74.知識神信仰と二重術師
(……取っておきの方法?)
宗谷はミアの言葉が気になったが、この場での質問は止めておいた。ともかく二人が仲良くなった事は歓迎出来る事である。
メリルゥが酔った時に見せた人懐っこい態度からして、彼女は人見知りする性格ではないだろうし、スレイルの森で数か月共にした、幽霊のコニー少年が成仏してしまい、寂しいのではないかと宗谷は考えていた。この調子でミアと仲良くなってくれれば、今後もメリルゥの力を借りる事が容易になるだろう。
(……推測と打算で物事を考え過ぎか。……嫌な大人だ。僕の悪い癖だな)
「あの……あたしも、先に東門に行ってます。……どうか宜しくお願いします」
冒険者ギルド前で思考を巡らせている処、護衛依頼を受けた冒険者の一人である、知識神の神官の少女であるアイシャが、宗谷とミアの二人に挨拶に来た。
丸眼鏡と両サイドに束ねた茶色の三つ編み、灰色を基調とした神官衣と神官帽が、彼女の持つ知的な雰囲気を強調していたが、憂いた表情と色白の肌、ほっそりとした体型が、同時に不健康そうな印象を与えていた。
「此方こそ宜しく。アイシャくんは知識神の神官か。ミアくんとは知り合いのようだね」
「ええ。ミアとは、二度依頼で一緒になった事があります。……あっ、お互い宗派は違いますが、その点は心配は要りません。……知識神様は、奇跡を起こすあらゆる神々の存在を肯定していますから」
アイシャが他宗派の教えに寛容な態度を示した事に、宗谷は安心した。
神官や司祭には一定の割合で、他の教えを認めようとしない至上主義者が必ず居る。彼女は大地母神の神官であるミアとも良好な関係を築けているようで、宗派的な理由による不和は無さそうであった。
もっとも知識神は中立寄りの宗派で、アイシャの言った通り、異教の神々の存在と教えを善悪問わず肯定していた。他の教えを認めない知識神教徒の割合は他と比べて少ない筈である。やや白寄りの灰色の法衣は、その中立性の表れらしい。
ただ、多くの街に神殿が存在する以上、神殿の運営には最低限の秩序が求められる。よって、極めて灰色に近い白。中立やや秩序寄りというのが、知識神の立ち位置であった。
(知識を善悪に選り分ける事自体が不純。か……まあ、確かに)
宗谷は二十年前の旅仲間だった、知識神の司教の少年の台詞を不意に思い出した。
「それは安心した。簡単に魔法能力の確認をさせて貰って良いだろうか。……君は二重術師かね?」
宗谷はアイシャに尋ねた。二重術師は知識神の特色とも呼べるもので、知識神教団は、基盤となる神聖術の他に魔術の習得を強く推奨している。魔術は知識の象徴とも呼べる魔法で、知識神の神官の内、実に二割の者が魔術を習得していた。
ただ、魔術は一朝一夕で習得出来る物ではない、理論の習得には、莫大な費用と時間、そして一定水準以上の高い知力を必要とする。よって知識神信仰を持つ者の大半が、商人や学者、魔術師といった富裕層の知識階級だった。彼女もそのいずれかの可能性が高い。
「……はい。知識神の神官として、魔術を学び修めました。一応、二重術師です。……神聖術は、負傷治療は出来ますが、解毒は、まだ無理です。魔術は、初歩の術なら……行使可能な魔術は、照明と魔力弾ですね」
アイシャの話を聞く限り、彼女の実力は神聖術、魔術共に初歩レベル止まりのようだった。
これも予想通りではある。二重術師は、形式が全く異なる二つの術式を学ばなくてはならない。両方を極めようとする程、高みに昇るのは難しくなる。その上で青銅級であるなら、高いレベルには達していないだろうと宗谷は当たりを付けていた。
「……なるほど。ありがとう、アイシャくん。無事、護衛依頼を終えられる様、お互い頑張りましょう」
「ええ。……ソウヤさんは、導師級の魔術の実力がありそうですね……学識高い方を尊敬しています……それではまた後程。……知識神の叡智と共に」
アイシャは、神官の杖を抱えると、短い祈りを捧げ、恭しく挨拶をすると、東門の方角に向けて、ゆっくりと歩き出した。
「アイシャくんか……二重術師とは。かなり努力はしているのだろうね」
宗谷はアイシャの努力を認めた。知識神教徒の中でも二重術師は二割に留まる。後の八割は、魔術の習得を諦めたか、勉強不足で魔術習得に至っていない、あるいは最初から魔術習得を目指して居ないという事になる。人間が二つ以上の術を習得する事は、それだけ困難を極めた。
「ええ。凄いですね。魔術と神聖術を両方。……私とソウヤさんが一緒になってるようなものでしょうか?」
「……くっくっ、ミアくん、面白い例えだね」
宗谷が笑いながら指摘すると、ミアが言葉の意味に気付いたのか、慌てて言い直し始めた。
「えっ……あ、咄嗟に、上手い例えが思いつかなかっただけですよ。……私とソウヤさんの……えっと、上手い例えが出て来ないですね……」
「無理に例える必要は無いのではないかね? と、冗談はさて置き。……凄い事は確かだが、茨の道でもあるのだよ。何せ二つの術の体系に共通項が無いのだから。山登りと素潜りを同時に極めるくらい困難な事だ。……彼女はこれからも絶えず学び、そして祈る必要があるだろう」
上手い例えが思いつかず頭を悩ませるミアを軽く流すと、宗谷はアイシャの歩もうとしている二重術師の道の困難さを説明した。
「……アイシャさんを冒険者ギルドや酒場で見かける時は、いつも本を読んでいる事が多いです。……私は学が浅いので、羨ましく思う事があります」
「ミアくんも少しずつ知識は身に付いている。……森林浴に行ってた間、手が止まってしまったな。この依頼が終わったら勉強を再開しよう」
知識神の知識こそが至高という考えは、宗谷は否定的だったが、学識が重要であるという事については同意していた。ミアにはまだまだ学を与える必要がある。彼女は教育を受ける機会が無かっただけで、元々地頭は悪くない。それ故に教え甲斐があるとも言えた。
(……教える事は、苦痛ではない。……僕は営業職では無く、教職が天職だったのだろうか?)
宗谷の頭にその考えが廻ったが、すぐさま、それを否定した。
教えて苦にしないのは、ミアのような素直で模範的な生徒である。仕事となれば、素直に指導を受け入れない、悪い生徒も相手にしなくてはいけないだろう。同時に、学生時代に家庭教師をしていた頃、手を焼いた悪い生徒が居た事を思い出した。そして、厄介な魔術指導の約束をしたシャーロットの事で憂鬱になりかけている。間違いなく向いていない。
「朝は知識神への祈りを。昼は魔術の修練を。夜は学問と教養を。知識神の教えか。……では」
宗谷は独り言の、先の言葉を紡ごうとして、止めた。それは知り合ったばかりのアイシャを値踏みする事になりかねない。だが、彼女の見せた覚束ない足取りに、何処か漠然とした不安を感じずにはいられなかった。
二重術師は某RPGの賢者みたいな位置付けです。
知識神以外の宗派の神官でもなれない訳では無いですが、
まず魔術習得を目指そうとする神官は殆ど居ないと思います。




