海は汚染されている
俺の仕事は、ある程度自分で調整が効く。会社のコンピューターを前に座ってもできるが、こうして自分の足で出歩いて仕事に生かすこともできる。
ということで、俺は今、オチ君に連れられて海に行くところだった。
―― 海。
この響きは憧れだ。誰もが知っていて、しかし見たことのないもの。この惑星「大地」の青さの象徴である水の大地“海”を、人類は知らない。
海は汚染されている。そして時に牙をむき人類を飲み込む。
危険であるが故に、人間は海に出なくなった。海に出るのは機械のみだ。
海の脅威から守られた、このドームに住む俺たちが海を見たことがないのは当然だ。そんなところに行けることすら知らない。
ところがオチ君が言うには、何か資格を取れば海を見ることができるらしい。
大丈夫なんだろうか。波にのまれてしまったりしないのか。汚染された水や空気の中で生きられるのか。そんな恐怖がないわけではない。
だけど好奇心の方がずっと大きかった。
ドームの端にある扉を開けると、そこは倉庫のような部屋だった。雑多に最新式の機械や旧式の機械、それに何に使うのか見当もつかないような道具が所せましと置いてある。
オチ君はそのうちの新しい機械に自分の持っていたカードを差し込み、いくつかキーを叩いた。画面に『ゲスト』と出てるから、俺のことだろう。俺は海を見る資格はないからな、オチ君についてゲストとして連れて行ってもらえるってことだろう。
普通ならこういうところには、ロボットがいて、いちいち話しかけて手続きをしてくれるが、ここには喋る機械はいないみたいだ。まあ、海に来る人は少ないだろうから、そんなに予算を回せないのかもな。
「これを着てください」
と、オチ君に差し出されたのは、変なふわっとしたスーツとヘルメットだった。顔を隠してないけど、これで呼吸できるのか?
とりあえず着たけど、随分旧式だし、簡単だけど、平気か?
「なあ、これって、酸素とかどうすんの?」
「酸素は大丈夫ですよ。惑星から出るわけじゃないんですから」
「でも」
「汚染も平気です。ドームの外の空気が汚染されていたのは100年も前で、今は人間が外に出なくなった分、かなり綺麗になっています。海水はところによってはまだ汚染されているところもありますが、働いている機械は優秀ですから少なくとも僕が見る範囲では綺麗ですよ。今度宇宙に出たら惑星大地を見てみると分かりますよ。ちゃんと青く光っていますから」
って、オチ君、実はよく喋るんだよな。
一度質問すると、答えが長い!まだ喋りつづけようとしている。
まあ、それはいいや。
「じゃあ、行きましょう」
「うん」
オチ君は外への扉を開けた。初めての海だ。期待に胸を膨らませてそこを出ると、暑い日差しと 灰色い世界があった。
普段暮らしている守られたドームから初めて外に出た俺の率直な感想。
「暑い」
なんだ、この暑さは!
ドーム内は守られていると言っても、ちゃんと四季があるんだ。冬は寒く夏は暑い。それは決まっている。
まあ、雨や雪は降らないけどな。(霧雨は降る。ほとんど霧だけど)
だから、外に出てもだいたい同じくらいの気温だと思ってたんだが、違った。息が苦しく感じるくらいは暑い。
「そのスーツは空調機能が付いてるんですから、贅沢言わないでください。慣れればなんてことないですよ。昔は最高気温が40度を超えることもあったらしいですが、それでも人間は生きられたんです。今の気温は33度ですから、このスーツで対応できないほどではないですよ。まあ、湿度が高いですから仕方がないですけど。知っていますか、湿度というのは体感温度を上げる場合があるんです。気温をt 、湿度をh 、風速をv で計算すると、気温が35度で湿度90%の時は体感温度が限りなく35度に近くなって非常に暑く感じますが、湿度が30パーセントの時は体感温度は29度くらいまで下がるんです。風速や日差しによっても・・・」
えーっと、オチ君の話しはなんだか面白いんだけど、途中から分からなくなってきた。
「ひとつ良いかい」
「はい?」
「ドーム内は夏の気温は28度だろ?」
「そうですね」
「ここは暑いな」
もうね、汗がブワって出てる。顔も身体も。
「あ、水飲むと良いですよ。汗が出たら体感温度も下がりますから」
結局体感温度なのか。頷きながら俺は持って来た水筒から水を飲んだ。うまい。水がこんなに美味く感じたのは初めてかもしれないな。