111.神憑
「メリルゥくん。君は戦力を欠いた状況で、リーダーとしての役目を果たした。違ったのか。リンゲンに向かったのは、僕個人がわがままを押し通したに過ぎない」
宗谷は少し厳しい口調で、自虐とも取れる態度を取るメリルゥを咎めた。
彼女が悪いことをしたわけでも、判断を誤ったわけでもない。あの場で依頼人を置いて彼女に同伴されても困る話だったし、単独行動以外の判断はあり得なかった。
「……違う。怖くて仕方がなかった。シャミルの代わりに、わたしがソーヤに付いて行く事だって出来たんだ」
「代わりというのは選択肢としておかしいだろう。マスターが使魔を同伴させるのは当然の事だし、メリルゥくんはパーティーリーダーとしての責務があった」
「仮にあの場でリンゲンに行けと命令されても、きっとわたしは無理だったよ……。それに、もし一日リンゲンへの到達が早かったら、わたしたちは……」
その先を口にする事は憚られたのだろう。俯くメリルゥの身体が震え、溜めていた瞳の涙がぼろぼろと零れ落ちた。
森妖精は生命樹によって創り出された種族であり、本能的に火を嫌厭している。
勿論、焚き火程度の小さなものは影響ないが、火・水・風・土の四大属性の内、火の精霊術の扱いは特に苦手としていた。道中の青銅の魔兵の戦いで吹きあがる火柱を目撃した時に、少し神経質になっていた様子を思い出した。
これは決して彼女が臆病なのではなく、生命樹が自己防衛の為に、眷属である森妖精という種の遺伝子に刷り込ませた本能だった。
「タイミングが命運を分ける。そんなものは、ありふれている事で、結果論でしかないよ。リンゲンで起きてしまった事を考えると、あの場に居なくて良かったとまでは、とても言えないが」
宗谷は一拍置き、続ける。
「メリルゥくんが抱いている恐れは正しい。良い冒険者になる為の才能だよ。……赤角の事について、君は考えなくていい。想像より厄介な存在だ」
宗谷はメリルゥの頭を撫でると、シャツに顔を押し付けるように甘えていた。涙と唾液で生地が濡れているのを肌に感じていたが、今は気に留めなかった。
すっかり弱気になっているが、彼女が立ち直れないとは思っていない。臆した事を悔いているようだが、それは正しい判断で、挽回の機会はいくらでもある。森妖精としては若いが風精霊を召喚出来るだけの逸材で、伸びしろも十分にありそうである。彼女はいずれ白金級まで到達出来る素質を備えている筈である。
「……ソウヤさんは、赤角と戦うつもりなのですか」
ミアの声。顔を上げると、彼女は神官の杖を握り締め、真剣そうな眼差しを宗谷に向けていた。
「ミアくん。どうしてそう思ったのかな?」
「メリルゥさんに君は考えなくていい、と言ったので。……ソウヤさんは戦うつもりなのですね」
そして、今度は確認するように再び問いかけた。どうやら意思表示とも受け取れる言い回しを無意識に使ってしまっていたらしい。
彼女は時おり勘が鋭く、そして頑固な面がある。それを踏まえると言葉は慎重に選ばなくてはいけないが、既に赤角討伐に関わる者として期待されている身である。いたずらに誤魔化すのも得策とはいえない状況だった。
「仮にも魔将殺しの称号を預かった身だ。期待を受けているのであれば、その呼び名が伊達でないことを証明しなくてはいけないな。実力をいたずらに誇示したいとは思わないが、はったりで名乗っていると侮られるのは矜持に関わるというものだ」
精一杯に格好つけた台詞を、ミアは全く笑ってはくれなかった。
そして、不安そうな表情の奥底にある強い眼差しを感じ、宗谷は思わず目を背けたくなった。
「……今の段階で、どうこうは出来ないよ。敵は姿を眩ませてしまった。ミアくんも、その事は考えたりしなくていい」
「ソウヤさん。……私は力になれませんか。……今の私の実力では難しいかもしれませんが」
「古砦で僕達を絶望に陥れた、四つ腕の白銀の魔将を覚えているだろう。……あれは可愛い物だったと思って欲しい。この一件はルイーズさんやセランくんが当たる事になると思う。セイレンくん、フィリスくんといった、頼れる冒険者がイルシュタットに居ることも分かった」
宗谷がミアを嗜めると、握り締めていた神官の杖を下げ、無念そうに俯いた。
四つ腕の白銀の魔将に臆しているようでは資格なしと遠回しに言われれば、彼女は諦めるしかない。強い意志を挫くような事はしたくないが、流石に今回ばかりは相手が悪すぎる。
リンゲン捜索に駆け付けた白金級の冒険者達と共に挑む事を頭の中で想定しても、必勝のイメージが湧いてこなかった。
ただ、ミアには強い資質を感じた事が一度ある。スレイルの森にある湖畔の一件。
本来使えない筈の救済の神聖術と霊体との会話。あの一件は、彼女が凡人である事を明確に否定する出来事であり、宗谷の記憶に強く強く焼き付いている一件でもある。
(何度考えても、あれは神憑だったとしか思えない。大地母神との一体化か。そうだとしたら彼女は──いや)
憶測を否定するように宗谷は首を振り、大きく溜息をついた。
神頼みを当てにして、彼女に負担を強い、危険に巻き込むような想定はしたくない。頼る神は性悪な女神一人で十分間に合っている。
「とりあえず、また落ち着いた時にその話はしよう。……メリルゥくん。大丈夫かな。僕はこれから食事でもしようと思っているが」
「……うん。わたしが奢るよ。ソーヤの無事祝いだ」
「それは助かるね」
顔を埋めたままのメリルゥを離すと、メリルゥは恥ずかしそうにしつつ、すっかり泣き止んでいた。おそらく山小屋で別れてから抱いていた申し訳なさを、宗谷に対して吐き出したかったのだろう。
数日もすればいつもの通りになると宗谷は確信した。
ただ、いつもの通りの日常とはいかない。確実に追い詰め、逃さず仕留める為の準備を頭にいくつか思い浮かべていた。
もし、仮に追い詰めた上で逃すような事態があれば、もう二度とイルシュタット近隣には姿を現さないかもしれない。イルシュタットとしてはそれで構わないかもしれないが、宗谷はそれで済ましたいとは思わなかった。セランの敵討の事もある。故に慎重な赤角以上に慎重に追い詰めた上で、確実に仕留めなくてはならない。
自治都市であるイルシュタットでも、冒険者ギルドを中心に対策が近い内に打ち立てられる事になるだろう。宗谷も魔将殺しとして、個人的に出来る事をしようと考えていた。
(──酒場で火酒を買っておこう。彼の力が必要だな)
宗谷は明日、再び旧友の家に伺う予定を立てていた。
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