9.イカゴ
二人はイカゴの森の中にいた。移動魔法は成功だった。通常、移動魔法というものは自分の記憶を頼りに過去来たことのある場所のみを行き来することができる。彼に未踏の地を踏みしめたのは、ユハの白魔法の力によるものである。とはいえ、彼もこれほどの長距離の移動をしたのは初めてのことであり、大分体の方がまいってしまっていた。
「すごいわ!こんなところ初めて!見て、海が見えるわ!」
ユハは応えることはない。それはソランも承知していることであった。白魔法との契約後、執事はすべてを彼女に説明した。通常の人間と言葉を交わすことが完全にできなくなってしまった彼だが、それでもソランはユハに語りかける口を閉ざすことはなかった。口で応えがなくとも、ユハは心の中で何か返事をしてくれている。彼女はそう信じて止まなかった。
早速二人は散策を初めた。こういう冒険になると、先頭を切るのはいつもソランの方だ。
「奥!奥行くわよ!陽が落ちるまでには帰らなくっちゃ!」
二人は森の中を進んだ。景色が変わることはなくても退屈することはなかった。二人だけの特別な空間。たったそれだけの事実が、その時の二人を繋いでいた。
ついにソランが疲れ果て、休憩を取ることにした。ユハは比較的見晴らしの良い広場を選んだ。中央には大木が根を張り、辺りを光が照らしていた。ユハは彼女の為に丁度良いブランコを作った。彼女はその遊具で遊ぶことを幼い時から好んでいた。彼女はユハの好意に甘え、一休みしたあともその遊具に乗っては歌を口ずさんでいた。ユハもその光景に袖手傍観し、自身もまどろみかけていた。
そんな折に、ユハの頭に語りかけるものがいた。執事だった。これも、彼が手にした新しい力の一つである。白魔法を使う者同士は、このように連絡を取ることができた。
「ユハ様。至急王宮にお戻りください。突然の出来事ですが、カクシエンからの訪問が先ほどありました。会合が始まるまで時間がありません」
この時間帯での来訪は執事にも予想外であるらしく、ユハは焦りの影を感じることができた。時刻は16時を回っている。
意識下での交流故に、ユハからも情報を発信することができた。彼は現在の座標、ソランの様子などを伝えた。何よりも彼女の気晴らしの時間を重んじた彼は、できることならもうしばらくこのままにしておいてほしい旨を伝えた。
「かしこまりました。ソラン姫様の元へは、代わりに私が伺いましょう。事態は一刻を争います」
ユハは白人形を出した。執事が到着するまでの護衛である。
彼はアサゴ―王宮に踵を返した。