どの家も灯りが消えて
この家で夕飯を食べるのはだいたい夜の7時から8時くらいだが、俺の仕事は毎日バラバラで、なかなか一緒に食べることはできない。あの子どもの話だって3日後にやっと聞けたくらいで、他の日はトコロさんがお弁当を作ってくれて、出先で食べてんだ。
機械に管理してもらってた頃は、仕事が遅くなるとピーピーと知らせてくれて、強制的に家に帰らされたが、今はそれがないから、気を付けてないとすごく遅くなってしまう。
あれからまた数日が経っていた。
その日は仕事が遅くなり、もう外には人はほとんどいない時間だった。電車を降りて家の方に向かって歩いている間も、誰もいない。
まあ、もともと晴れ晴れ荘に近づくほど民家は減るけどな。
機械に管理されていると、遅くとも10時までに帰宅するように指示される。そして11時までに就寝するようにプログラムされているんだ。(もちろん職種にもよる。俺の仕事は夜勤のこともある)
だから日付が変わる今みたいな時間は、どの家も灯りが消えて静かになっているはずだった。
ところが
― ガシャーン! ―
と、派手な音が聞こえた。結構大きな音だ。大きな硬い物が倒れたような、割れたような・・・
― ドシン! ―
そう思っていると、また大きな音がして2階の窓から大きなものが降ってきた。
なっ、何だあれ!?ヒト、だよな。人形じゃない、機械、じゃない・・・人間だ!
2階の窓からは、機械や衣類や本や食器や、色んな物が次々と放り出されてきた。
「ヤバいんじゃないの」
どういうことかわからんが、落ちた人は大丈夫なんだろうか。俺はまだ飛んで落ちてくる物に当たらないようにしながら、そこに落ちた人に向かって走って行った。
たとえ2階からでも、落ちれば痛いはずだ。打ち所が悪ければ死ぬことだってあるだろう。落ちてきた人は蹲って震えていた。
「大丈夫ですか」
駆け寄って声をかけると、その人はビクっとしてすぐに顔を上げた。
―― 酷い顔だ。
落ちた拍子に打ったのか、殴られたのかはわからないが、片側の頬が真っ黒だった。着ているものが切れている。落ち方が悪かったのか、ボロボロだった。
その人は立ち上がろうとしていた。だけどすぐに崩れて膝をついた。
「ちょっ、大丈夫ですか。無理しない方が良いですよ。救急車呼びましょうか」
って、俺の端末ないんだけどな。こういう時どうすんだろう。まあ、この人の端末から呼べば良いか?
見ると、手からも血が出ている。結構酷いぞコレ。
「あ、だ、大丈夫、です。も、もどら、ないと」
「え」
戻るって、今落ちてきたところにか?
「病院行った方が良いですよ。だいたい、どうしたんですか」
俺はそこらへんに落ちてきた、布類を避けてその人に触ろうとしたが、その人はすごい形相で身を引いた。
「だ、大丈夫。はやく、もどら、ないと、また、な、殴られ、る」
殴られる、って?
「ちょっと、ダメですよ。え?殴られたってことですか?まさか、窓から、落とされたんですか?」
「ち、違う、ちがい、ます。いえ、そう、そうですけど」
何だ、この人。
ていうか、ダメだろ。戻っちゃ。戻らないと殴られるって言ったけど、戻ったら殴られるだろ。
「これ、どうしたんですか。機械が暴走したんですか?戻っちゃダメですよ。危険ですから」
「ち、ちがいます。夫が、わたしが、夫をおこらせて、しまって」
焦点が合ってない気がする。それなのに、戻ろうとして、無理やり立ち上がって、そこらへんに散乱した物を拾おうとしているけど。
「夫!?」
「あ、ち、違います、違うんです、私が、ダメ、なんです」
どういう意味だ。
ていうか、コレ、ヤバいだろ。どう見ても異常事態だ。通報するか。警察。
「サトさん」
そうだ、サトさんに来てもらおう。だけど、俺がここを離れたらこの人、戻っちゃうよな。それって絶対危険だ。戻らせちゃいけない。
「失礼なことを言うようですけど、戻っちゃダメですよ。あなた死んじゃいますから。逃げなきゃダメです」
「え、でも」
その人はハッと目を開いた。
戻らなければならないと思い込んでいたところに、俺の言葉が届いただろうか。
「こんなに怪我をしていて、痛いはずですよ」
そう言うと、その人は自分の身体を見た。手を震わせて膝を擦ると、痛みに顔を歪めた。
「でも」
「逃げましょう、今すぐ」
その人の目は恐怖の色をしていた。だけど縋るように俺を見ると、小刻みに首を振った。
「でも」
「今行かなきゃ危険なんです」
それだけは確かだ。俺はその人の手首を持った。意外なことに、その人はちゃんと俺についてきた。
真夜中の坂道をお化け屋敷へと上って歩く。
女の人は俺に手をひかれてお化け屋敷へ向かっていることが分かっているはずなのに、全然嫌がったり怖がったりしないでついてきた。まあ、表情を見る感じだとこの人のほうがお化けみたいではあるが。
こんなにひどい怪我をしていても、この人はほとんど痛がったりしなかった。泣きもしなかった。