銀行へ行って現金を引き出そうとしたら
手続きは大変だった。
やっぱり専用の機械を壊したのは早計だったか。身分証明ができれば現金なんぞなくたっていくらでも買い物はできると思ったのが大間違い。機械がなければいちいち現金払いだ。このご時世に現金持ち歩くヤツなんて見たことない。
銀行に行って、携帯から身分証明をして現金を引き出そうとしたら、あろうことか役所に連絡がいった。そんで、どういうことなのかさんざん聞かれて、役所に行ってもう一度専用の機械を作ってやるから来いだのなんだの・・・
「なんで携帯端末だけじゃダメなんだよ!」
とキレたら、施設に入れられそうになった。
社会不適合者は施設行きだ。そこはそこで居心地が悪いわけじゃないが、それこそひたすら機械と接する生活になる。王様のようにやりたい放題やって良い代わりに、本物の人間とは接する機会を失う。
だから、そういう生活がしたいんじゃないんだって!
逆。
真逆だから。俺の理想は、機械とは接しない生活なんだよ。そりゃ、少しは良いよ?俺だって生まれたときから機械と一緒の生活してるんだからさ、いきなり大昔のサバイバルな生活なんてできっこないってわかってるさ。だけどよ、ものには限度ってもんがあるだろう。なんでもかんでも機械にやってもらう生活じゃダメだって。指先ひとつで生活全てができるんじゃ、俺の脳みそどうなっちゃうのよ。
そりゃ、やりがいのある仕事もいくらでもあるよ?だけど、そうじゃなくて、まず生活をちゃんと自分で組み立てたいんだよ。
朝起きた瞬間から、忠実な犬のようにそばにいて、あれこれ世話を焼いてくれる機械のない生活。何かを考える時に、いちいち「あなたにお勧めの・・・」と選択肢すら与えられない生活。多すぎる情報、少なすぎる運動量、そんなのを、機械抜きでやってみたいだけなんだよ。
「実は私、テレビ関係の仕事をしていまして」
「は!?ああ、はいはい、そのようですね」
銀行と役所の連中は、俺の身分証明と俺をチラチラ見比べながら怪訝な顔をしている。
「今度作る番組で、斬新な発想をしたいと思ってですね、機械のない生活を、まあ、ためしにやってみようかと思っているんですよ。だから、今、機械を新調するつもりはないんです」
「はあ」
「その第一歩として、現金を使っての買い物ということなので、ここはぜひ、ご協力いただけないですかね」
などと言ってみる。
銀行員は、はあ、と納得した顔をしているが、役所の職員はまだ怪訝な顔をしてジロジロと見ている。隙あらば、というか、俺の言ったことが嘘だったらすぐにでも“施設”に連れて行きたいという顔だな。うわ、怖え!
「買い物なんて、身分証明でしようが、現金でしようが、同じでしょうが」
職員の気持ちもわかる。俺もそう思うよ。現金だって同じなら問題ないだろうが。だから、現金よこせよー!という心の声は出さずに、営業スマイルだ。
「そこなんですよ。今まさに、それをやろうとしているんですがね、ほら、現金を引き出そうとしただけで、役所の方までいらっしゃるような事態になるわけじゃないですか。こういった体験をですね、少し、番組にしたいなーと思うんですよ。誰も現金での買い物なんて知らないじゃないですか。それがどれだけ面倒かとかね、興味あると思うんですよ」
「興味なんて、誰もないですよ」
「いやいやいや、考えてくださいよ。世の中のお金の動き、これ、子どもたちにも教えて行かなきゃならない大切なことですよ?」
「そんなの学校で十分に教えていますよ。あなただって子どもの頃に習って、ちゃんと理解できたでしょうが」
「そりゃ、そうですが。でも、本で学ぶのと、実際にこうしてやっているのを見るとなると、違うと思うんですよね。今の、このやりとりだって、映像にしたらショッキングですよ~?」
「うっ、そりゃ、まあ。でも、そんな必要ないじゃないですか」
といったような、全然生産性のないやりとりをして、なんだかうやむやになったところで、銀行の人が、
「ま、良いじゃないですか。身元も問題ないようですし。お仕事もちゃんとされているんですよね?」
と言ってくれたので「そうです、そうです」と頷いて、なんとか現金を手にすることができた。
それにしたって、自分の財産である“現金”を手に入れようとするだけで、こんなに大変って奇異しいよなあ。
とにかく、現金を持って不動産屋に戻り、なんとか家を借りることができるようになった。
「家のことで不都合があっても、私のせいじゃないですからね」
と、何度も念を押されての物件。どんな家なんだよ、と少し不安になったが、早速案内された家へ向かった。