気が付けば二か月
俺がここに来て気が付けば二か月。随分と慣れたもんだ。
本物の土と植物のあるうるおいのある生活。そして、自分専用機械に何もかもを管理してもらうことのない不便な生活。俺はそれを心から楽しんで生活していた。
勿論、不便ということはラクではない。考えなきゃならないこともあるし、慣れなきゃならにことも、頑張らなきゃならないこともある。だけど、そういったことをひっくるめて、それら全てが楽しかった。
花屋になりたいあの子どもみたいに、このアパートに憧れている子もいれば、デヴィのように、ここの生活はできない人もいる。そんな、人間の色んな面を見られる、飽きない生活でもあった。
クラウチさんたちがこのアパートに移ってくるまでまだ数日あるそうだ。とはいえ、俺は仕事があるからな。通常通りの生活に戻っていた。
その日、俺が仕事から帰ると、もう夜遅くなっていたのに、居間の明かりが点いていた。普段は真っ暗になっているから居間には寄らず、自室へ直行するが、誰かいるなら挨拶していこうと居間に入った。
さっきも言ったが、今は夜だ。
いつもならみんな、寝ているような時間だ。
「ただいまー」
まあ、居ても、オーナーか、トコロさんか、誰か一人だけだろうと思ったのに、
「「おかえりなささい」」
居間には全員が揃っていて、俺のことを待ちわびた疲れた表情をしていた。
「!?」
声にならないで口だけ開いた。
汗がブワっと出る。
なぜなら、そこにはこの晴れ晴れ荘の住人だけでなく、よく見知った顔が、こちらを向いていたからだ。
「おかえりなさい」
ああ、聞きなれた声。
しかし、なぜいる。
なぜ、ここにいる。
・・・妻よ。
ここは「ただいま」と言うべきか「久しぶり」と言うべきか、それとも「お前、俺を捨てたくせに」とブチ切れれば良いだろうか、頭の中がせわしなくセリフを考える。しかし口は思うように動かなかった。
「太った?」
テンパった俺の口から出てきたのは、思いもよらない、ていうか、まず見た目第一印象から出てしまった言葉だった。
「そうよ、あなたの子よ」
「!?」
は?
それはどういう・・・
「ダイチ君、ひどい人ですね!」
「あなたって人は、女性を弄ぶようなことをするとは」
「やることやって、ポイ捨てだなんて、ダイチ君は人間の屑です!」
そ、そこまで言う?
ていうか、ちょっと、考えさせてくれ。
俺の子?
「彼女が妊娠しているのに、それを捨ててここに来たんですか?」
「そうと知っていたらここに住ませなかったのに!」
「嘘つき!」「人でなし!」「バカ野郎!」
「え・・・いや、あの、それはですね・・・」
って、みんな酷過ぎねえ!?
俺か?
俺が悪いのか!?
またこのパターンかよ!
俺はみんなの攻撃にひたすら耐えた。だってこういう時どうしようもないじゃないか。
絶体絶命のピンチだった。
彼女が妊娠していたなんて知らなかったんだ。俺が自分専用の機械を捨てた時、彼女は妊娠の兆候を見せていなかった。
しかし今、確かに彼女の腹部はふっくらとしていて、単に太ったとは違う腹回りになっていた。
俺がここに来て二か月ほど。
俺の子の可能性は高い。ていうか(あの真面目な性格だし)そうだと思う。
「ダイチ君、最低!」
「出て行け!」
「顔も見たくないです」
「ちょっと待ってください」
俺のピンチを救ってくれたのは、俺を捨てた嫁だった。
みんなが、彼女の方を向いたので、詰め寄られて壁際に追いやられていた俺は潰されずに済んだ。
「ダイチさんは、知らないんです。それに、彼を追い出したのは私なんです。だから、ダイチさんをそんなに責めないでください」
「本当に?」
「言わされてるんじゃないの?」
「大丈夫よ、本当のことを言っても。私たちが守ってあげるから」
おいおいおい~、俺ってそんなに信用ない?ひでえ言われようだよ。
「いいえ、あの、すみません。私が変な言い方しちゃって。でも、本当に、彼のことを追い出したのは私なんです」
「そういえば、ダイチ君、ここに来た時“嫁に捨てられた”って言っていましたね」
そうだろうが!オーナー、思い出してくれたか!
「多分、妊娠初期で気分がちょっと落ち着かなかったんだと思うんです」
彼女がそう言うと、みんなはやっと鼻息を和らげてくれた。どやどやと彼女のそばに戻り、それぞれの席に座った。
お、俺も座って良いかな。や、やめとこ。なんか怖い。
「私・・・一人になって色々考えたんです。ダイチ君のこと、もうちょっとちゃんと聞いてあげればよかったって。それに、これから赤ちゃんを産むのに、ひとりでいることが怖くなって、それで、ダイチ君のこと探したんです。役所に行ったら、まだ離婚届けが出てないって言われて」
おー、そうだったな。いや、忘れていたわけじゃない。出したくなかったんだ。だから、彼女がサインした離婚届を出せずにいた。
「居場所を探して、ここに来たんです」
みんなが、俺と彼女を見ている。夫婦のこんな話、聞かせるのもどうかと思うけど、仕方ないよな。
「探してくれて、嬉しいよ。俺も、悪かった。あれから何も連絡していなくて・・・ホント、ゴメンよ」
ああ、彼女はやっぱり可愛い。離婚なんてできるか!
もう一度口説く勢いで精一杯カッコつけて彼女に近づいた。
「キッザー!うわあ、ダイチ君ったら、ちょっと!」
オーバさんが大興奮しているが・・・ちょっと黙っててくんないかな!良いところなんだから。と睨むと、オーバさんは意味ありげな目をして口を閉じた。
「キミー、心細い思いをさせてごめん。もう一度夫婦になろう。一緒に」
「うん!」
キミーは可愛い瞳をうるうるさせて、頷いてくれた。
周囲ではヒューヒュー、ピーピー、やんやと騒いでいるが、俺たちは二人だけの世界に入り込んでいて、あんまり聞こえていなかった。