騎士団の大食堂は食事を求める騎士達でごった返している。


 トーマスは自分の分の昼食を貰った後、注意深く周囲を警戒しながら隅の誰もいない席につく。これはもちろん、あのオーク──サンドラを監視するためだ。

 食前の祈りもそこそこに、食事を口に含む。もぐもぐと咀嚼しながら、豚獣人の姿を探して油断なく目を光らせる。


「隣、いいか?」


 急に声をかけられて、トーマスは口の中のものを吹き出しかけ、慌てて飲み込む。完全に油断していた。まさかサンドラ当人が隣に来るなど全く考えていなかったのだ。


「おい、大丈夫か?」

「あ、ああ。ま、まぁ座れよ……」

「ありがとう」


 サンドラは弾んだ声で礼を言うと、トーマスの隣に腰かけた。そして机に蹄のついた両手を置き、何やら知らない言語でつぶやくと(おそらく食前の祈りのようなものだろう)、ぷご、とひとつ鼻を鳴らして自分の昼食をもしゃもしゃと食べ始めた。

 トーマスは自身の焼肉定食Aセットを食べながら、横目でこっそりと隣のサンドラの食膳を盗み見る。香草と野菜のサラダ、山盛りの穀物、木の実の盛り合わせ、芋虫のスープ。大型ジョッキの中身はただの飲料水。芋虫には引くが、それ以外はどこにもおかしな所はないメニューだ。


「気になるか?」


 突然話しかけられてトーマスは再びむせかけた。どうやら観察に夢中になりすぎていたようだ、気付かれていたことに全く気付かなかった。怪しまれないように取り繕わなければ、と慌てて話すべきことを考えていると、サンドラは続けて言った。


「隠さなくていい。気になるのだろう? オークの食事が」


 見ると、豚鼻にシワを寄せてつぶらな瞳をキュッと細めている。苦笑している、らしい、と気付いたのは小さな笑い声が聞こえたからだった。


「あ、いや、えっと……すまない」

「気にしなくていい。我々オークは普通人前には出ないからな、無理も無いさ」


 折角だから教えよう、と鼻と耳をひくひく動かして、サンドラは語り始めた。


「オークは雑食性なんだ。食べるのは主に植物、たまに虫もだな。故郷の村では森で木の実や虫を拾い集めたり、畑で野菜を育てたりしていたよ」


 そう懐かしむように言うと、遠くを見るように目を細めた。嘘付け人間を頭からバリバリ食べるんだろ子供の頃絵本で読んだぞ、とトーマスは心の中で言った。もしそれを本人に言ったなら、それはオーグルという魔物だな、混同されがちなんだ、と返ってきただろうがそんなことはトーマスが知る由もない。


「私個人の好みを言えば、どんぐりが好きだな。特に母の作るどんぐりケーキは絶品でな……もうしばらく食べていないが、家族は元気にしているだろうか」


 彼女は瞑目し、想いを馳せる。つられてトーマスも故郷の母を思い出しそうになったが、これも罠かもしれないと必死に振り払おうとする。


「おっと、すまない。私ばかり話してしまったな。今度は君の話を聞かせて貰えないだろうか」


 すると突然このオークは矛先を変えてきた。奇襲攻撃を食らうのはこれで三度目だ、と頭の片隅で思う。


「お、俺の!?」

「ああ。我々は同期だろう、仲良くしたいんだ」


 話したくないなら無理にとは言わないが、とまたくしゃりと苦笑らしき顔をした。お前のような悪党に話すことなどない! と言ってやりたい。言ってやりたいが、まだ何の証拠も掴めていない今それを言うのは悪手だ。だから不自然にならないよう振る舞わなければ──

 ゆえにトーマスは、渋々自分の来歴を話すことにした。


「……別に、そんな大した身の上じゃない。俺は平凡なパン屋の息子で、騎士物語に憧れて見習いになったんだ」


 言って後悔した。騎士になることはトーマスの幼い頃からの夢だが、家族には本気で受け取ってもらえなかったし、他の子供達には馬鹿にされ続けてきた。ガキっぽいだの、下らない妄想だの、どうせこいつも自分を馬鹿にするのだろう。ましてオークだ、優等生ぶっているがすぐに邪悪な本性を現して悪罵の限りを尽くしてくるに違いない──


「ふむ、そうなのか。いいことだな」


 その疑念はすぐに覆された。


「え……」


 思いがけない言葉にぽかんとしてしまう。てっきり悪し様に言われると思っていたトーマスは、どう反応すればいいのかわからない。


「夢のために努力して、こうして今ここにいるんだろう。立派なことじゃないか」


 私も負けていられないな、と言ってサンドラはジョッキの水を飲み干した。ふぅ、と一息つくと、いつの間にか食べ終えていた盆を手に持ち立ち上がった。


「では、私はもう行くよ。今日は話せて良かった。お互い頑張ろう」


 そう言い残して去って行くサンドラの後姿を、トーマスは何も言えずに見送った。

 夢の話を馬鹿にされなかったのは団長以外では初めてだった。それどころか、認められ励まされてしまった。よりにもよってあのオークに! 騙されるな、あれが卑劣なオークのやり口だ、と自分に言い聞かせるが、あの暖かい言葉が嬉しかったのも確かだった。それが無性に悔しくて、トーマスは残った昼飯を口の中へかきこんだ。



 ***



「そうしてこの半年間奴を見張り続けてきたが、何もなかったんだ」


 と、トーマスは目の前の後輩にこぼした。半年が経つ間にまた新入りが数人入り、彼らは見習い同士で分隊を組んでいた。


「はぁ、そっスか」


 そんな後輩の一人であるピクシーのエデム・トァンは気のない返事をした。虫によく似た生態の亜人の少年は、四本二対の腕をぶらりと垂らし、薄い羽根を震わせて心底退屈そうにしている。


「何故だ……これだけ見張っても一つボロを出さないなんて……!」

「そりゃ出すようなボロがないからじゃないっスかね。隊長サン、マジでいいヒトだし」


 手がかりを得られずに苦悩するトーマスに、エデムは容赦なく言い放つ。

 ちなみに隊長とはもちろんサンドラのことだ。騎士団長の直弟子で勤勉な彼女が見習い分隊の隊長に選ばれるのは当然のことだった。


「だがオークだぞ!? オークだ!! どんなに善人ぶろうがオークは魔王に味方して人類に牙を向いた! いわば敵だ!」

「でもそれって大昔の話じゃないっスか。隊長サン個人とは何の関係もないっスよ」

「ぐぬぬ……でもなぁ……」


 言い返されて何も言えなくなるトーマスを見ながら、これがなければ面倒見のいい先輩なのに、と触覚をひくひく動かしながらエデムは思った。正義感の強さがおかしな方向に作用して、サンドラを悪人だと決めつけてしまっているのだ。他のオークはどうだか知らないが、少なくともサンドラが善良な気質であるのは確かだ。意固地にならずにいい加減認めればいいのに、と思う。


「意固地にならずにいい加減認めればいいのに」

「嫌だ! 断る!」


 実際に言った。即座に拒否された。


「ここにいたのか、お前達」


 と、そこへ噂のサンドラ本人が小走りでやってきた。後ろには見習い分隊の残りのメンバー二人を引き連れている。

 一人は茶色と白の長めの被毛に三角に長いマズルを持つ、耳の折れた長身の犬獣人──コリー型コボルトのイザベラ・ツーステップ。

 もう一人は小柄で長く尖った耳を持つ、つるりとした毛のない兎のような亜人──エルフのオッポリウス・ボッサ=ノヴァだ。


「あ、おはよっス」

「ああ、おはよう。早速だが、我々に新しい任務が下ったぞ」

「新しい任務? わざわざそういうからには、いつもと違う仕事なのか?」


 トーマスが不可解そうに尋ねると、サンドラは腕を組んで頷いた。


「そうだ。この任務は正規騎士との合同任務になる」


 合同任務ー! と後ろでイザベラが復唱する。尻尾を大きくひと振りし、興味津々といった感情を全身で表現している。オッポリウスも興味があるらしく、長い耳をそばだてて──実際にサンドラの方へ両耳を向けて──話を聞いていた。エデムはというと、へぇー珍しいこともあるもんスね、と平静を装っているが背中の羽根がすごい勢いでブンブン鳴っている。

 後輩達が今回の任務に揃って興味がある素振りを見せるので、トーマスも段々気になってきた。武器の手入れや戦闘訓練、街の見回り等とは違う、合同任務とは何なのか。魔物の討伐か何かだろうか?


「ええいもったいぶらずに早く言え! 今度の任務は何だ!」

「そう急くな。いいかよく聞け、今回の合同任務の内容は……」



 ***



「……オークの隠れ村の巡回、か」


 山道を歩く騎士達の中で、落ち葉を踏みしめながらトーマスはぽつりとつぶやいた。なんでも正規騎士の業務のひとつで、今回は先輩方の仕事を学ぶために特別に同行することになった、とのことである。


「これが正規の仕事ということは、サンドラ隊長は以前から湖畔騎士団の方々と面識があったのですか? 隊長も隠れ村の出身なのでしょう?」


 オッポリウスの質問に対し、サンドラはいや、と首を振って答えた。


「私がいた村は隣国の方にあるんだ。だから騎士団の管轄外だな。この騎士団の先輩方とは入団してから初めて会ったことになる」

「へぇ~、そうなんスか! じゃあ隊長サンは隣の国からわざわざこっちに来たんスね!」


 すげー、と声を上げてエデムが感嘆する。成り行きでだよ、とサンドラが返して、トーマス以外の見習い分隊の面々は世間話に興じ始めた。村の住人の同族がメンバーにいるから気が緩んでいるのかもしれない。敵の本拠地へ行くというのに呑気なものだ、ピクニックに行くんじゃないんだぞ、とトーマスはぼやきたくなる感情を飲み込んだ。


『お喋りはそこまでだ。目的の村が近付いてきたぞ』


 と、正規騎士の隊長が念話を発した。その声にハッとして顔を上げるが、まだ村の姿はどこにも見えていない。


『この木をよーく見てみろ、見習い諸君。一見何もないようだが、このあたりに印があるだろう』


 と言ってもサンドラは知っているかな、とトレントの隊長はとある樹木の幹を枝で指し示す。よく目を凝らして見ると、目立たない位置に知らない言語で何かが刻まれているのがわかった。


「くんくん……この印のところ、何かの草の汁の匂いがします!」


 それに加えてコボルトであるイザベラの鼻には匂いが嗅ぎとれたようだ。


「この匂いは……スネア草か。それにこの印は古オーク語の文字。私の故郷でも使っていた隠れ村の目印だ」


 同じく嗅覚の優れたサンドラが答えを言うと、その通り、と隊長は満足げに葉を揺らした。


『このように山や森に隠れ住んでいるオーク達は村への道のりに印を刻み、草の汁を塗る。そうやって目印にしているんだ。だからオークの隠れ村へ巡回する時は、嗅覚の優れた者を連れて行くように』


 もしくは俺のように木々の感覚を知れる者をな! と豪快に笑って(顔が無いので声での判断になるが)、隊長は先に進んだ。その後を追って隊員達、見習い達が続く。

 いよいよ悪の巣窟に乗り込むのだ、そう思うと一層気合いが入る。トーマスは前を歩くサンドラの後姿を盗み見る。仲間のもとに辿り着けば、あのオークが本性を現すこともあるかもしれない。ここからが肝心だ。


「ふ、ふふ、ふふふふ……」


 待っていろ、悪しきオークめ。今に引導を渡してやる。

 騎士達の後ろを歩きながら、トーマスは一人怪しい笑みを浮かべていた。



 それからいくつか印の木を辿った頃、一行は森の中に作られたオークの隠れ村に辿り着いた。


「おお……こんな山の中までようこそおいで下さいました、湖畔騎士団の皆様」


 出迎えた村長は年老いたオークだった。耳は垂れ、顔や鼻にはつぶらな瞳が埋もれてしまうほど深いシワが寄っている。彼は曲がった背筋を更に曲げて、深く礼をした。その謙虚な様子に、トーマスは肩透かしを喰らった気分になる。


『こんにちは、村長殿。今回も世話になる』


 村長に対し、隊長は騎士の礼で返す。二人からは見知った間柄が感じられた。

 そうしてしばらく近況などを話していたが、ふと騎士達の中に同族がいることに気が付いて、村長はシワの中から両目が見えるほど瞠目した。


「なんと、これは驚いた……! よもや騎士団の中にオークがいようとは!」

『彼女は我が騎士団の新入りだ。まだ見習いだが、よく働いてくれている』

「サンドラ・ムーンベースです。初めまして、村長殿」


 隊長に促されて、サンドラは騎士の礼をとった。その姿におお、と村長が震える。


「嗚呼、精霊よ……! 我ら罪深きオークから、見習いとはいえ騎士となる者が出ようとは! どうか立派に務めを果たしておくれ。祖先の罪を償うためにも……」

「はい、村長殿。いつか一人前の騎士となり、世のため人のために力を尽くすと誓います」


 懇願する村長の手をとり、サンドラは力強く言った。その目は優しく、慈悲と決意の光を湛えていた。

 そんなオーク達の姿を見て、トーマスは少なからず動揺した。彼らは倒すべき悪で、昔から人々に仇なす邪悪な存在だ。そう信じ続けてきた。今だって本性を現して襲いかかってくるに違いないと、そう思っていたのに──ここにいるのは弱々しい老人と高潔な見習い騎士ではないのか?

 ありえない、とかぶりを振るがしかし、トーマスの脳裏には今までのサンドラの姿がちらついて離れなかった。真面目に働き、善行を重ねる彼女の姿が。


 やがてしばらくして落ち着いた村長に案内され、騎士団は村の巡回を始めた。

 内部は深い森の中にまばらに家が建っており、地面に木漏れ日が降り注ぐ。そんな小さな村の中で、住人であるオーク達は慎ましく暮らしていた。ある者は野菜畑を耕し、またある者は木の実や虫を採集する。機織りをする者もいれば、水汲みをする者もいる。かつてサンドラが語ったような、穏やかな村の姿がそこにはあった。

 トーマスがそのことに戸惑いながらふと目を向ければ、木の陰からこちらを見ているオークの子供と目が合った。幼いオークの子はびくりと体を震わせると、ぴゃっと母親のもとへ逃げて行ってしまった。


「はは、逃げられてら」


 そのことをエデムにからかわれたので、軽く頭をはたいて黙らせた。こっちは今それどころではないのだ。


 その後も魔物の被害は出ていないか、食糧は十分足りているか、他にも何か困ったことはないか等を聞き込み、異常がないことを確認し──そうして村中を見回っているうちに日が沈み、やがて就寝時間になった。


 トーマスは眠れなかった。今まで思い描いていたオーク像が間違っていたということを思い知らされたからだ。ここの村民達は誰もが質素で大人しい。トーマスがその目で見たのは絵物語や町の噂で語られるような残虐非道な悪などではなく、人里離れてひっそりと暮らすしがない村人達の姿だった。

 サンドラのこともそうだ。何を血迷ったのか山を降りて騎士見習いになって、誠心誠意働いて、一人前の騎士になる日を夢見ている。今ならわかる。彼女は立派な人物だ。なら今まで自分のしてきたことは──

 と、そこまで思考して寝返りをうったところで、ごそごそと動く音が聞こえた。不信に思って起き上がり、天幕をめくって音のした方を覗くと、夜闇の中で何処かへと向かう丸っこい人影が見えた。まさか、と消えたはずの疑念が鎌首をもたげる。トーマスは思わずサンドラを追って寝床を抜け出した。



 月明かりの下、村はずれの開けた小高い丘の上。白い花が咲き乱れる中で、サンドラは一人佇んでいた。その姿を見て、何事もなかったことにトーマスは密かに安堵した。


「眠れないのか?」


 トーマスの気配に気付いたのか、彼女は振り向かずに言った。


「……そんな所だ」


 お前を追いかけてきたんだ、とは気恥ずかしくて言えなかった。トーマスは黙って歩み寄り、サンドラの隣に腰を下ろした。優しい風が吹き抜け、二人の間に沈黙が流れる。今まで悪意ある目で見ていたことを詫びようとトーマスが口を開きかけた時、サンドラがふいに言った。


「いい夜だな」


 その声に顔を上げれば、月を見上げるサンドラの横顔があった。


「こんなに綺麗な月は初めて見たよ。風も気持ちがいいし、花の香りも柔らかだ」


 いい所だ、とつぶやいて目を閉じる。トーマスはそうだな、と言っておいた。オークほど優れた嗅覚をもたない人間には香りの方はわからなかったが、風の涼しさが心地よいのは確かだった。煌々と光る満月の美しさも。そうしてまた二人、しばし黙りこむ。


 やがて口を開いたのは、サンドラの方だった。


「実を言うとだな、この村に来て故郷が懐かしくなってしまったんだ。オークの村を訪れたのは、久し振りだったから」


 そう言って照れくさそうに蹄で頬をかいた。月光に照らされていても被毛に包まれているので、顔色はわからなかったが。


「似ているのか? この村と、お前の故郷は」

「ああ。育てている作物なんかは違ったが、同じオークの村だからか雰囲気が似ているよ」

「そうか……いい村なんだろうな、お前の村も」


 思わず口をついて言葉が出た。まさか自分がオークを肯定するようなことを言うようになるなんて。そのことにトーマスは驚いたが、紛れもない本心なのも確かだった。


「いい村……そうだな。そう思う。私の村でもオーク達は勤勉に働いて、素朴な暮らしをしていた。皆優しくて、いい人達だったよ」


 だからかな、とサンドラはうつむく。いつもはピンと広がった耳もへにょりと垂れた。


「それで昔のことを思い出してしまって、安心するどころか逆に落ち着かなくなってな。こうして眠れずにいるという訳だ」


 ホームシックというやつかもしれん、情けないな、とサンドラはいつかのような苦笑を浮かべた。トーマスはそれを笑うことはしなかった。気丈な彼女が珍しく弱っている姿を見て、笑える筈もない。


「なぁ……聞いても、いいか」


 そんなサンドラを見て、いつもの彼女を思い出して、知りたくなった。サンドラがこちらを見る。黒々としたつぶらな瞳がトーマスを見つめている。やがて彼女はああ、と頷いた。


「どうして騎士になろうと思ったんだ」


 わざわざ苦労の多いであろう人里に出てまで騎士になるよりも、故郷で慎ましくも穏やかな暮らしをした方が幸せに生きられるのではないのか。そう思ったが、口には出さなかった。

 トーマスの問いにぷご、と驚いたように豚鼻を鳴らして、サンドラは目を見開いた。聞かれるとは思っていなかったのだろうか。ぱちぱちと両目を瞬かせて、そうか、そう言えばまだ話していなかったな、と呟いた。


「その前に、昔話をしてもいいだろうか」


 生真面目な彼女のことだ、おそらくその昔話も騎士になった理由に関係があるのだろう。トーマスは一も二もなく頷いた。それを見てありがとう、と言うと、サンドラは自らの過去を語り始めた。


「あれはまだ私が故郷の村にいた頃のことだ。幼かった私は、幼馴染と共に村のはずれまで遊びに出ていた」


 そしてサンドラは目を伏せた。昔のことを思い起こすかのように。


「そこで私達は人間の遭難者を見つけた。遠目からでも怪我をしているのがわかったから、手当てをするために近付いたんだ」


 だが、と言って彼女は言葉に詰まる。しばらく逡巡したのち、再び口を開いた。


「彼は私達を見ると、怯えて叫んだよ。『化け物』とね」


 サンドラの口元に自嘲の笑みが浮かぶのを、トーマスは見逃さなかった。


「彼は傷付いた体のまま逃げ出した。私達は呆然と見送ることしかできなかった。あれほど激しく拒絶されたのは、生まれて初めてのことだった」


 私もあいつもショックだったんだ、と言った彼女の声は平淡なようだったが、少しだけ震えていた。


「家に帰った私は、そのことを両親に話した。今思えば慰めてほしかったんだろうな。だが……両親は言った。『仕方のないことだ。我々の祖先は許されないことをしたのだから』と。そして私を抱きしめてくれたが、心は晴れなかったよ」


 サンドラは蹄のついた手を握りしめた。

 オークの罪。魔王に与し、人類に敵対したこと。誰もが知っている昔話。だが当のオーク達は、その罪を悔いているようだった。少なくとも、今日出会ったこの村のオークはそうだった。


「私は思ったんだ。オークが過去に犯した罪を背負うのならば、償いをしなければならないと。人を害さないためにひっそりと暮らすことが償いだと村の大人達は言ったが、表舞台できちんと汚名を晴らしてこそ償いになると私は考えた」


 でなければあの遭難者のように我々を忌み嫌う人々が増えるだけだ、というサンドラの言葉に、トーマスの胸はちくりと痛んだ。そして彼女達を傷付けた者と同じように、オークを悪と決め付けてきた過去の自分を恥じた。


「それから数年経ち、成人を迎えた私は村を出た。そして名を上げるために冒険者の道を選んだが、これがまぁ苦難の連続でな」


 魔族だ魔物だと罵られるのはまだいい方で、物を投げつけられることも多々あり、酷い時には魔物として討伐されかかったことさえあったと言う。オークというだけでギルドの者にも忌避されて、仕事もまともに受けられず、できる事と言えばどぶ掃除のような誰もが嫌がる下級の仕事くらいなものだったそうだ。


「悪意を向けられるたびに、挫けそうになったよ。何度も村に帰りたくなった。しかし、それでも諦めたくなかった。私が善い働きをすれば、いつか誰かが認めてくれるはずだと、それでオークの悪評を覆せると信じたかった」


 彼女の過去を思い、トーマスはやりきれない気持ちになる。人々から向けられる悪意を一人耐え忍ぶ生活の、なんと辛く苦しいことだろう。


「そんなある日、たちの悪い冒険者達に絡まれてしまってな。そこを偶然隣国を訪れていた師匠──騎士団長に助けられたんだ」


 ここでトーマスも尊敬するサイクロプスの団長が登場した。困っている者を見過ごさないのは流石騎士の鏡だ、と思うと同時に、サンドラに救いの手があったことにほっとした。


「冒険者達を追い払った後、団長は私に聞いた。『何故こんなところにいるの』と。私は『善行を重ねて祖先の罪を償うために山を降りたのです』と言った。すると団長は笑って、『いいことをしたいなら、とてもいい方法があるよ』と言ったんだ」


 何だかわかるか、とサンドラに問われ、トーマスは少し考えたあと首を横に振る。サンドラはふ、と笑みをこぼして、答えを言った。


「『今から君を僕の弟子にする。そして君は騎士になって、たくさんのいいことをするんだ』……驚いたよ。まさか自分が騎士になれるだなんて思いもしなかったから」


 嬉しかったなぁ、とこぼしてサンドラはまた柔らかに笑った。彼女にとって団長の存在は、まさしく暗闇に差した光だったのだろう。


「そうしてこの国まで連れられ、正式に騎士団の見習いとなり、今に至るという訳さ」


 語り終えて、サンドラは一息ついた。それまでトーマスは口を挟まず黙って聞いていた。


「オークの名誉を回復し、祖先の過ちを償う。私はそのために立派な騎士になりたいんだ。差し伸べられた手の恩を返すためにも」


 そう言い切ったサンドラの瞳は、強い決意に満ちあふれていた。その輝きにトーマスは胸を打たれた。なんと高潔な心だろう。相手が豚獣人であるにも関わらず、思わず見とれてしまう。

 だが見とれるより先にやらねばならないことがある、とトーマスは胸のときめきを抑え込んで己の頬を叩いた。突然おかしな行動に走ったように見えて驚くサンドラに、トーマスは正面から向き合う。


「今まで、すまなかった!」


 そして頭を下げた。真っ向からの謝罪だった。


「い、いきなりどうしたんだ? 謝罪されるようなことなんて、私は何も……」

「俺はお前を……お前とオークのことを誤解していた! オークだからというだけで、邪悪に違いないと一方的に決め付けていた!」


 直接面と向かって悪し様に言ったことは無かった。だが、陰で疑って行動していたことは変えようのない事実だ。オークだからと彼女を傷付けてきた連中と自分は何も変わらない──


「今回の任務だって、オークの邪な本性を暴くチャンスだとしか考えていなかった! 騎士を目指す者でありながら、守るべき民を、共に立つ仲間を疑った! 俺は……俺は最低だ!」

「……どうか頭を上げてくれ、トーマス」


 優しい声色に、トーマスはびくりと体を震わせる。恐る恐る顔を上げると、こちらをまっすぐ見詰めるサンドラの姿があった。


「確かに君の中には我々オークへの偏見があったのだろう。しかし、君は誰かを傷付ける前に我々を知り、本当の姿に気付いてくれた」


 だから、と彼女は目を閉じて、また開いた。その瞳の輝きにトーマスは釘付けになる。


「君の謝罪を受け入れるよ。正直に話してくれてありがとう」


 そう微笑むサンドラに、トーマスは何も言えなくなった。その誠実さに心が揺さぶられる。月光に照らされるオークの少女の姿が、この世の何より気高く、美しく見えた。顔にじわじわと熱が集まり、胸が高鳴るのをトーマスは感じていた。


「……すっかり長居してしまったな。そろそろ戻ろう」


 睡眠時間に支障が出る、と言ってサンドラは立ち上がった。トーマスはしどろもどろになりながら後に続く。

 前を行く背を追いながら、トーマスは自身の胸に芽生えた想いを持て余していた。鼓動がなかなか治まらない。それなのに、どこかふわふわとした心地がする。目の前の後ろ頭がひどく魅力的に見え、こちらを向いてまた微笑んでくれないかと淡い期待を抱く。実際に振り向かれ、じゃあまた明日、と言われた時にはうまく返事ができたかわからなかった。それほどまでに浮かれていた。

 寝袋に潜り込んでも動悸は静まらず、目が冴えて眠れなかった。サンドラの姿を、声を、その清らかな心根を反芻し、ほう、とため息が漏れる。思考を切り替え眠ろうとして羊を数えるも、途中からサンドラのいい所を数えだす始末。どうにか寝付いた後もサンドラの夢を見た。いい夢だった。



 こうして人間の少年トーマス・シャンソンは、オークの少女サンドラ・ムーンベースに恋をした。



 ***



 それから一ヶ月が過ぎた。


 窓辺で頬杖を付きながら、トーマスはため息をついた。ここの所彼を悩ませている恋煩いのせいである。

 あの月夜の丘での出来事があって以来、トーマスはすっかりサンドラのことを種族を越えて意中の相手として意識してしまっている。先程も模擬試合のパートナーがサンドラになり、彼女の一挙一動に見とれてしまった結果ボロボロに負けた所だ。サンドラには心配されたし、教官にはこっぴどく叱られた。とんだ失態だ。


「だがあのころころとした愛らしい体格から繰り出される流麗な剣撃をかわせる男などいるだろうか? いや、いない」

「何ヘンなこと言ってるんスか、先輩がぼけーっとしてたのを隊長サンのせいにしちゃ駄目っスよ」


 いつの間にかやってきたエデムが顎をカチカチ鳴らして言った。いつも痛い所を突いてくる、生意気な後輩である。


「だいたい最近の先輩はおかしいんスよ。隊長サンの正体を暴いてやるー! って息巻いてたのが、急にこんなへにょへにょになっちまって……一体何があったんスか?」


 サンドラへの態度が百八十度変わったことを明らかに怪しんでいる。正直に話そうかとも思ったが、絶対にからかわれるのでやめた。この場は適当に誤魔化そう、とトーマスが決めた時だった。息を切らしてイザベラが駆け込んできたのは。


「トーマス、先輩っ! エデムくんっ! た、大変、大変! 大変、なの!」


 彼女は泣きそうな声で途切れ途切れに言うと、クゥンクゥンと悲しげに鳴きはじめた。


「落ち着けイザベラ! ほら、深呼吸だ深呼吸」

「は、はいぃ! すぅ~、はぁ~……すぅ~……無理ですやっぱり落ち着けません!」


 犬獣人らしく素直な所はイザベラの長所だ。同時に短所でもある。じわ、と目に涙を溜めるイザベラを前に、どうしたものか、と二人が顔を見合わせていると、続いてオッポリウスがやってきた。どうやらイザベラの後から追い付いてきたようだった。いつも表情の硬い彼だが、今日は一段と険しい顔をしていた。普段は真上にピンと立った耳もへにょりと垂れ下がっている。後輩二人の様子からして何かあったに違いない、とトーマスは推測した。


「オッポリウス、一体何があった?」

「はい。それが……」


 そして彼の口から聞かされた事実は、トーマスを絶望の底に叩き落とした。





「サンドラ隊長が、騎士団を辞めてしまうかもしれないのです」





 トーマスは頭の中が真っ白になった。

 サンドラが、辞める?

 祖先の贖罪のため、一人前の騎士になるために懸命に励んでいた、あのサンドラが?


「辞める、って……あの隊長サンが!? 一体全体どういうことっスか!?」


 慌ててエデムが聞き返す声で、トーマスは我に返った。まずは詳しい事情を聞き出さないことには始まらない。すると少しは落ち着いたのか、すん、と鼻をすすりながらイザベラが話し始めた。


「あたしたち、三人で雑務をしてたんです。それで団長の執務室の辺りから、話し声が聞こえてきて……」


 コボルトとエルフは共に聴力に優れている。遠くからでも聞こえたのだろう。


「近付くにつれて話の内容がわかってしまったんです。なんか、団長の所にお貴族様が訪ねてきていたみたいなんですけど、うちにオークの見習いが……サンドラ隊長がいることが、すごく気に入らないみたいでした」


 いっぱい悪口言ってました、とイザベラは牙を剥き出して唸る。サンドラとは女性同士、普段から特に仲良くしていたのだ。よほど腹に据えかねたのだろう。オッポリウスが続ける。


「その貴族──ウロヤムカス卿曰く、オークのような醜い種族が栄えある騎士団にいるなど言語道断だ、と。外聞が悪いからサンドラ隊長を辞めさせたいようでした」


 吐き捨てるように言ったオッポリウスの声色からは嫌悪感がにじみ出ていた。彼もまたサンドラを尊敬している。怒りを隠せなくて当然だろう。

 トーマスも聞いているだけで怒りが沸いてくる。そのウロヤムカスとやらを一発ぶん殴った後でふん縛り、サンドラの魅力──いや長所をたっぷりと語って聞かせてやりたいほどだ。


「団長はもちろん反対していました。騎士団の運営に口出しされる謂れはない、あの子の人柄と仕事振りは誰もが認めている、と。ですがウロヤムカス卿もオークは醜悪だの一点張りで……」


 そう言うとオッポリウスは顔を伏せた。拳を作った両手が震えている。イザベラも先程からぐるる、と涙目で唸りっぱなしである。


「……隊長サンはその話、聞いちゃったんスか?」


 この中で比較的冷静なエデムの問いに、イザベラとオッポリウスはお互い顔を見合わせた後、申し訳なさそうに頷いた。


「あたしたち、隊長に聞かせちゃ駄目だと思って、迂回して行こうとしたんです。でも顔に出てたのかな、気付かれちゃって……」

「サンドラ隊長は僕達の制止を振り切って執務室の前に行くと、黙って会話を聞いていました。しばらく話を聞いた後、扉から離れて何処かへと去ってしまいました」

「ねえトーマス先輩、エデムくん、隊長どうなっちゃうんでしょうか……? こんなことで辞めさせられちゃったら、隊長の今までの頑張りは一体……!」


 そこまで言って我慢できなくなったのか、イザベラは人目を憚らずに泣き出した。大泣きする彼女をエデムとオッポリウスがなだめる。その様子を見てトーマスはかえって落ち着いてきた。そしてまたしても悪意を向けられて傷付いたであろうサンドラのことを思う。

 おそらく彼女のことだ、迷惑を掛ける前に騎士団を去ろうとでも考えているのだろう。──冗談ではない。何も知らない貴族なんかの下らない横槍でサンドラの夢を諦めさせてたまるかと、トーマスは恋しい少女のために義憤に駆られる。

 であれば、まずはどうにかして彼女を引き止め、説得しなければならない。トーマスは気合いを入れ、腹から声を出した。


「泣き止めイザベラ! サンドラの居場所は追えるか?」

「ふぇっ!? は、はい! 鼻をかめばすぐにでも!」


 ずび、と鼻をすすりながらイザベラが答えた。オッポリウスが黙ってハンカチを差し出すと、彼女は礼を言ってちーんと鼻をかんだ。エデムが気を遣わずにきったね、とこぼす。

 そんな後輩達を眺めながら、よし、と号令を掛けた。


「お前ら行くぞ! サンドラの下へ!」


 はい! と三人分の威勢のいい返事を聞き届け、トーマスは勢いよく駆け出した。なんとしても想い人を騎士団に留めるために。



 イザベラの先導のもと一行が辿り着いたのは、騎士団女子寮だった。流石に勝手に女子寮に入ることを男性面子はためらったが、トーマスは緊急事態だ、と言い訳をして中に踏み入った。残りの二人も後に続いた。そしてサンドラの部屋まで到達し、扉をバン! と開ければ、荷造りをするサンドラの後姿が目に入った。心なしか寂しげに見えるその背中に、トーマスは迷わず声をかけた。


「出ていくつもりか! サンドラ・ムーンベース!」


 トーマスの大声に、サンドラは手を止める。しかしそれも一瞬のことで、再び手を動かしながら彼女は答えた。


「……私がここを出ていくことが最善の道なんだ。このままでは団長や皆に迷惑が掛かってしまう」

「何が迷惑だ、そんなものいくらでも掛ければいい! 立派な騎士になるんじゃなかったのか!?」


 必死の問い掛けにも動じることなく荷造りを続けるサンドラに、トーマスは焦りを募らせる。


「いつものことさ、いずれこうなる気はしていた。分不相応だった、ということだろう。……ああ、だからと言って夢を諦めるつもりはないぞ? 冒険者として一からやり直すさ」


 何てことのないように言うサンドラだったが、その大きな耳が垂れているのをトーマスは見逃さなかった。彼女は自分が思うよりも感情を隠すのが下手なのだ。


「それを諦めていると言うんだろうが! アホクソ貴族に邪魔されたからと言って今辞めてしまったら、お前の夢は永遠に閉ざされることになるんだぞ!」

「……よさないか。相手は侯爵だぞ。君が思うよりずっと力がある」

「いいや、止めないね! お前が馬鹿な考えを改めるまではな!」


 トーマスの言葉を聞いて、サンドラは黙りこむ。未だに彼女はこちらに背を向けたままだ。このままではまずい、とトーマスは内心舌打ちをする。初恋の相手に去られることも辛いが、何よりも正々堂々と頑張ってきた彼女が報われずに終わるのは許せない。

 トーマスは後輩三人に目配せし、説得するよう促した。後輩達は頷き、それぞれの思いを口にする。


「サンドラ隊長、あたし悔しいです。あんな悪そうな奴のせいで辞めちゃうなんて、そんなのあんまりです! 隊長はなんにも悪くないんです、行かないで下さい!」

「トーマス先輩やイザベラ君の言う通りです。貴女は尊敬すべき騎士道精神の持ち主です、隊長。ここで辞めるべき人じゃない。どうか考え直して下さい」

「だいたいアホクソ貴族の一人や二人、団長がどうにかできない訳ないじゃないスか。隊長サンは堂々と騎士やってりゃいいんスよ!」


 イザベラが涙ながらに訴え、オッポリウスが努めて冷静に続け、エデムがいつになく必死に言い募る。


「……いい仲間に恵まれたな、私は。ありがとう、皆。気持ちは嬉しいが……もう、決めたんだ」


 だがしかし力なく言ったサンドラに、背後の三人が打ちひしがれるのが伝わってくる。トーマスも絶望の中にいた。これほどまでにサンドラの決意は固いのか。どうすれば彼女は騎士を辞めずに済む? どうにか言葉を紡ごうとするが、思考がまとまらない。

 そうこうしているうちに荷物をまとめ終えたサンドラが背囊を背負う。ああ、愛しのサンドラが行ってしまう──





 その瞬間、トーマスの中で何かが切れた。





「お前が好きだ!!」





 気が付けばトーマスは告白していた。思ったより大きな声が出て、顔が熱くなっていくのがわかる。


「……え?」


 それに反応して、ようやくサンドラが振り向いた。何を言われたかわからないとでも言うように、ぽかんと口を開けている。


「お前が好きだと言ったんだ、サンドラ! 初恋だ!」


 そしてもう一度告白した。それを聞いたサンドラの表情がみるみる驚愕じみたものに変わっていく。その被毛の下は真っ赤に染まっていると信じたい。そして初めて見る表情にトーマスは場違いなときめきが止まらない。


「え、それ今言うことですか?」

「このタイミングでそれはきしょいっス」

「今は真面目な話をしているんですよ、先輩」


 後輩トリオには三者三様に呆れられた。三人の言うことはトーマスもわかっている。しかし暴走した想いは最早止まらない。こいつら後で拳固だ、と頭の片隅で思いながらトーマスはサンドラに向き直る。


「何度でも言うぞ、好きだサンドラ! 行かないでくれ! お前は善良な──いいオークだ! その気高さに俺は惚れたんだ!」


 トーマスの熱気に気圧され、サンドラがぷご、と鼻を鳴らす。その鼻音は照れた時の音だ、と今のトーマスは知っている。このまま思い付く限りの愛の言葉をぶちまけてしまおう、とヤケになりはじめたトーマスの思考を、サンドラの声が遮った。





「……わ、私は故郷の幼馴染が好きなんだ。だから、その、すまない」





 ──振られた。

 そのことを理解したトーマスは膝から崩れ落ちた。

 先程とは違う種類の絶望に染まる頭の中で、畜生幼馴染男だったのか、照れくさそうにもじもじするサンドラかわいい、などの思考がよぎる。そして背中に刺さる後輩達の視線が痛い。

 そのまましばらく失恋の痛みに浸っていたが、サンドラが気まずそうにこほん、と咳をしたことで正気に戻った。


「だが……そこまで言わせておいて辞めてしまうというのも、なんだか申し訳ないな」


 どうやら思い止まってくれそうだ。そのことにトーマスの胸の内に希望が満ちあふれてくる。思わず立ち上がり、サンドラの肩を掴む。


「本当か!? 本当の本当に辞めないんだな!?」

「あ、ああ。思えばまだ師匠に恩も返せていないしな」

「よっっっっっっし!」

「先輩カッコ悪ー」

「うるさいぞエデム!」


 サンドラが辞めない意思を表したことで、後ろの三人からも安堵が伝わってきた。本当によかった。トーマスも心の底から安心する。


「しかし、このままでいる訳にもいかないぞ。どうすれば騎士団を辞めずに済むのか考えなくては」


 サンドラの台詞に一同は現実に引き戻される。確かに放ってはおけないことだ。目下この問題を解決しなくては、サンドラは騎士団にいられない。何かいい方法はないものかと、その場の全員が頭を悩ませる。


「あ、見っけ。探したよ、サンドラ」


 とその時、湖畔騎士団長ロブ・レイクビーツが扉の陰からひょっこり姿を現した。大きな一ツ目がサンドラを見つめている。


「師匠? 私に何か御用ですか?」


 もしや今すぐにでも辞めさせられてしまうのでは、と見習い分隊に緊張が走る。人格者の団長がそんな横暴を許すはずがない、とトーマスは思う。しかし団長の権限を持ってしてもあのくそったれ貴族に敵わなかったとしたら? 脳内に不安がよぎる。

 しかし見習い達の心配に反して、団長は朗らかに言った。


「うん。今から一緒に王宮に来て。勲章を授与するから」


 その言葉に見習い一同の思考が止まる。今何て言った?


「……え? 勲章? あの師匠、話が全く見えないのですが」


 真っ先に正気を取り戻したサンドラの疑問に、うん、と団長が答える。


「ちょっとお偉いさんにちょっかいかけられてね、オークの騎士団入りは認められないとか何とか言われちゃったんだよね」

「それは……理解できます。オークが残した禍根は今もなお深いですから」

「うん、だからね、そいつら黙らせるためにちゃちゃっと勲章作って授与して正式に騎士として認めさせちゃうことにしたんだ。ついさっき王様に連絡したよ」

「はい……はい!?」


 あまりの急展開について行けない。後ろでだーから言ったじゃないスか、とエデムがドヤ顔しているのがわかる。鬱陶しいので後で一発殴っておこうとトーマスは誓いかけるも、それどころじゃないと思い直す。


「い、いいんですかそんなことをして!? 大体国王陛下は納得したんですか!?」

「いいのいいの、僕王族にはいっぱい貸しがあるからお願い事の一つや二つへーきへーき」

「そんな無茶苦茶な!!」

「さ、ゴネてないでパパっと行くよー。今ミミリアが転移陣準備してるから」

「え、あの、ちょっと!」


 そうこうしている間に団長はサンドラの腕を掴み(ここでトーマスはうらやましいと思った)、じゃあみんなバイバイ、と片手を振ると、そのままサンドラを連れて出ていってしまった。後にはぼんやりと立ち尽くす見習い達が残された。


「……僕達、置いてけぼりでしたね」


 オッポリウスがぽつりと言った。そうだね、とイザベラがぼんやり答えた。我らが騎士団長は嵐のように来て嵐のように去っていった。その手にサンドラを伴って。


「団長がいいトコ全部持ってっちゃったし、オレ達来た意味あったんスかね」


 顎をかちり、と鳴らしながらエデムがぼやいた。それを聞いて余計に何とも言えない気分になるが、いや、とトーマスは否定する。


「た、確かに美味しい所は団長に持っていかれたが、サンドラに俺達の思いを伝えたのは決して無駄ではなかったはずだ」

「先輩の告白は無駄だったっスけどね!」


 トーマスはエデムの頭をひっぱたいた。

 いつぞやとは違って素手で甲殻を叩いたので、痛いのはこちらの手の方だった。何するんスか、とエデムに文句を言われ、オッポリウスにはこれ見よがしにため息をつかれ、イザベラには笑われた。畜生、と痺れる手を押さえながらトーマスは悪態をついた。


「まあ何にせよ、サンドラ隊長が助かるならよかったですよね!」


 ひとしきり笑ったあと、イザベラは嬉しそうに尻尾を振ってそう言った。トーマス達は皆その言葉に同意した。これできっとサンドラは大丈夫だ。そう思うと晴れやかな気分になった。



 ***



 あの後、王宮に連れられたサンドラは国王直々に名誉騎士勲章を授与され、王国史上初のオークの騎士となった。


 齢三ケタを誇るサイクロプスの団長は王家とはそれはもう長い付き合いで、団長の要求を国王は喜んで受け入れたそうだ。団長自身の弁なので真偽のほどは定かではないが。

 猛スピードで決まったこの表彰には口うるさい貴族達も手を出せず、王命とあっては無闇に逆らうこともできなかった。僕らの勝ち逃げだね、と策を成功させた団長は舌を出して茶目っ気たっぷりに笑ってみせたが、急な思い付きに振り回された副団長からは後でしこたまお説教を食らったらしい。

 なおオークの見習い女騎士の評判は王宮にも届いていたようで、サンドラは国王から沢山のありがたいお言葉を頂戴したという。流石に緊張した、生きた心地がしなかった、と帰ってきたサンドラは見習い分隊の面々に語った。愉快な仲間達はそんな彼女を労って、無事に戻ってきたことを喜んだ。勿論、トーマスが一番大袈裟に喜んでいたことは言うまでもないだろう。



 それから二年と数ヶ月が経ち、見習い達が正式な騎士として認められる式典の日がやってきた。


「いよいよだな」


 きっちりと正装に身を包んだサンドラが言った。

 名誉騎士として認定されたとはいえ、見習い期間を修了する必要があったので、彼女も今日が本格的な叙任の日となる。


「ああ。ここが俺達の出発地点だ」


 同じく正装を着たトーマスが答える。

 少し離れた所では、エデム、イザベラ、オッポリウスの三人が談笑している。何か余計なことを言ったのか、エデムがオッポリウスに脛を蹴られていた。それを見たイザベラが腹を抱えて笑っている。そんな三人の様子を見守りながら、サンドラは続けた。


「ここに来るまで色々あったな」

「ああ、本当にな。懐かしい思い出だ」


 そうしてこの三年間を思い返す。改めて失恋を自覚したトーマスがしばらく使い物にならなくなったり、先輩騎士について初めての魔物退治をこなしたり、団長が忘れていた伝説の武具が武器倉庫から出てきて一騒動起きたり、ペット探しがいつの間にか大捕物に発展したり──他にも数え切れないほどの事件や任務を乗り越えてきた。

 サンドラが辞めるかもしれないとなった時にはどうなることかと思ったが、それも無事に解決してよかったとトーマスは思う。告白に失敗したのは未だに苦い思い出だが。


「そういえばそれでひとつ思い出したんだが、『樽男事件』──」

「そ、それは忘れてくれ!」


 とても忘れたい出来事の名がサンドラの口から出て、トーマスは思わず慌てる。あの出来事の後向こう一週間は、見習い分隊どころか会う騎士皆に樽男と呼ばれてからかわれたのだ。


「ああ、そう言うのならやめておこう」


 くすりと笑いながら言われて、トーマスは顔を真っ赤にしながらもほっと息をついた。サンドラの笑顔は愛らしいが、あの話を蒸し返されてはたまったものではない。ひとつ咳をして、話を切り替える。


「ようやく夢への第一歩を踏み出せるんだな。俺も、お前も」

「ああ、ここからが本番だ。立派な騎士として認められるかは、これからの働きにかかっている」


 未来を見据えるサンドラの横顔に、トーマスは時を忘れて見とれる。彼女に見とれるのはこれで何度目だろうか? それこそ数え切れないくらいだ。かつては醜悪に見えていた豚獣人の姿が今はこの世で最も麗しく思えるのだから、恋の力とはとんでもないものである。


「……俺はまだ、お前のことを諦めていないからな」


 決意を表するかのように、トーマスは静かに言った。


「? 私の何を諦めないんだ?」

「っだから! 俺はまだお前が好きだということだ!」


 首を傾げるサンドラに、トーマスは思わず声を荒げた。それを聞いてぷごっ!? と鼻を鳴らしてサンドラは狼狽える。その予想外といった反応を見るにほとんど意識されていなかったのだろう、そう思うと悲しくなってくる。


「そ、その話はもういいだろう?」

「いいや、よくない! あれからずっとお前を想い続けてきたんだサンドラ! お前がまだ幼馴染を想っているとしても、いつかは振り向かせてみせるからな!」

「もうわかった、わかったから! そんなに大声を出さないでくれ! 皆が見ている!」


 言われて辺りを見渡せば、周囲の視線が自分達に集まっていることに気が付いた。向こうでわちゃわちゃしていた後輩トリオも、そうでない騎士達も、皆が一斉にこちらに注目している。

 衆目の中で盛大に告白してしまったことに、トーマスは流石に恥ずかしくなった。そしてサンドラを巻き込んでしまったことを申し訳なく思った。好きな女子相手に何をやっているんだ俺は、と自分が情けなくなる。


「……すまなかった」

「いや……大丈夫だ。これしきのこと、国王陛下に謁見した時に比べれば、何ともない……」


 そう言いつつも鼻をひくつかせながら照れてうつむくサンドラの様子をかわいいと思う。あまり懲りていないトーマスである。


「もうじき式が始まります! 全員整列!」


 そんな折、エルフの副団長ミミリア・マギハウスの号令が響く。

 その一声でトーマスは背筋を伸ばした。他の騎士達もぴしりと姿勢を正し、それぞれの立ち位置へとぞろぞろと戻っていく。

 サンドラも表情を引き締めると、トーマスの方へ振り返り言った。


「行こうか。我々の晴れ舞台へ」

「ああ、そうだな」


 そしてお互いに笑みを浮かべると、表彰台の方へと向き直る。台の下では見習い騎士達の中、オッポリウスが緊張した面差しでこちらを見つめ、エデムが四本の腕を組んで羽根を震わせ、イザベラが大きく尻尾と手を振っていた。

 かわいい後輩達の待つ場所へと歩きながら、これから頑張ろう、という意志を込めて、トーマスとサンドラはどちらともなく拳を合わせた。



 これが後にめざましい活躍をして王国が誇るようになる、オークの女騎士とその仲間達の晴々しいデビューの日となった。

 ──なお、とある人間の騎士の恋が実ったかどうかは定かではない。

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