釣りを楽しむ
「じゃあ、行きましょうか」
オチ君は歩き出した。最近見かけなくなったが、これはコンクリートだ。コンクリートの堤防の上を歩いていると、こないだトコロさんがフライパンで焼いたハンバーグを思い出した。きっと、あのハンバーグはこんな気持ちなんだろうな。
堤防の向こうは海だった。
思ったよりもずっと黒い水だ。真っ黒というよりは緑っぽい感じだけど、青い海水を想像していたから拍子抜けした。
だけど、すごい。海の水はずっとうねうねと動いている。それに生臭い匂い。
「これが海か」
自然と声が出た。低い声だったのに、オチ君は俺を振り返って頷いた。
ザザー、ザザーと波の音がする。考えていたよりもずっと大きくて力強い音だ。惑星大地が動いているのがわかる。
沖の方を見ると、船と思われるものが浮いていた。波に少し揺れているけれど、白い波をたてながらゆっくりと向こうの方へ進んで行った。船は他にも結構いて、大小様々だった。あれは全部機械が運転して、海を綺麗にしたり、物によっては漁を行ったりしているんだろう。
俺が想像していたよりも、ずっと、海は生き生きとしていた。
堤防の上を歩いて、かなり“海”って感じのところまで行った。潮風はなんだかペタペタしていて不快ではあるけれど、なんともいえないノスタルジックな香りがした。初めて嗅ぐ匂いなのに郷愁的だなんて不思議だよな。
オチ君は堤防の端っこに腰をかけて、釣りを始めた。
「ダイチ君もどうぞ。これ、使っていいですよ」
「俺もやって良いの?」
「そりゃ、勿論。釣りなんて誰だってできますから。糸を垂らして魚がかかるのを待てばいいんです。浮きがピクピクしたらここを巻いてください。水の中では魚の方が絶対的に強いので、体長10センチの魚でも甘く見ていると竿を持って行かれますよ。気を付けてくださいね。もうこれは餌が付いてるから大丈夫です。もしうまく釣れなさそうだったら手伝いますから、ヘルプを出してください。それと・・・」
よく喋るなあ。今まで幽霊みたいだったのが信じられん。
俺たちは釣りを楽しんだ。暑かったけれど、魚がかかった時はそんな暑さを忘れられるくらい興奮した。それに、オチ君が言った通り、魚の力はすごかった。結局俺は小さいのが2匹しか釣れなかったけど、それすら釣りあげることができなくて、オチ君に手伝ってもらった。
その間にもオチ君は10匹くらい釣っていた。
当たりが来るまでの間も、オチ君はずっと喋りつづけていた。魚が大好きだってことは分かった。ただ、俺がした質問に対しては、なかなか答えなかった。
「それにしても、こんな資格、よく取ったな。いつ取ったの?」
という質問だ。
オチ君はぷかぷか波に揺れる浮きを見ながら、何度かため息をついた。それからやっと口を開いた。
「僕が、魚が好きだと言ったら、ナオさんが教えてくれたんです。それに、あそこに住むなら、何か仕事をするか、資格を取るために勉強をするかしなけりゃダメだって」
「あそこって晴れ晴れ荘?」
「本当なら、仕事もしてないし、金もないし・・・だけど、資格を取るなら置いてくれるって・・・それで、資格の勉強のためにお金も出してくれて・・・で、まあ、そんな感じ」
さっきまでの饒舌なオチ君と同一人物かと思うほど、まとまりのない話ではあったが、とりあえずどういうことかはわかった。オーナーがこの資格を教えてくれて、さらに出資までしてくれたってことだ。
「オーナー、良い人だな」
「はい・・・ホントに、僕の恩人です」
浮きがピクピクと当たりを知らせているのに、オチ君は遠くを見ていた。
俺たちは少し仲良くなった。やっぱり話をするって大切だよな。オチ君のこともわかったし、俺も少し自分のことを話した。けど、オチ君は俺のことはあんまり興味がないみたいだった。それより、魚のことを話す方が好きらしい。
朝いちばんにやってきて、昼になるころには、魚も充分釣れたから、俺たちは帰ることにした。
またあの倉庫に戻ると涼しくてホッとした。
オチ君が機械の操作をして、俺は借りたスーツを返した。
「なあ、また来ても良い?」
「勿論です」
オチ君は嬉しそうに頷いた。俺も嬉しかった。