嫁との生活
寝台の上に並べられた嫁の衣服。どれもきちんと畳まれている。そしてそれらを眺めてため息をつく妻。なんなんだ。
「今日、何着たら良いって言ってた?」
言ってた?って誰が?
あー、機械な?
「わりい、聞くの忘れた」
「ちょっとお・・・ちゃんとしてよね?」
「すみません」
一応謝ったけどさ、俺か?俺が悪いのか?キミーは不機嫌そうに俺と衣服を交互に見ている。うん、俺が悪かった。ちゃんと聞いてこればよかったんだな。
「今日、何着たら良いと思う?」
「あー、そうだねえ、えっと、」
好きなもん着れば良いじゃんという意見はグッと我慢して言わないでおいた。嫁は俺に決めろと言わんばかりの顔をしてこっちを見ている。
どれが良いかな。妊婦だし、お、この服見たことないや。
「これ、可愛いじゃん。これは?」
妊婦らしい、ワンピースを指さすとキミーはケっと目を細めた。しくった。ダメだったらしい。
「あのねえ、これから会社なの。こんなの着てけるわけないでしょ?」
「ああ、そうだ、そうだよな。うん。いや、可愛かったからつい、着ているとこ、見たいなーって思っちゃって。あ、じゃ、こっちは?これなら会社にも着て行けるだろ」
俺はもう、自分が捨てられないようにという気持ちばかりが強くて、ついつい下手に出まくった。ただ、それが嫁には良かったらしい。少しずつ機嫌が直ってきたような顔をしていた。
「そうね」
嫁はそれ以上何も言わないで、俺が選んだ服を着ることにしてくれたらしい。
なんとか機嫌を直して、さて二人で出社することとなった。
「行ってきまーす」
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
玄関で挨拶をすると、家の中から誰かが「行ってらっしゃい」と言ってくれる。勿論、機械と暮らしている時だって、言ってくれるが、俺はこのどこからともなく聞こえる声が好きだ。
家を出て、少し歩くと坂を下る。
「ねえ」
「はい?」
横を歩く嫁の声にとげがあって、思わず変な返事をしてしまった。
「歩くの速い」
「あ、すみません」
そうだな。妊婦だもんな。ゆっくり歩かなくちゃだよな。
手でもつないだ方が良いだろうか、と手を出しかけて、やっぱりやめた。なんか怖い。
坂を下りながら、町の方を見るキミー。
良い景色だろ?町の中だとただ四角い建物が立ち並んでいて、なんとなく灰色に染まっているような感覚だけど、この坂からだと空が見えるんだよ。だから天井が青い。キラリと光る塔があってその周りに町が広がっているのが客観的に見えるというのが良い。
そう思っているのに嫁の顔は相変わらず不機嫌そう・・・でもない。
坂を降り切った瞬間、キミーの表情が急に嬉しそうに緩んだ。思わずその表情に見惚れていると、目の前に車が止まった。
『オマタセイタシマシタ』
運転手が扉を開くと、颯爽と乗り込むキミー。
「じゃ、行ってくるから」
「え?」
俺が惚けている間に、キミーを乗せた車は出発した。
え、なに!?車で行くの?駅まで一緒に歩くんじゃないの?ていうか、車に乗るなら俺も乗せてけよ!
色々言いたいことはあるが・・・まあ、いい。嫁の機嫌が直ったのなら、もう良いんだ。分かってるよ、坂を下りて携帯端末のネットワークが繋がったからご機嫌になったんだろってね。
哀しい気持ちを振り払うように、彼女を乗せた車に手を振る俺であった。
嫁との生活はなんともギクシャクしていた。
俺はまた彼女に捨てられたくなくて、彼女の顔色ばかりを窺っていたが、キミーは何をしても、朝起きた時から寝るまで、多分寝てからも、何かというと機嫌が悪くなった。
まず、眠れないらしい。安眠装置がないと眠れないというのだ。少しは慣れたみたいだけど、起き抜けの顔を見る限りだと、眠ったか眠ってないかに関わらず、機嫌が悪かった。
そして、着替えをするのにだいたい揉めて、化粧をするのに揉めて、食事をするのに揉めて、外出で揉めた。会社から帰ってきて、疲れた疲れたと言い、また食事で噛めないだなんだブツブツ言って、ネットワークが繋がってないことを持ち出して、風呂の浴び方がどうのこうのとモンクを垂れた。
「うん、そうだな」
「ごめんな」
「そのうち慣れるさ」
そう言ってなんとか乗り越えた、というか耐えた。
3日間耐えたが、俺たちは限界だった。そして恐れていたことが起きたのだった。
「悪いけど、私無理。帰る」
そう言って、キミーは自宅に帰ってしまったのだ。
俺、呆然・・・
休日であったためアパートにはみんながいる。落ち込んだ俺は居間に行き、みんなに慰めてもらおうと思った。
「え?キミーさん、出て行ったって、どういうこと?」
オーバさんとオーナーが俺の顔を覗き込むように身を乗り出して聞いてきた。
「だーかーらー!あいつがね?この家にモンクばっかり言って、そんで、俺がもう、あり得ないくらい気を使ってるっていうのに、我慢できないって言って、出て行っちゃったんっすよ。俺・・・また、捨てられちまいました」
はあ、と深い溜息が出る。
同じ人に、2度捨てられた俺って。どんだけ惨めよ。