涙が出そうだ
俺がため息をついているとオーナーが聞いてきた。
「モンクばっかりって?何か言ってたんですか?」
そりゃそうか。キミーは、みんなの前では機嫌が悪い素振りをしなかったもんな。俺と居る時だけ、険しい顔をして威嚇してくるけど、他の人の前では良い嫁を演じてたっていうか、少なくとも嫌な感じを醸し出すことはなかったもんな、みんな気づかないよな。
「安眠装置がないと眠れないとか、専用機械がないと着替えができないとか、ネットワークが繋がってないとか、そういうことがイチイチ気に障るみたいで」
「眠れなかったなんて、可哀想に。そう言われてみると、朝は疲れた顔をしていたものねえ」
オーバさんが小さく頷きながら言った。
「確かに、安眠装置がないと眠れない人というのはいるんですよね。私も時々眠れないことがありますよ」
「オーナーが?」
ここの生活に慣れているオーナーでも、眠れないことがあるんだ。俺はここに来てから眠れなかったことなんてないから、全然分からなかった。
「妊婦さんというだけでもストレスフルなのに、さらに仕事もしているし、専用機械がないと忙しくて大変だったのかもしれないわね」
「衣服だけじゃなくて、予定の管理もいきなり全部をチェンジするのは大変ですからね」
オーバさんとオーナーは相変わらず、キミーのことばかり、可哀想がっているけど・・・だけど、そうか?それだって、キミーが慣れようと努力すれば良いだけのことじゃないのか?それなのに、文句ばっかり言って、全然慣れようとしないで、機嫌が悪いと俺にあたってさあ、俺の方が可哀想だと思うんだけど?
どうにも腑に落ちなかった。
俺がおもしろくなさそうな顔をしているのに気づき、オーバさんがこちらに向き直った。
「で?ダイチ君が、あり得ないほど気を使ったって言ってたけど、なんて言ってあげたの?」
「え?だから・・・疲れたとか嫌だとか言われたら、そうだなって肯定してあげたり、服取ってきてって言われたら取りに行ったり要は機械の代わりに色んな事を手伝ってあげたりとか、すぐ慣れるよって元気づけたり」
「まあ、前向きって言われればそうですけど」
オーナーが若干首を傾げている。
「違うわよ、そういうことじゃなくて」オーバさんは机を叩いた。「キミーさんが出て行くって言った時、あなたは何を言ってあげたの?」
言って“あげた”?
言ってあげたって?
俺、出て行かれちゃったのに、何か優しい言葉をかけろと?
「だから、すぐ慣れるからもうちょっと頑張れよって」
「優しくなくない?」
オーバさんのツッコミ速っ!
「優しいでしょ?何だとー!って怒鳴ったりしてないっすよ?頑張れよって励ましてるんじゃないっすか」
「目の下にくままで作って頑張った人に、まだ頑張れって言うのは優しいの?」
いつもおっとり優しいオーバさんとは思えないほど、鋭い言葉だった。いや、言葉が鋭いんじゃない。だけど、俺の前頭葉に刺さって、俺は固まった。
「ダイチ君、あなたが彼女にしてあげた気遣いっていうのは、一体何だったの。ハイハイって言うこと聞いてあげたかもしれないけど、後は自分で頑張れって言って、状況の改善のためにあなたがしたことは一体何?」
「状況の改善?」
オーバさんが俺に何を聞いているのかがわからない。
だって、状況の改善って言ったって、状況は変わらない。この家はネットワークが繋がっていない時点で色々と制限があるのは決まりきっているんだ。何かしてあげようがないじゃないか。
「ダイチ君ね、」オーナーがため息をつきながら低い声で話しはじめた。「今は、表面的な話しやこの家のシステムの話をしてるんじゃないんですよ。あなたたち夫婦の歩み寄りの話をしているんです」
「え?」
「あなた、奥さんに捨てられてここに来たって言っていましたね?自分の機械を捨てたら奥さんに捨てられたって」
「はい」
「それであなたは家を出て、ここに来たんですね?」
「はい」
「じゃあ、奥さんはどうして、捨てたあなたを探してここに来たんですか?」
「それは・・・俺の言うこともっと聞いてあげればよかったって言ってたけど・・・」
俺は彼女がこのアパートに来た時のことを思い出していた。そうだ、そう言ってもらえて俺はとても嬉しかったんだ。だから忘れられない一言だった。
「彼女はあなたに歩み寄ったんですよ。もうちょっと聞いてあげれば良かった、あなたが何を望んでいるのか、自分たちはどうしたら良かったのかを真剣に考えて、こんな誰も来たがらない幽霊屋敷みたいなところまで、あなたを探しに来たんじゃないですか」
「う、うん・・・」
そうだ。
キミーは俺のことを嫌っていたわけじゃない。俺が専用機械を捨てちまっても、それを拾ってきて俺の部屋に置いておいてくれたじゃないか。俺が帰ってくるのを待っていたに違いない。だけど、俺が帰らないから、探しに来てくれたんだ。
「それで、あなたは彼女に何をしてあげたんですか?って聞いてるんです。あなたから彼女に何を歩み寄ったんですか?」
「そ、それは」
「私たちが見ている限り、あなたは彼女に歩み寄っているようには見えませんでした。彼女が来てくれたのをいいことに、自分の価値観ばかりを押し付けて、彼女の気持ちを考えたり聞いてみたりしているようには見えませんでした」
オーナーの言葉は厳しかった。
だけど、そうだ・・・俺は、彼女の気持ちなんて、聞こうともしなかった。いつもモンクばかり言っていて、機嫌が悪くて、だから、なんか聞けなかったのもあるけど、俺は彼女の気持ちがなんとなくわかっていたのに、それを無視していた。
キミー・・・ごめんよ。
わかっていたのに。キミー、ゴメン。
涙が出そうだ。