花を探しに来た
オチ君はかなり困っているらしい。下を向いたまま何度もため息をついている。右手の指先を丸めたり爪を弾いたりするほかに何もできないでいた。
そこで助け舟を出したのが、お茶を出し終えてそこに座ったオーバさんだった。
「ね、あなた。どうしてここに来たの?ここのこと、知ってた?」
女の子は涙をぽたぽたと零しながらオーバさんの方を向いた。少ししゃくりあげて、それでも何とか喋ろうとしているのだろう。
「あのっ、あの、ここ、お、お化け屋敷だから、絶対近づいちゃダメって、お、お母さんに言われてたんですけど」
そりゃそうだろ。「あの高台には近づいちゃダメ」って子どもはみーんなそう躾けられてるからな。
「私、葉っぱを拾って、あのっ、もっと町の方で、葉っぱを見つけてね、それで、葉っぱがどこから飛んできたのか、探したの。そしたら坂の下まで来て、それで、きっと高台の上に花があるんじゃないかって思って、それで、それで、葉っぱとか、花とかあるかなって、思って、上ってきたんです」
「花を探しに来たの?」
「うん!」
オーバさんの優しい声に女の子は涙をひっこめた。そしてさっきより元気そうな顔になって話しはじめた。
「あのね、私、お花屋さんになりたいの!小さな花で良いの。本物の花をまとめて、こうして束ねてね、花束を作ってね、贈り物にするの。お祝いがあったら、髪の毛に挿して飾ったり、写真で見るだけじゃなくて、お花を、本物のお花の香りを届ける仕事がしたいの」
この話しっぷり。
花のことになったら、いくらでも話ができそうな勢い。まるでオチ君の魚の話と同じだ。
「でもね、お母さんにお花屋さんになりたいって言ったら、研究所に行ってお花の研究をして、香りや色を取り出すことをしたり、遺伝子のことの研究とかの仕事に就けって言うんだけど、違うの!私、そういうのがやりたいんじゃなくて、本物のお花をみんなに見てもらいたいの。それなのに、お父さんがそんなことを言うと施設に入れるって言うからっだから、私っ、だから、本物のお花がここにあったら、それでお花屋さんになって、そしたらお父さんもわかってくれると思うから、だから・・・」
「お花は綺麗だものね」
オーバさんが言うと、女の子はすごい勢いで首を縦に振った。
「そうなの!私、写真でしか見たことがなかったんだけど、ここに、本当に、本物のお花があるんだもの!そしたらすごく綺麗で、本当に写真よりずっとすごく色も形も、信じられないくらいすごく綺麗で、あのね、私、ここのお花を使わせてもらいたいの。それでお花屋さんになれば、仕事をしてることになるでしょ?だから、ここに住ませて欲しいの。だって、ちゃんと仕事にならなけりゃ、お父さんが施設に入れるって言うから」
つまりこの女の子は、お花屋さんになりたいと言ったら、父親に施設に入れられそうになって、ある意味逃げてきたってことらしい。
誰もが楽に生きることばかりを考えているこのご時世に、こんな子珍しいと思うしかないが、ある意味俺もオチ君も似ているのかもしれない。
女の子のお花屋さんになりたいという夢を、ここにいる誰も笑ったり否定したりしなかった。普通そんなことを言えば、バカげたことだと思うし、この子の父親のように施設行きを考えるだろう。
だけど、実際ここには土も植物もあるんだ。そんなにバカげた将来像ではないと思えるだろ。
「そうね。お父さんも本物のお花を見たことがなければ、お花屋さんなんてキチガイじみてるって思うでしょうねえ。私も、土を耕して野菜を作りたいって言ったら父に施設に入れられたから、よくわかるわ。だけどね」
オーバさんもこの子と似たような境遇だったんだ。だからこの子の気持ちがよくわかるし、協力してあげたいんだろう。
「あなたはまだ学生だわ。ちゃんと学校には行かなきゃダメよ」
「でも、施設に」
「大丈夫。学校にちゃんと通ってるうちは大丈夫だから。良く聞いて?これから卒業までの間に、お父さんとお母さんとたくさんお話しをしなきゃダメよ?お父さんはお花がどんなに綺麗なものか知らないんだから、あなたはそれをちゃんと伝えなきゃいけないわ。そして、お花がどんなふうに育つのか。お花屋さんになるにはどんなことが必要なのか、それができるのかどうかを、説得しなければならないわ。
施設じゃなくて、ここでもなくて、ちゃんと町でお花屋さんができるように、学生のうちに頑張ってみるのよ」
オーバさんは立ち上がると、台所に行ってすぐに戻ってきた。
「ほら、これをあげるから、お父さんに見せてごらんなさい」
オーバさんが女の子に渡したのは直径3センチくらいの黄色い花だった。
「手折ればすぐに枯れてしまう本物の花よ。この花がどんなに美しくて儚いか、見せて欲しいの」
女の子はそれを受け取ると、手のひらに乗せてジッとそれを見つめたまま頷いた。
「今日ダメでも諦めちゃダメよ。何度でも一生懸命お父さんとお話しをして。大丈夫、きっとわかってくれるわ」
「はい」
「それから…いつでもここにお花を見にいらっしゃい。一緒に新しいお花を育てましょうよ」
女の子はパッと顔をあげた。顔が、光ってるみたいだ。
「良いんですか!」
「ええ、勿論」
女の子は黄色い花をふわりと手で包みこむと、立ち上がった。
「ありがとうございました。また、来ます」
「ええ」「うん」
女の子は表の扉から帰って行った。
大地のない時代。花のない時代。あの子の夢はまだまだ小さな種だろうけど、きっとあの黄色い花みたいに、見る人の心を明るくするような、大きな夢に育つことだろう。