肉って、肉だよな
居間に入って、小声で聞くのもはばかられるが、それでもそのままにはしておけなかった。
「どうしたんですか」
俺が言うと、オバサンがこっちを向いて首を振った。
「昼にトコロさん、前の家に行ったらしいんです」
オーナーが小さな声で教えてくれた。
“前の家”ってことは、実家か?俺みたいに、結婚していて住んでた家ってことかな。年齢的にはもしかすると子どもどころか孫もいるかも知れないし、前に住んでた家と言ってもどんな人と一緒に住んでいたのか、それとも違うのか、そんなことも想像するのに難しかった。
「なんでだ!俺は、子どもたちのためを思って持って行ったのに!」
トコロさんの泣いている内容から察するに、お子さんがいることは間違いない。で、何かを持って行ったんだろう。その持って行った何かを、どうかされたんだろうな。
って、そんなんでわかるかい!とはいえ、わかることはある。
今ここでトコロさんが泣いているってことは、夕飯はまだ作る気配がない。下手すると夕飯がない・・・それは困る!
そんなことを考える俺ってヒドイな。こんな大の大人が泣いてるのに、自分の飯の心配してるとかって、俺ってどんだけ冷たい人間なんだよ。
でも、こういう考え方って、みんなそうだ。
自分に都合が良いか悪いかが生きる目的みたいになっちまってる。俺もそういう考え方が身に付いちゃってるけど、この家の人たちはそれだけのために、トコロさんを慰めているんじゃない。トコロさんのことを思いやってる。
だから、あんなすみっこで俺たちと目を合わせないようにしている幽霊2号ですらも、こちらをチラチラ見ては何か言いたげにしている。心配してるんだ。
トコロさんの泣いてる横に、ゴツい袋があった。中に野菜っぽいものが入ってるのがわかる。
「あの、それ、何ですか?」
俺が小さな声で聞くと、トコロさんがガバっと起き上がった。
「これはな!これは、野菜だ。ニンジン、ピーマン、キャベツ、玉ねぎ。それからこっちは肉の塊だ、な?知ってるか?」
「に、肉?」
ちょっとうろたえた。
肉って、肉だよな。筋肉とかの肉ってことだろ。気持ち悪い・・・
「気持ち悪くない!」
俺の心を読んだのか、トコロさんが叫んだ。
「これは食用の鶏肉だ。俺たちに食べてもらうために育てられて、屠られた肉だ。ありがたくいただいて、身体になる。ちゃんと調理すれば、すごく美味い。なのに、なんで、気持ち悪いだなんて!くそぅ、美味いのに、美味いのに」
トコロさんはまた泣きだした。
それって、もしかして持って行った先で言われたことか。今どきこんな食材手に入らないからな。だけど、それを気持ち悪いって突っ返された、ってところか。もしかすると、そんな甘いもんじゃなくて、何か嫌なことを言われたんだろう。
「トコロさん、すごいっすね。こんな食材、俺初めて見ましたよ」
俺が言うと、トコロさんは男泣きで泣きはらした顔をあげて俺の方を向いた。
「だけど俺も、最初気持ち悪いって思っちゃいました、すみません」
トコロさんは顔をしかめて、怖い顔して今にも叫び出しそうだ。俺は言葉を続けた。
「でも、俺はトコロさんの料理がすっげえ美味いって知ってるから、気持ち悪くないっすよ。もし、誰かに持って行くんだったら、調理したものを持ってって、食べてもらう方が良いんじゃない?」
「そうよ、その方がきっとお嬢さんもわかってくれるわ」
オバサンが言った。
そうか、持って行ったのは娘さんか。
とにかく、それでトコロさんは目を大きく開き、うんうんと頷くと、立ち上がった。
「よし!次は調理して行く!」
「そうよ、トコロさん。そうしましょう」オバサンが言った。
「良い考えです。頑張りましょう、トコロさん」オーナーが言った。
サトさんは大きく頷いていた。
向こうの端では、幽霊2号がホッとした顔をしたように見えた。