7.早起き鳥鳴く草原
「……なるほど。そんな処だろうとは思った。大地母神の神官らしい」
大地母神は、自然や豊穣、そして慈愛を司る大地の神である。ミアは大地母神の教義に従い、時おりこの草原で野草採取をしつつ、自然の中で神の言葉に耳を傾け、祈りを捧げる神官としての修練を積んでいたらしい。
「野外活動好きなのは、健康的で結構。大地母神の教義も個人的には良いと思う。けど、世の中善人ばかりではないからね。こういった手合いを一人で何とか出来ないのであれば、冒険者ギルドで旅の仲間を探した方がいい」
「そうですね。……ただ、冒険者ギルドは、あまり行きたくなくて。一応冒険者として登録してはいるのですが」
ミアは肩掛け鞄から、青銅色色の冒険者証を取り出した。
(おや、懐かしい。……僕の冒険者の証は――まあ、除名されているだろうな)
この二〇年の間、完全に消息を絶っていた上、会費も払っていない。冒険者ギルドから除名されている可能性が高いだろう。宗谷は二〇年前、異世界転移した後、冒険者ギルドの会員として活動していた懐かしい記憶に想いを馳せた。
「ミアくんなら、仲間は見つかると思うよ。大自然と接したいのであれば、野外活動を中心とした冒険もある。ただでさえ君のような専業の神官は、希少で人手が足りてない事が多い筈だ」
「それは、そうだと思います。ただ……冒険者ギルドで、男性の方に言い寄られたんです。……断っても、しつこく言い寄られて、それでギルドに行き辛くなってしまいました」
あまり良い思い出ではなかったのか、ミアの表情が暗くなった。
「災難だったね。口説いていたのか、ただの熱心な勧誘だったのか、僕には判断がつかないが」
「違うんですよ。明らかにふざけてて。聞いてください。交際を前提に一緒に冒険をして欲しいとか、ある人なんて、ミア教を作るとか大声で。……ああ、恥ずかしい。本当にもう。やだ、どうしてですかね」
無理もないとは思った。希少な専業の神官に加え、見目麗しい美少女である。何かと声をかけたくなるという物だろう。ただ、少し度が過ぎていたかもしれない。真面目なミアの性格からすると、怒るのも無理はなさそうであった。
「交際を前提にね、それは酷い。何かをはき違えているね。でも、ミア教か。個人的には悪くないな」
「駄目ですよ。大地母神様を差し置いて、個人崇拝なんて。とにかく、おちゃらけた人が苦手なんです」
「僕もおちゃらけたところがある。それに人を揶揄うのも実は嫌いではない」
「ソウヤさんは違います。……いえ、もし仮にそうだとしても、私の命の恩人です。そんな人を嫌うなんて絶対ありませんから」
ミアは小さな声で呟くと、柔らかに微笑んだ。
(信用してくれるのは嬉しいが。──知り合ったばかりの人間を、簡単に信用してはいけないな。僕が善人とは限らないのだから)
例えばこの襲撃は全て仕組まれていたもので、実は宗谷がミアを信用させる為の仕込みである。そんなシナリオを宗谷は思い付きで考えてみた。やや大掛かりであるが、野盗を事前に買収していれば、決して不可能ではないだろう。
その思い付きをミアに告げるべきか考えたが、にこやかな彼女の笑顔を見て、結局取り止めた。過去に冒険者ギルドで嫌な目に遭っているようだし、つい先程野盗に追い回されたばかりである。世の中の悪意ばかりを叩きつけて、人間不信にさせたくはない。
彼女は根っからの善人なのだろう。慈愛を重んじる大地母神を強く信仰してるくらいだから、それについては、まず間違いなさそうに思えたが、それ故に悪意に対して鈍感な、少々危なっかしい印象を受けた。
「あの、ソウヤさんは、これからどうされるつもりですか?」
「僕は、このままメルボルザの草原を東に抜けて、ある街を目指すつもりだ」
宗谷は二〇年前の記憶を辿る。確か街の名前は――
「イルシュタットですね」
「そうそう。イルシュタットの街。懐かしいな、実は行ったのは随分昔の事なんだ。まだ街はあるようだね。そこを暫く拠点にしようかと思っていたんだよ」
「ソウヤさん、私、イルシュタットを中心に活動しています。奇遇ですね」
ミアは何かを期待するような、そんな表情を浮かべていた。
(もしや、僕を頼ろうとしているのだろうか? さて。悪くはない気分だが、どうしたものか。何なら此方から提案しても良いのだが)
宗谷は何か言いたげなミアを見ると、少し意地悪そうに笑みを浮かべた。
先ほど一人旅の危険性をミアに説いたばかりだ。そうなれば、イルシュタットの街まで一緒に同行して欲しいというところだろう。
(――頼られてみたい。というのが、男の性というものか。年甲斐もなく意地悪するのも、あまり良くないとは思うが)
街までまだ距離があるし、彼女が居れば道中、話に退屈しないだろうから、自分からミアに提案しても良かったが、どうせなら、彼女の口からその言葉を聞きたいと宗谷は思い黙っていた。
「……ソウヤさん、冒険に必要な道具やお金が無いって言っていましたね」
「ああ、そうだった。困った事に。……この野盗に少し期待をしていたのだが、どうやらお金は貸して貰えそうにない」
「私もそんな蓄えは無いですが、一月くらい暮らせる分くらいの蓄えはあります。なので──」
ミアは言葉を区切り、迷っている素振りを見せていたが、やがて決心したのか口を開いた。
「私がソウヤさんを養います」
強い力の篭った言葉。完全に予想外なミアの提案に、宗谷は真顔になった。これでは、頼られるどころか、頼る立場である。
「……養う? この僕を。あ……いや、確かにしばらく宿代や食事代に苦労しそうではある。まあ、一時的に貸して頂けると助かるのは事実なんだが。いや……しかし」
「助けて頂いたお礼ですから。ソウヤさんは、遠慮なくヒモになって下さい」
「ヒモって、ミアくん、難しい言葉を知ってるな。というより語弊がある。……大地母神の神官とあろう者が、そんな言葉は使うべきではない」
宗谷は久々に狼狽している事を実感していた。これは彼女に一本取られたという事だろうか。わけもわからず楽しくなり、宗谷は思わず笑いそうな口を押えた。
「くっくっ、わかった。それでいいよ。では、暫くの間、ミアくんの世話になろうか。…………まあ、金銭的な問題はすぐ打開するつもりだ。倍にして返すよ」
「よろしくお願いしますね。……あ、いえ、よろしくっていうのは倍に返して欲しいって意味ではないですから」
「はは、期待しておいてくれたまえ」
二人は握手をかわした後、出発の準備を終え、早起き鳥が鳴く大草原の中を、イルシュタットの街に向かって歩き始めた。
「な……お、俺たちは、どうなるんだ……だ、誰か、助けてくれッ!」
宗谷とミアが出発すると同時くらいに、丁度野盗の一人が目を覚まし、そして、がんじがらめに縛られて身動きが出来ない事を確認し、絶叫した。