39.イルシュタットから砦まで
トーマスの案内の元、一行は足早に移動を続けた。体力の消耗を避ける為、会話の内容は、互いの紹介や技能確認、戦闘時のフォーメーション等、必要最低限に絞られた。
黄昏時を迎え、紫色に染まった空は、雲一つ無く澄んでいたが、今は星々の観測をしたい気分ではなかった。
「……キャンプ跡があります。早朝までここで休憩しましょう。見張りは僕が。トーマスくんとレベッカくんは、往復で疲労が溜まっている筈。すぐにでも休んでください」
さらに歩き続け、夜が更けて日付が変わりそうな頃、宗谷の提案により野営の準備が行われた。準備は、宗谷、ミア、メリルゥの三名で行い、疲労が激しいトーマスとレベッカは、すぐに就寝した。
「ミアくんも負傷治療を行使した消耗分がある。見張りはせずに休むように」
「ソウヤさん、ごめんなさい。お言葉に甘える事にします」
ミアも薪拾いを終えた後、祈りを手短に終えると、毛布を広げ、就寝準備に入った。
「……つーと、わたしとソーヤで二交代か……よし、先に寝る。適当な時間で起こしてくれ」
メリルゥはあくびをすると、髪のおさげを外し、荷物から取り出した毛布に包まって寝転がった。
仲間が就寝する中、宗谷は斬り株に座り、両手を組んで、じっと、炎の揺らめきを見つめていた。
焚き火の仄かな暖かさと、夜冷えのひんやりとした微風が心地良い。こういった状況でなければ、星でも眺めて、趣を楽しむのも悪くなかったが、今はどうにも心が詰まる思いだ。
(これが二回目の依頼。……にしては、やけに意地悪じゃないか。女神よ、少しアクシデントが過ぎるだろう?)
揺らめく炎の中、女神エリスの顔がぼんやりと浮かぶ。今になって思うと、現世に帰還した後も、夢の中で女神の姿を見ることがあった。だが、記憶が抜け落ちていた宗谷は、ずっとそれが誰だかわからなかった。
(――もう、若くは無いんだ。二度目の異世界転移は、せめて、のんびりとスローライフでも送らせてはくれないのかね)
宗谷は、ミアやメリルゥ達と、長閑な村で、魔術を便利に駆使して、のんびり暮らす妄想をした。きっとそれは、意地悪な女神が許してはくれなさそうだ。身に覚えが無いわけでもないので、何の恨みがあるとまでは言わないが、これは少しばかりハードだ。
「メリルゥくん。起きてください」
「んん……ソーヤか……わたしに何のようだ」
「時間です」
宗谷は真顔でメリルゥの両頬をつまむと、寝ぼけていたメリルゥは我に返り、慌てて飛び起き、身支度をした。
「では、僕は休ませて貰います。何か気づいたらすぐ叩き起こしてください」
「なあ……ソーヤ、正直。どうだ。……あいつらの仲間は助かりそうか?」
メリルゥが真面目な表情で、焚き火を見つめていた。あまり興味が無さそうな態度を取っていたが、気になるのだろうか。
「観測してみない事には何とも」
「わたしは厳しいと思う。……ミアは信じてるみたいだが、こればかりは、祈りだけではどうにもな……まあ、トーマスとレベッカは、思ったより悪くなさそうな奴らだから、何とかなっては欲しいが」
メリルゥはドライな性格をしていた。生を呪縛とも捉える、はぐれ森妖精だと、死生観そのものが全く違うのかもしれないが。
気分的にはメリルゥともう少し語りたかったが、今はその余裕は無かった。宗谷は眼鏡を外し、外套を身体に纏うと、浅い眠りについた。
翌日。早朝から再びトーマスの案内の元、強行軍が始まった。前日に一通り、最低限の事を話し合った二日目は、皆、口数が少なかった。
そして急ぎ足の甲斐もあり、夕陽が西に落ちる前に、一行は無事砦に到着する事が出来た。
「そういえば、トーマスくんの仲間の方が、闇司祭が居ると判断した紋様というのは」
「ああ。……ソウヤさん、あれだ。扉を見てくれ」
トーマスの指した先には、古城のような趣のある、二階建て程の高さの城壁が聳えている。その木扉には、なにやら禍々しい紋様と見慣れぬ文字が、赤と黒の染料で描かれていた。宗谷は女神エリスから貰った眼鏡の機能の一つである翻訳を発動させた。
「……死。呪。破。壊。惨。滅。終。破滅の呪詛。……破滅神の暗黒文字。破滅神の闇司祭が居るなら厄介だな」
破滅神は暗黒神の眷属の中でも、最も厄介な者の一体と言われていた。教義は『世のあらゆる全ての破滅を望む』という物で、最終的な破滅の対象は、自分すら例外ではない。
ミアは破滅神の名を聞いて、怪訝な顔をした。大地の恵みを讃える大地母神の教えとは当然対立している。尤も、全ての破滅を望む破滅神と対立していない神を探す方が難しいだろう。
「さて、突入の準備と行こう――石塊よ。兵と化し我が命に従え。『石塊兵』」
宗谷は適当に落ちていた石塊を両手に掴み、二体の石塊兵を造り出した。
「おお。ソーヤ、二体か」
「一体は前を歩かせて、不意打ち及び罠の対策の囮。もう一体は殿に配置して、後衛の守りを固めます」
「なるほどな。風精霊はどうする?」
「魔力の消耗があるでしょうから、今はまだ。――レベッカくん、照明を頼めますか?」
レベッカは宗谷の要求に頷くと、詠唱をしつつ、魔術師の杖を掲げた。
「――闇を照らす明かりとなれ。『照明』」
レベッカが詠唱を終えると、二つの小さな光球が浮かび上がり、二体の石塊兵を照らすように、上空をふわふわと漂った。
「いい仕事です。程良い光源具合、僕より慣れているかもしれない」
宗谷に褒められると、最低限の仕事を果たしたレベッカは安堵の表情をした。傍では、ミアが予備光源として予定している洋灯の準備を終えていた。
「命令。石塊兵A。前方の扉を破壊しろ」
宗谷が前衛に配置した石塊兵Aに命令を下すと、砦の入り口にある呪詛の書かれた木扉に近寄り、石の拳を同じ動作で何度も叩き込む。経年劣化が進んでいたのか、木扉は文字通り、木っ端微塵になった。
「……入り口付近に、敵は居なさそうだ。砦の規模を考えると、小鬼は大方、トーマスくん達が始末したのかもしれません」
宗谷は洋刀を抜刀した。トーマスとメリルゥもそれぞれ大小の弓を構えている。杖を持った後衛のミアとレベッカの最後方には、石塊兵Bが守りについた。
「では、突入しましょう」