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8.ウィリアム・エイムズの『婚礼』

 

 

 

 華やかな宴の席を離れて、リズは回廊を進む。

 北回廊には、歴代の国王が選んだ名画が集められている。

 政変の折にランカをはじめ旧王家由来の絵は破棄されてしまったが、リズが覚えているものもたくさんあった。

 現王家の贅沢と浪費に気分を害していたリズだったが、自分の知る王宮とあまり変わらない北回廊の光景を見ることが出来て、少しばかり安心した。


「そちらの絵は、エイムズの『舞踏』でございます」


 案内役が丁寧に答えてくれる。北回廊を見学する来賓に、説明係としてついているのだ。

 当然、彼らが見ていれば絵画を盗むことは不可能である。流石に、バートン家の令嬢として参加した以上、人前で怪盗に扮することは出来ない。


 件の『舞踏』は、二十号のキャンバスに描かれた絵だった。

 北回廊に飾られる絵の中では比較的小さいが、盗むには少し不便な大きさ。


 立派な額におさまった絵画は舞踏会の様子を描いたものだった。

 色とりどりのドレスをまとい、生き生きと踊る紳士淑女の姿が描かれている。重厚な濃淡で表された背景の暗さと対照的に、手を取り合って踊る男女の描きこみは軽やかで楽しげだ。女性の肌は明るく表現され、ドレスの色彩は透明感があって美しい。


 画面の端には、「ウィリアム・エイムズ」のサインがある。

 キースは、この絵は自分が描いたものだと言ったが、そうだとすれば素晴らしい絵だと思った。エイムズのサインが入っていることで、偽物として扱われても仕方がないが、それでも、充分に美しい。北回廊に飾られたのも納得出来る。この絵は、このままここに飾っておくべきだと思ってしまった。

 しかし、絵を入れ替えないと依頼は成立しない。

 リズは決意で唇を結んだ。


「おや、また会いましたな」


 振り返ると、先ほどあいさつしたドハーティ侯爵が立っていた。

 侯爵は紳士らしいゆったりとした動作でリズの隣に立ち、絵を眺める。


「彼の絵に興味がおありかな?」

「ええ、まあ……とても美しいと思います。色の濃淡が非常に繊細で、惹き込まれます」

「ほお。バートン伯爵令嬢は、絵のわかる方ですな」

「わたくしなど、まだまだですわ」


 問われて、その場しのぎの返答をする。

 侯爵はその答えに満足したのか、嬉しげにひげの生えた口を綻ばせた。あまり気取らない自然な笑みは優しげで、貴族らしくない素朴さを感じさせる。

 そういえば、侯爵は私利私欲で金を貯めこむ貴族たちと違って、教会や孤児院への寄付も厚く、慈善事業にも手を出しているとセドリックが話していたのを思い出した。


「以前はわしの元で描いてくれておったんだがね……」


 侯爵は絵を眺めて、声をすぼめた。


「今はどこでなにをしておるのやら」

「スランプで活動を控えていると、世間では言われていますが? 侯爵さまはご存知ないのですか?」


 そう問うと、侯爵は自分の失言に気づいたのか、やりにくそうに目線を逸らした。

 だが、観念した表情で口を開く。


「実は、行方知れずなのだよ。親しくしていたわしでも、どこにいるのかわからん」

「行方知れず?」

「ああ、そうだ」

「侯爵さまは、彼を探しているのですか?」

「一応、懇意にしていたのでね」


 キースはそんなことなど言っていなかった。

 リズはもう一度、絵に視線を戻す。

 キースには、リズに言っていないことがある。あまり信用の置けない男だとは思っていたが、今更になって不安になってきた。


 本当に、絵を入れ替えても良いのか。と、心が最後の警鐘を鳴らす。

 だが、今更、変更などできない。

 左右で色の違う不思議な瞳を思い出し、リズは唇を引き結んだ。




 リズは重いドレスを引きずりながら、極力歩幅を大きくした。

 一旦北回廊から離れ、招待客に用意された控えの間へと向かう。

 宴の会場と隣接する控えの間には、セドリックが用意した王族への献上品が運び込まれていた。いわゆる賄賂である。

 王族から招待された貴族たちは、表には出さないが、各々に献上品を用意して宴に臨むのだ。今回用意したのは、東方から取り寄せた青磁のティーセットと、絵画三枚、戦女神の彫像だった。

 リズは誰も入って来ないことを確認し、彫像へ歩み寄る。


「おい、メイ。仕事だ」


 呼びかけると、彫像が握っていた盾の表面が光を放つ。

 鈍色の彫像と同化していた盾の色が美しい金色へと変ずる。代わりに、盾をコーティングするように膜を作って変身していたメイが姿を現す。


「んぅ~、もぅっ。リズったら遅い。あ、もうロビンって呼んだ方がいいのかしら?」

「どっちでもいい」

「あらぁ? ご機嫌ナナメかしらぁ?」


 待ちくたびれた。そんな表情を浮かべて、メイは服の中から鉄クズを口に放り込む。

 しかし、メイの視線は自分の化けていた彫像の盾に向けられている。

 どうやら、あの金箔をご所望のようだ。リズが睨むと、メイは「わかってるわよぉ。もうっ」と、顔を逸らせた。


「無駄話はいいから、さっさとしろ」

「はいはい。もぉうっ、妖精づかい荒いんだからぁ」


 鉄クズを飴のように舐めまわすメイに、リズは一言短く指示する。

 メイは軽く流しながら、リズの回りをグルリと一周した。


 リズは用意してあった絵画の一枚を額から外し、キャンバスの状態になった絵をメイに突きだした。メイは面倒くさそうに鉄を舐めながら、キャンバスに手を触れる。

 メイが触れた瞬間、絵を留めてあった釘がグラグラと動き出し、あっという間に全て抜けてしまった。

 キャンバスに貼られた絵画。しかし、木枠に固定されていたのは一枚ではなかった。リズは二枚重なった絵画――下側に隠されていた絵を広げる。

 今回、『舞踏』と入れ替える作品だ。

 似たような構図で、宴の様子を描いた絵だった。画面の奥には新郎と新婦の姿が描かれており、二年前に行われた王太子の挙式の模様だということがわかる。

 北回廊の『舞踏』は、特定の人物を描いたものではなかったが、これは政治的意図をもって描かれた絵であると区別できた。似ているが、はっきりと違いがわかる。

 手前に描かれた紳士には見覚えがあった。

 先ほども北回廊で会話したドハーティ侯爵だ。侯爵とエイムズは親しいようだったので、一緒に描き入れたのかもしれない。


「さっさと行くぞ」

「う~んぅ……」


 キャンバスから抜いた釘を見て、メイは指をくわえる。本当に見境がない大食妖精だ。

 リズは息をつき、服の中を探って一枚のロビン金貨を出した。その瞬間、メイが瞳を輝かせて鼻息を荒くする。


「良い匂い! やっぱり、伯爵さまが造る金貨は最高ねぇ。純度も質量も計算されてて、口に入れた途端にとろけちゃうのよ」

「お前の口の中がどうなってるのか、あたしには理解出来ないけどな」

「この美味しさがわからないなんて、人間は損な舌をしているのね。金の価値を少しも理解してないわ。あり得ない!」

「……お菓子感覚で食べまくるのが、本来の価値だとは思えないけどな」

「食べないと、もったいないんだもんっ」

「食べる方がもったいない」


 リズは金貨を眺めてみるが、甘い香りもしなければ、美味しそうにも見えない。

 やはり、妖精(メイ)のことは理解出来なかった。


「欲しかったら、仕事しろ」

「わかってるわよぅ!」


 メイは急いで返事をすると、抜いた釘を全てキャンバスに打ち直した。

 これで、献上品の絵は元通りだ。


「絶対、絶対にあとでちょうだいよっ!」

「わかった、わかった」


 念を押して、メイは満足そうに笑う。

 リズは大きな額の中に組み込んで隠していた木枠と釘を取り出し、メイに組み立てさせた。

 鋼鉄の妖精とは便利なもので、姿を変えるだけではなく、鉄ならなんでも自在に操れる。

 メイは慣れた様子で絵画を木枠に固定した。これで、多少は動いても大丈夫だろう。


 リズはおもむろにドレスの裾をつまみ、ペチコートの下に隠してあったマスクを取り出す。

 ドレスのリボンを緩めると、鮮やかな青いマントが滑り出た。


「さぁて、はじめようか」


 夜の、はじまりだ。

 怪盗はしたたかな笑みを浮かべた。

 

 

 

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