クラウドファンドゲーム 前半戦
「ふざけんな!」
男はキーボードを床にたたきつけた。暗い室内に激しい音が響いた。
「甲斐?何かあったの?」
「うるせぇ!ババア!」
息子を心配する母親に男は容赦ない罵詈雑言を浴びせた。階下で母親が恐怖の色を帯びた短い悲鳴を上げるが、男には関係のないことだった。男は衝動的に叩きつけたキーボードを拾い上げた。
デスクトップに映し出されたのは火無プロデューサーが手がける人気女性アイドルグループ八重のメンバーの一人、キャルールの熱愛報道の釈明会見の生放送だった。ファンに迷惑をかけたと謝罪するアイドルの姿と頭を下げた相手に容赦ない質問攻めをするマスコミの姿と言う見飽きた構図に男は苛立ちを募らせていた。
この男、勝梨甲斐は八重が地下アイドルだった頃からの熱烈なファンだった。八重が初めて地上波に出た時は歓喜の声を上げて喜んだが、新規のファンの獲得に邁進する方針に疎外感を感じ始めていた矢先の出来事だった。
男は苛立ちを発散させようと八重の非公式ファンサイトにアクセスした。そこには熱愛報道について様々な意見や擁護の声、憶測、邪推、誹謗中傷が入り乱れていた。男は適当なコメントを見つけて喧嘩をふっかけては適度にコメント欄を荒らして悦に浸っていた。
しかし、それでも男の心は晴れなかった。
メンバーの中で特に推していたキャルールの熱愛は男の心を深く抉っていた。
他のコミュニティを荒らしてやろうと画面をスクロールすると、一つの広告バナーが男の目に留まった。
男は興味本位でそのバナーをクリックすると外部サイトへと飛んでいった。黒い背景にデスゲーム企画株式会社のロゴマークが浮かび上がった。下には「デスゲームの企画・運営は弊社にお任せ下さい!」の宣伝文句と会社の連絡先が書き記されていた。
男の手は無意識のうちにスマートフォンに伸びていた。
「いらっしゃいませ。デスゲーム企画へようこそ。弊社では人狼、イベント、SNSなど様々なジャンルのデスゲームを取りそろえております。本日はどのようなデスゲームをご所望でしょうか、ゲームマスター様?」
ホストのような男にそう声をかけられ勝梨はデスゲーム企画のオフィスに足を踏み入れた。所々壁がひび割れた無機質なオフィス内にゴスロリの格好をした黒い少女が座っている光景は異質だ。勝梨はホストのような男に勧められてソファーに深く腰掛けた。
簡単な自己紹介を済ませた。目の前に座る少女は死花遊花でノートパソコンを片手に隣に立つ男は陽炎綴木と言うらしい。そして、目の前に座っている少女が男の担当をするそうだ。
「あの……?どんなデスゲームを企画してきたかとか紹介してくれませんか?」
中学生くらいの年の少女が商談すると聞けば、詐欺と疑うのは至極当然だ。男の要望に死花は陽炎に目配せすると、パソコンのモニターの動画を再生して見せた。
その動画にはチェーンソーを振り回す男が映っていた。正気を失った様子で女を追いかけ回していた。行き止まりに追い詰められた女の背後にチェーンソーの甲高い音が近づいて来る。女は鉄パイプを拾い上げると必死に振り回す。次の瞬間、カメラに飛び散る血しぶきと同時に女の断末魔がオフィス内に響き渡った。
男は確信した。
これは本物だ!
リアリティを謳い文句に掲げるゲームを何度も遊んできた男にとってスプラッター表現や血飛沫の演出は見慣れたものだ。
だが、陽炎が見せた動画はゲームとは違う。演じるに過ぎない声優には出せない命が消え果てる断末魔、演じるだけに過ぎない俳優には出せない目を血走らせた男の動きはリアルを通り越していた。
「信じていただけたようですね。早速ですが、あなたの依頼をお聞かせ下さい。」
呆然とする男に死花が声をかける。男は自分の頬を軽く叩いて目の前の少女に相対した。
「アイドルグループの八重にデスゲームを仕掛けたい。」
「ゲームの参加者はグループ全員、八名ですね?」
男は静かに頷く。
「ゲームの種類はどれにしましょう?」
死花の合図にツヅキが男にパソコンの画面を見せた。そこにはデスゲームの種類と平均価格表が記されていた。カードゲーム、人狼、SNS、イベント規模が大きくなるにつれて値段も高くなるらしい。
一番安くても数十万はかかるのか……。
だが、男には秘策があった。
それは病気がちの母親の介護年金と保険だ。合わせて数十万円くらいの足しにはなるはずだ。
「人狼で頼みます。」
男が選んだのは人狼ゲームだった。人間サイドと人間に扮する人狼サイドに別れて戦うテーブルトークRPGだ。人間サイドは人狼を全員見つければ勝利、人狼サイドは人間を全員食い殺せば勝ちという心理戦だ。
「人狼は誰にしますか?あなた自身が参加されますか?」
創作物においては人間サイドを恨むゲームマスターが人狼として人間に成りすまし、ゲームをかき乱して参加者同士を疑心暗鬼にさせて殺し合いを扇動するのが定石だ。だが、人狼として参加すると、正体がばれてしまうリスクが常に伴う。
「キャルールとココロンで……」
男は悩み抜いた末に人狼として参加せず、八重のメンバーから選出していた。キャルールはともかく、ココロンは何となくでの選出なので申し訳ない気分にさせられる。
「かしこまりましたわ。それでは、プレイヤーがゲームに参加せざるを得ないようなモチベーションについて何かアイデアはありますか?」
死花の問いに男は声を詰まらせた。
彼女たちがデスゲームに巻き込まれたからと言って律儀にゲームに参加する必要はない。
ボイコットだって可能だし、ゲームマスターを炙り出そうと結託される恐れもある。
アイドル達が積極的に殺人ゲームに参加する理由もない。デスゲームに生き残ったとしても、残りのメンバーが行方不明で一人だけ帰ってきたという構図は何かあったと世間が邪推するには十分だ。証拠もないのにメンバーを殺した殺人鬼だとSNSで叩かれて、芸能界から追放される転落人生が容易に想像できる。
「……メンバーの弱みを世間に公表するとかどうだ?」
男はちらりと顔を上げて少女の顔を見る。少女は微笑みを崩すことなく男に語りかける。
「承知しました。調査費用が発生しますがよろしいですか?」
「どれくらいですか?」
うなだれる男の姿に死花は慌てた様子で男を励ました。
「ゲームマスター様。ご安心下さい。弊社では前払い金以外は分割払いも受け付けておりますし、月額支払い額についてもいつでもご相談に乗りますよ。」
月千円でも許されるのだろうかと甘い考えを抱きながら男は死花に尋ねた。
「前払い金は一括払いですか?お値段はどれくらいになりますか?」
「ツヅキ。試算額は出せる?」
死花が目配せすると陽炎は男の前にパソコンを置いた。
「ひゃ……百万!」
前金で百万円など払えるわけがない。
母親の障害年金を足したとしてもその額には遠く及ばないだろう。
深いため息をついて俯く男の視線に少女の白い手が伸びた。
その手に持っていたのはメモ書きにはアドレスが記されていた。
「クラウドファンドってご存じですか?」
少女の言葉に男は顔を上げる。
ファンドをネットで立ち上げた人がその人やりたいことに賛同してくれる人や出資した見返りを期待する人などの出資者からお金を出して貰う仕組みのことだ。
「あなたのような熱心なファンはまだまだいると思います。」
勝梨は食い入るようにアドレスを見つめていた。
「熱愛報道で怒り狂うファン、古株を蔑ろにして新規ファンを優先する拝金主義のアイドルが許せないファン……。そんなファン達に出資を依頼して、見返りとしてデスゲームで困窮するアイドルの姿を見せるのはいかがでしょう?」
「だけど……」
たじろぐ男の瞳をドス黒い少女の眼が覗き込む。少女の甘言は正常な判断ができる人にとってはただの世迷い言に過ぎないが、思考が鈍った男にとっては密の味がする劇物となっていた。
「そちらのサイトはいわゆる闇サイト。後ろめたい理由を抱えた人たちを専門にしたクラウドファンド支援サイトですわ。運営側は絶対に理由を聞いてきませんし、暗号プログラムで情報漏洩も起こらない素敵なサイトです。」
「前金はいつまでに払えば良いですか?」
男の瞳に希望の光が宿る。その光を確認して死花は無邪気そうに見える微笑みを浮かべた。
「一週間後です。それまでに支払いが確認できない場合は契約破棄とみなします。」
「分かった。」
男は深く頷いて立ち上がり、メモ書きを握りしめてオフィスの外へと飛び出した。
「愉快なデスゲームのはじまりですわ。」
男の瞳に戻った光はあまりにも眩しすぎたらしい。
死花の口角を上げた薄ら笑いに気づくことはなかった。
男は家に帰ると、母親と顔をあわせることなく真っ直ぐに自室に駆け込んだ。
死花からもらったアドレスを打ち込むと闇サイトと言わんばかりの画面にクラウドファンドの案件がずらりと貼り付けられていた。それぞれの案件を調べてみると資金援助を依頼する理由は確かに後ろめたいものばかりだが、しっかりとぼかされていた。誰かを殺したい、不倫相手への手切れ金、パパ活詐欺の活動資金などいずれも推察できるだけで明記はされていない。
その巧妙さにすっかり信じ込んでしまった男は迷わず会員登録を済ませて、クラウドファンドを立ち上げた。仲介料として十万円近く取られたが、母親名義のクレジットカードを使ったので男には何の痛みも感じない。
立ち上げてから数時間で同志と思われるファンが次々と資金援助をしてくれた。
あっという間に援助額は十万円を超えた。
チャリンチャリンと金の鳴る音がこだまする。
この調子でいけば明日には三十万は超えているだろうと夢見ながら男は一日を終えた。