退社時間だ
昼食時――
普通は区切られた俺スペースでひとりで食べる。誰でもそうだ。あのドロっとしたやつを食べてるところって、なんか見られたくない。それに食事時間っていったって、パソコン画面を見ながら、なんとなく仕事の続きをやっているから、必然的に1人で食べることになる。
だけど、今日はトコロさんが作ってくれた弁当だ。どんな弁当だろう。何が入ってるんだろう。少なくともボトルにドロっと定食じゃないことは確かだ。
結構大きな弁当箱を、パカっと開けた。
嗅いだことのない匂いがする。それなのに唾液が口の中に溢れそうになった。
中身は全体的にクルクルしている。白と桃色の何かがクルクル。茶色と緑がクルクル。黄色がクルクル。なんだろう、コレ。
隣の席の同僚が
「何の匂いだ、これ」
と言ってるのが聞こえた。仕切りから顔をのぞかせて、
「ごめんごめん。俺の弁当なんだ。ほら」
と、見せてみた。
「はあっ、ダイチさん、なにそれ!?食べ物!?」
そんな驚いた?いや、まあ、そうだな。
「すごいだろ。作ってもらったんだ」
「なんっすかそれ、良い匂い」
興味津々だな。
「ひとつ、どう?」
「え!良いんっすか!?ありがとうございます!」
彼は茶色と緑のクルクルを手に取った。それを恐る恐る口に入れて、齧って、モグモグと口を動かしている。
ついでだから俺も同じものを食べてみた。
「美味い」
唾液がダーって出てきた。これは野菜に肉が巻いてあるんだな。野菜は見た目よりずっと柔らかい。肉も薄いから、噛みやすかった。お弁当用だから、そんな工夫もされているんだろう。
「美味いっすね。なんですか、これ」
「肉巻き、だろうな」
「肉、超美味いっすね!うわっ、すげえ豪華じゃないですか」
同僚の興奮の声と、弁当の香りは俺たちの周りにちょっとした人だかりを作ることとなった。
会社にいれば仕事は問題なかった。会社用の機械があるからなんでもできる。まあ、俺専用の機械との繋がりが切れてしまったから、多少使いにくい部分はできてしまったが、仕事をするうえでは問題ない。残りの自分のことは自分で管理すれば良いだけのことだ。
今まで、自分のこと家族のこと仕事のことが俺専用の機械で繋がっていたけど、それがなくなったら、なんだか身軽になった気がした。昼夜を問わずやってくるコールやメールも減るし、俺の居場所がわからないこともあるかもしれないけど、それで良い気がした。
と言うことで、退社時間だ。
俺の足取りはウキウキしていた。家に帰れば、トコロさんの夕飯が食べられる。あれは本当に美味い。給料全部つぎ込んでも良いほどの価値がある。(しかし一銭も払ってないところがミソ)
電車に乗り、駅で降り、お化け屋敷への坂道を上る。薄暗くて誰もいない坂道。誰もこっちを見ようとしない。坂の上に見えるあの壁は確かにお化け屋敷に見えるが、あれは単なる壁だ。その中の建物は誰も知らないんだ。とはいえ、あの中の建物もそれなりに古くてお化け屋敷に見えるけどな。
壁の扉ももう簡単に開けられるようになった。小道を通って家の玄関を開ける。
「ただいまー」
声をかけるとどこからか「おかえりー」と聞こえてきた。この声はオバサンかな。靴を脱いで2階に上がり部屋のカギを・・・そういや、鍵をかけていなかった。どこの部屋も扉は開けっ放しだから、なんとなく俺も開け放して出かけてしまった。金を置いてあるわけじゃないし、貴重品もない。今までだったら専用機械にロックをして部屋に鍵をかけて、家に鍵をかけて出かけていた。まあ、それは携帯端末からボタンひとつで操作していたから、このアンティークな鍵をかけるという作業とは違うけどな。
夜だけは扉を閉めた。さすがに寝ているところを開けっ放しにはしないよな。だから、扉が閉まっている部屋には人が住んでいると分かった。この2階にはサトさん、トコロさん、幽霊2号と俺が住んでいるってことだ。
ただ、一番奥の部屋はよくわからない。ずっと扉は閉まったままだった。
部屋に荷物を置くと、携帯端末を見る必要もない。
コールやメールの返信をすることもないし、機械にあれこれ指図されることもない。それはそれで、どうしたらいいかわからん。
まだ声はかからないけれど、今日は仕事もそんなになかったし、トコロさんの手伝いでもしようかなと、下に行くことにした。
そろそろ調理の匂いがしてきても良さそうだが、今日はまだのようだ。
居間に行くと、ダイニングテーブルの周囲にサトさんとオバサンとオーナーが立っていた。
「?」
ただいまって挨拶、する雰囲気じゃない。
そこには、ダイニングテーブルに突っ伏しているトコロさんがいたんだ。
「俺なんか、もう、うわああ」
って、トコロさん、どうした!泣いてんのか!
無愛想なサトさんが困った顔をしておろおろしている。オバサンがトコロさんの背中を擦っていた。
トコロさんに何があったんだ。