17.スレイルの森の前
道具屋で精算を終えた宗谷とミアは、イルシュタットの東にあるスレイルの森に向かった。昼食を含め、道中で何度かの休憩を挟みながら、ルイーズから預かった、依頼書の簡易地図に従い、東へ八時間程。次第に前方にはそびえ立つ木々の壁が見え始め、いよいよ眼前に迫ってくるという頃に、一本の標識を見つけた。
「スレイルの森。ここで間違いないようだね」
宗谷は、雨風で少し朽ちた、標識の文字を確認してから呟いた。
「ええ。ここで間違いありません。実は私、スレイルの森に一度だけ依頼で訪れた事があります」
「おや、それは助かるな。やはり植物関係の採集かな?」
「はい。今回のナイトグラスとは別の種類ですけどね。とても、落ち着いた良い雰囲気の森ですよ。ただ、森の奥深くまで良い雰囲気かは分かりません」
「まあ、今回は森の奥まで行く事は無いだろうね。間違って踏み入らないように気をつけよう」
「ここは今まで訪れた冒険者の方々が、多くの道標を残していますので、迷う心配は少ないと思います」
スレイルの森の説明をするミアの声は、少し明るく聞こえた。これから始まるナイトグラスの採取に心を躍らせているのだろうか。彼女の方がこういった野外活動の経験は豊富かもしれない。
「こういった自然に、人の手が入り過ぎるのも考え物だが、冒険の手助けにはなるのは助かるね。それにしても、ミアくん。やけに楽しげに見えるが、森が好きなのかね?」
「ええ、自然の中だと、落ち着いて大地母神様への祈りが出来るんです。なので、もう一度森林浴に訪れたいと思っていました」
ミアは嬉しそうに、神官の杖を抱えて目を瞑り、両手を組んでわずかの間、祈り始めた。彼女がこのような自然を好むのは、自然の調和を教えとする大地母神の信仰による物も大きいのだろう。
「なるほど。森ガールか」
「……森がある? ソウヤさん、森に何かあるんですか」
「今のは忘れてくれるかね。こういった森でも、こないだみたいな野盗が出る可能性もある。一人では森林浴に絶対に行かないように」
「わかりました。……今回は、ソウヤさんから絶対に離れないようにしますので、よろしくお願いします。……暗くなりましたね。明かりの準備をしましょう」
日は西に沈み、わずかに夕焼けの名残を残すばかりであった。ミアは肩掛け鞄からフード付きの外套を取り出して羽織った。続けて、火打石と小さな灯明を用意し、火を灯す。
「ミアくん、なかなか似合うじゃないか。まるで、森の隠者みたいだよ」
フード付きの外套を纏い、杖と灯明を片手ずつに持った彼女の姿が、薄暗がりの森に、とても良く調和していた。
「隠者……褒めて貰っているのかどうか、良くわからないです。……ところで、ソウヤさん。道具屋で買った荷物は……?」
ミアが宗谷に視線を送りながら、不安そうな表情で言った。彼は、昨日と全く同じダークグレーのビジネススーツ姿に黒眼鏡をかけているだけで、何一つ、荷物を持っている様子が無かった。
「くっくっ、今になってやっとツッコミが入ったな。いつ僕に、荷物の事を聞くつもりだろう? と、ミアくんを待っていたんだ」
可笑しそうな宗谷に対し、ミアは困惑している様子だった。
「あの、一応ですね。……ソウヤさんなら、間違いないと思っての事です。多分、魔術的な何かがあるのだろうと思いましたし。……もう、私が悪かったです、ツッコミますよ。ソウヤさん、荷物はどうしているのですか?」
『開け』
宗谷が極めて言葉を紡いだ後、スーツのポケットに手を差し込むと、中から道具屋で買った外套を取り出した。
「異次元箱という魔術がある。それで見えない空間に道具を収納しているんだ。合言葉と引き出す動作は自由に変えられる。勿論、限度はあるがね。重さにして精々三○キログラム」
「手品みたいです。それで一見、手ぶらに見えるんですね」
「欠点もある。異次元箱の維持に、魔法力を割り振る必要がある。これが、そこそこ疲れるんだ。ただまあ、この僕の服装だとね、ミアくんのような旅の装いがあまり似合わないだろう?」
ビジネススーツを着たまま、冒険道具を背負っての冒険というのは、宗谷の美的感覚からすると不似合いであった。
「似合わないことは無いと思いますよ。でも、今の身なりの方が動きやすそうですね」
「それが主な目的だよ。僕の戦闘スタイルだと、敏捷性が命だからね。手に持つ荷物は最低限にしたいのさ。まあ、後は見栄え重視だ。この服装で背負い鞄は似合わないだろう」
「やっぱり、おしゃれですね」
「否定はしない。おじさんになると、格好つけたくなるものでね」
宗谷はスーツの上に取り出した外套を羽織った。ミアが森の隠者ならば、こちらは古い時代の探偵と言った処だろうか。
「さて、もう夜の帳が下りた。お喋りはこの辺にして、そろそろ出発しようか。暗闇だと採取はしやすいが夜通し探し回っている訳にもいくまい。程良く採取したら休憩しよう」




