54.二人の森ガール
追跡者であった盗賊のラットを路地裏で解放した後、宗谷はそのまま冒険者の宿に戻ると、疲れもあったので、個室を借りて早々と眠りにつく事にした。
ラットは盗賊だが冒険者でもあった。再び宗谷を追跡し、冒険者の宿で監視まがいの事をする可能性は限りなく低い。冒険者ギルドや冒険者の酒場と提携をしているこの宿で、犯罪を犯し、ブラックリストに載れば、イルシュタットの街で冒険者稼業を続けるのは困難となる。少なくとも、ここに居る間は、身の安全が保証されるだろう。
翌日。宗谷はノックの音で目を覚ました。外では早起き鳥のさえずりが聞こえる。おそらくまだ早朝と呼べる時間だ。
「ソーヤ、居るか?」
部屋の外から、聞き覚えのある少女の声がした。
(……この声は、メリルゥくんか)
宗谷は欠伸をし、寝ぼけ眼のまま、ベッドの脇に置いた眼鏡に手を伸ばそうとした。すると、それより早くメリルゥが部屋のドアを開けた。
「よお、ソーヤ。……おっ、ミア。来いよ。いいものが見れるぜ」
メリルゥに続けてミアが部屋を覗き込むと、上半身裸の宗谷と目が合った。
「あっ……! ソウヤさん、ごめんなさいっ」
宗谷の裸を見たミアが、慌てて部屋の外に身を隠したのを見て、メリルゥが笑っていた。
「全く。ノックをした後は、返事を待つべきではないかな。……まあ、僕としては見られようが、別に構いませんがね」
宗谷はベッドから降りると、マイペースで、ハンガーに掛かったシャツを着用し、ネクタイを締め、スラックスを履き、ジャケットに袖を通した。続けて手鏡で寝癖を確認する。今日は特に目立った髪の乱れは無いようだった。部屋に残ったままのメリルゥは、恥ずかしがることも無く、その様子を見ていた。
「ミアくん、着替えは終わったよ。メリルゥくん、僕が宿に戻って来ていると、何故わかったのかね?」
「昨日、窓を閉める時に、偶然ソーヤが帰って来るのが見えたんだよ。それで今さっき、泊っている部屋をマスターに聞いてきた。……なんだよ。夜遊びするんじゃなかったのか?」
「結局、金貨一枚使っただけです。楽しいお喋りのつもりでしたが、僕の態度が少し馴れ馴れし過ぎたのか、相手を怖がらせてしまいました」
宗谷は肩をすくめながら、昨夜、歓楽街の裏路地で起きた、盗賊のラットとのやり取りを思い起こしつつ、虚実の混じった適当な作り話をした。盗賊と接触した事は、今の段階では二人に伝える必要は無いだろう。
「メリルゥくん、僕の笑顔は怖いと思いますか?」
「……なんだ、その質問。別に怖くはないだろ。……でも、悪い組織のヤツっぽく見えるかもな」
「なんですかね、その悪い組織のヤツっていうのは」
メリルゥの例えに、宗谷は顔をしかめ、不機嫌そうな表情を浮かべた。悪い組織のヤツに見えるという事は、相手に恐怖を与えたという事だろうか。
普段通りの営業スマイルのつもりだったが、世界も文化も状況も違うのだから、そういった物も踏まえて、対応する必要があったかもしれない。
「……朝早く起こしてしまってごめんなさい。出掛ける前に、ソウヤさんに挨拶をしなくてはいけないと思ったので」
再び部屋に戻ってきたミアが、申し訳無さそうに宗谷に謝った。
「僕は気にしてない。しかし、こんな早朝からお出掛けとは。二人でハイキングにでも行くつもりですか」
ミアとメリルゥの二人は、纏め上げた荷物を背負い、身体には外套を羽織り、旅人の装いをしていた。ミアが出掛けると言ったので、おそらく今からイルシュタットの街を離れるのだろう。
「ソーヤ、しばらく依頼は受けないんだろ。ミアと一緒に森林浴してくるよ」
「森林浴……スレイルの森かね?」
「ああ。近場でいい感じの森は、スレイルくらいだからな」
近場とはいえスレイルの森までは、イルシュタットから半日程は歩く必要がある。宗谷にしてみれば、思いつきで遊びに行くには、なかなかしんどい距離ではあるが、この世界の住人であれば、そこまでの遠出とは言えないのかもしれない。
それにしても彼女の森への帰巣本能は、生命樹から生まれた森妖精の習性というものだろうか。故郷を捨てたとはいえ、森の生活を完全に捨てる事は出来ないのかもしれない。
「懐郷病かね。可愛い事だ。メリルゥくんは、まだ森に未練があるようだね」
「……おい、馬鹿言うなよ。わたしは故郷になんか未練はない。だけど、たまには街を離れて自然とも戯れるのが、生物の正しい在り方だと思うぜ。……それに森林浴は、ミアの希望だからな」
メリルゥが宗谷の煽りに反論した。そう言われて、宗谷はミアが以前に森林浴をしたい、と言っていた事を思い出した。
前回の古砦の救出依頼では、精神的に負荷がかかる出来事の連続だった。身体を程良く動かしつつ、自然の多い落ち着いた場所で、精神を休ませるのも悪くない選択かもしれない。
「ソウヤさん、メリルゥさんと一緒に、森の自然と戯れてきます。何かお土産に野草や木の実を拾って来ますね。でも、森林浴を強く希望したのはメリルゥさんが……」
「おい、ミア、余計な事を言うな。わたしが4でミアが6くらいだ。だからミアの希望で正しいんだよ」
メリルゥはミアの言葉を遮り、何やら言い訳を始めた。やはり森に定期的に帰りたくなる習性があるのだろう。本人が思ったより気にしているようなので、あまりその事を指摘するのは、控えた方が良いのかもしれない。
「どちらの希望でも些末な事でしょう。それより目的を増やしてしまうと、それに気を取られてしまう。ミアくん、今はオフなんだ。お土産とか余計な事は何も考えず、ただ自然を楽しんでくるといい」
やわらかに微笑むミアに対し、宗谷は微笑み返そうとしたが、昨夜、笑顔を浮かべて怖がられた事が頭を過ぎり、その笑顔はどこか、ぎこちない物になってしまった。
「……なんだよ、ソーヤ。その変な表情は。良かったらソーヤも一緒にスレイルに行こうぜ。自然は嫌いか?」
「今回は遠慮しておこう。自然が嫌いという事は無いよ。だが、僕は僕で休暇中にしておくべき準備がある。……そうだ、折られた武器を新調しなくてはいけないな」
街に留まりたい理由として、昨夜、宗谷を尾行していたラットの事が頭に過ぎっていた。もし再び宗谷がつきまとわれるようなら、二人がスレイルの森で森林浴をしている間に、話をつけておきたいのが一つ。
後は宗谷が先程言った通り、白銀の魔将に折られた、愛用の洋刀に代わる武器を新調する必要があった。元々ミアを襲っていた野盗集団の親玉が使っていた物だったが、片手で扱うのに程良い長さと重量で、使い勝手が良かったので、今になって使い捨てるには惜しい事をしたという気持ちが、宗谷の中で強くなっていた。
(正直、あの洋刀は、野盗風情が持つには勿体無い品質だった。似たような業物が手に入ればいいが)
あの品質からすると特注品の可能性が高い。同じ等級の物を手に入れようとすれば、それなりに値が張るだろう。
「そういや、刃を圧し折られてたな。……わたしも少し出そうか? 結構値が張るんじゃないか」
「私も出します。ソウヤさんの武器が無いと……」
「いや、心遣いだけ受け取っておこう。メリルゥくんも、矢の補充は自腹だろうし、ミアくんにはお金を借りたままの立場だ。その分と思って貰えばいい」
宗谷はお金を出そうとする二人に断りを入れた。どの武器を新調するかは決まっていないし、良いものを求めようとすれば、値は天井知らずだ。金に糸目を付けなければ、前回得た報酬など、あっという間に無くなってしまうだろう。
「そうか。……三日したら戻る。まあ心配はいらない。イルシュタットで、わたし以上に森に熟知したヤツは居ないと断言出来るぜ。ミアの事は任せておけ」
「メリルゥくんが居れば、まず心配は要らないと思うが、危険な奥地までは足を踏み入れないように気を付けて」
専業の神官であるミアはともかくとして、精霊使いのメリルゥは並大抵の怪物位なら、ものともしない戦力を持つ風精霊を行使できる。戦闘になるような非常事態でも、特に問題は無いだろう。月齢的にも以前スレイルの森で遭遇した、恐狼のようなイレギュラーは考えられない。
「それではソウヤさん、行ってきます。また、三日後に会えるのを楽しみにしてますね」
手を振るメリルゥと、笑顔を浮かべるミアに対し、宗谷も笑顔で見送ろうとしたが、やはり、先程と同じようなぎこちない変な笑顔になってしまった。
二人を見送った後、宗谷は手鏡を取り出し、現実世界で普段から行ってきた営業スマイルを再確認してみた。
『面白かった』『続きが気になる』と思われましたら、
広告下の☆で応援を頂けると大変励みになります。