7.シャーロック・アボーンズ子爵
優雅な音楽に合わせて踊る紳士淑女。
華やかに彩られた会場で煌びやかな衣装が咲き乱れ、常に美を競っている。女は互いに謙遜し合いながらしたたかに、男はいかに自分が秀でているかを高らかに。
舞踏の会場を飾る彫刻や絵画も一つひとつが美しく、中でも天井のフレスコ画は歴史に残る名画とも言われていた。
そんな社交の場に身を委ね、リズは深い翠を湛える瞳に笑顔を貼りつけた。
「ほほう、こちらが伯爵自慢のご令嬢ですか。お噂通り、可愛らしいお嬢さまでいらっしゃいますな。養女というお話ですが、聡明そうな顔つきが実に伯爵そっくりだ。育て方がよろしいのでしょう」
「ありがとうございます」
招待客として参加したセドリックに、賓客の一人が声をかける。
カッチリと礼服を着こんだ紳士は恰幅の良い腹を揺らし、物珍しそうにリズを眺めた。
バートン家の令嬢として、いくつかの社交界に顔は出しているが、王宮に来るのは初めてだ。知らない顔も多かった。
「リズ。エリザベス、こちらはドハーティ侯爵アルフォード殿だ。ごあいさつしなさい」
セドリックに促されて、リズはとびっきりの愛想笑いを貼りつけた。
猫被りには慣れている。朝飯前だと言わんばかりに、ドレスを摘まみあげてお辞儀した。
「初めまして。エリザベス・バートンと申します。養父がお世話になっております」
すると、ドハーティ侯爵は口ひげをたくわえた顔に、親しみのある笑みを含んだ。
笑うと愛想がよく、素朴な顔である。お偉い貴族というより、下町の「オジチャン」と言った印象だ。なんとなく、近づきやすい空気があった。
「よく出来たお嬢さまですな。我が家の宴にもお招きしたいくらいです。いやあ、これは続編が楽しみですぞ」
続編? と、引っかかる単語を聞いたが、今はあまり突っ込まないでおこう。
「まあ。侯爵さまのご招待を受けるなど、光栄ですわ」
面倒くせぇ。あんまり構われると仕事が遅れるしなぁ。
などという本音をサラッと腹の中に仕舞いこんで、リズは甘い笑みを浮かべた。我ながら、完璧な振る舞いである。自分で自分を拍手したい。
横から、セドリックがさり気なく「自慢の娘なんですよ。あー、可愛いなぁ。リズは」とか言いながら、肩を抱こうとするので、見えないように肘を脇腹に叩きこんでやることも忘れない。
痛みに耐えて少し涙目になったセドリックを無視して、リズは周囲を見渡す。
目標は北回廊の絵画だ。王宮を訪れた賓客は、望めば入ることが許される。折を見て会場を抜け出し、絵を確認しに行かなくてはならない。
それにしても……王宮の様子を見て、リズは呆気にとられた。
天井のフレスコ画、壁や柱に施された彫刻の数々は見覚えがあり、懐かしさも感じた。ここは確かに、自分が五年間育った場所だと実感すると、感慨深い。
だが、明らかにリズが幼かった頃とは違う。
権力を誇示するために飾られた無意味に大きな砂糖菓子の城。それを無邪気に切り崩して、十歳の第三王子が遊んでいる。
砂糖はまだまだ高価で、たっぷり使った紅茶や菓子は特権階級が食する贅沢品だ。庶民には気の遠くなるような値がするに違いない。
姫たちは最新のファッションに身を包み、優雅に談笑していた。
彼女たちを飾るのは宝石の数々や、外国で織られた繊細な模様のドレスばかりだ。リズも貴族として相応しい装いをと、セドリックからドレスを買い与えられたが、それでも知れている。彼女たちのドレス一着買う金で、リズのドレスが十着は買えてしまうだろう。
国王の姿は見えなかったが、賭博好きと聞いている。先ほど、何人かの貴族に声をかけていたので、別室でテーブルに着いているのかもしれない。
会場に並べられた料理の数々や、壁際に飾られた金の彫像などは、ランカ王家の時代と比べると明らかに華美で贅の限りが尽くされている。貴族たちも、そんな王族の面々の目に留まろうと、無意味に派手な装いをしている。
「今まで連れてくるのを渋ってたのは、こういうことか」
セドリックにだけ聞こえる声で、リズは毒を吐き捨てた。
「予想はしていたんだろう?」
「まあな」
「そろそろ、受け入れられるんじゃないかと思ってさ」
「…………」
リズが王宮の様子に激怒して、暴れ出すとでも思ったのだろうか。だが、その予想もあながち間違っていない気がして言葉が返せなかった。
きっと、もっと幼かったら……リズはこの光景に憤り、「貴族の令嬢」を演じ続けることなど出来なかっただろう。
リズは王侯の贅沢の裏で、庶民がどんな風に暮らしているか知っている。
王朝が変わって以来、不必要に跳ねあがった税金。そのせいで物価が高騰し、パンが買えずに飢える人々。
天候の都合で不作だった年も対策などなにもなく、貧困は加速している。追い打ちをかけるように新しい税制まで導入され、庶民たちは王権からも領主からも、あり得ないほど搾取されていた。
リズを預かって育てていた元使用人の女性も生活が苦しくなったことを嘆いていた。まだ十にならないリズも働き口を探す毎日が続いていたことを思い出す。
ランカ家が廃絶されるまでも豊かではなかったが、それなりに民衆も生活していけた。それなのに、王家が変わった途端に生活が激変したのだ。
王族として恵まれた生活を送る時期は確かにあったが、リズには町で育った五年間の方が深い印象を残している。
単に王族だった期間が短く、幼かっただけかもしれないけれど、それ以上にヨースター家の政治に強い反感を覚えたことは確かだった。
だからこそ、こうしてバートン家の養女になった。
リズにはセドリックを拒んで、そのまま町で暮らす選択肢もあった。
でも、それでは変えられない。
セドリックはリズを利用しているのかもしれなかった。それはそれで望むところでもある。
とにかく、変えなくてはならないと思ったのだ。そのために利用されるのなら、構わない。こちらも彼を利用してやろうとさえ思った。
王位奪還の機を見計らいながら、怪盗ロビンとして反抗を続ける。それが、今のリズの在り方であり、戦い方だ。
「それじゃあ」
とりあえず、絵を確認しに行かなくては。
リズはセドリックに目配せし、会場を離れようとした。
「おお、そこにいらっしゃるのはバートン伯爵。そして、愛しのエリザベスではありませんか!」
声をかけられた瞬間、猫被りも忘れてリズは露骨に表情を歪めてしまう。
エライ面倒くさいのが来た。
「グッド・イーブニング。将来のマイ・ワイフ」
目の前に薔薇の花を一輪差し出される。
リズは差出人の馬鹿、じゃなくて、青年を見上げて、苦笑いした。
「あら、アボーンズ子爵。お久しぶりですわ」
「水臭いですよ、エリザベス。シャーロックとお呼びください」
キザなセリフを吐いて笑う馬鹿、じゃなくて、シャーロック・アボーンズ子爵。
彼は純白のリンディン市警騎士団服に包んだ身体を捻り、無意味にポーズを決めた。そして、リズの髪に真紅の薔薇を挿す。
「ああッ、今日のシャーロックさまも素敵ですわ。いけません。そのように華麗なお姿を見せられては、フロルはおかしくなってしまいますッ。ダメ……いけませんわ。はらんでしまいますッ!」
シャーロックの後ろでは、花妖精のフロルが失神しそうな勢いで悶絶している。
シャーロックはフロルが次々に撒き散らす花を集め、その花束をリズに差し出す。
「私の愛の結晶です」
「いや、思いっきり妖精に出させたお花ですわよね?」
リズはやんわりと断りながら、薔薇の花束を押し戻そうとするが、シャーロックはめげずに力説した。本当に面倒くさい馬鹿だ。
「なにをおっしゃる。妖精とは本来、高貴な血筋の人間にしか従わない特別な存在ですよ。そして、このシャーロック・アボーンズは選ばれた。要するに、パーフェクトでスペシャルな男なのですよ。見てください。フロルの薔薇は実に美しい。これは私が美しく気高いことを証明しているのです。つまり、これを贈られたあなたは実に幸福で素晴らしい女性ということだ。おわかりいただけますか、エリザベス?」
「え、ええ……はあ……?」
つまり、家柄だけの馬鹿ということを懇切丁寧に説明してくださって、本当にありがとうございます。
前世期まで、妖精は貴族に仕える高貴な存在だったが、近年ではその数は減っていると聞く。
リズも幼い頃にメイと出会ったが、それは幸運で稀なことなのだと、セドリックに聞かされたことがある。周囲を見ても、妖精を連れている貴族はほとんどいない。
だいたい、妖精が貴族に従うのは彼らの習性にある。
妖精は死期を迎えると、自分の亡骸を「器」に入れ込むのだ。
器が美しければ自らの命の価値が高まるので、高価な宝石や装飾品が一番好ましいらしい。
そのために、器を与えてくれる人間の貴族に近づくのだ。妖精の亡骸が入った品は総じて、「妖精琥珀」と呼ばれる。
要するに、すごいことだとは思うが、自慢されても困るよ、馬鹿。ということだ。なんだかんだ言っても、妖精も金目的で動いているようなものである。
リズについているメイなどは、常日頃から貴金属を食い荒らしている害虫みたいなものだ。
「現に私はリンディンを騒がす不貞の盗賊ロビンを捕まえる任を、国王陛下から直々に賜っております。リンディン市の警備を預かる市警騎士団長として当然のことですがね……なんと言っても、今までに、あの盗賊に触れることが出来たのは、この私だけだ」
触れたと言えば聞こえはいいが、実際はいつも踏まれているだけだ。
どこから突っ込めばいいのかわからず、リズは頭痛がした。そもそも、目の前で必死に口説こうとしている令嬢がロビン本人だということには全く気づかないらしい。
本当に優秀な馬鹿である。
リズが気をもんでいると、セドリックがズイッと前に歩み出る。
早く北回廊へ行けと、気を回してくれたのだろうか。
なんだかんだ言って、頼りになるし、わかってくれている。
そう思って見上げると、養父の顔には信頼出来る微笑、――ではなく、憤怒の形相が浮かんでいた。
「この私の前で可愛い娘を口説こうとは、良い度胸をしていらっしゃる。アボーンズ子爵、誰がリズを渡すものか。この世で、リズが寝ている隙に頬ずりしてもいいのは、パパであるこの私だけだ!」
「そんなことし……げふんげふん。そんなことをなさっていましたの!?」
「気づかれないように頑張ったからね」
「そんなところで頑張らなくてもいいです……鍵を増やさなくてはいけませんわね」
「全部突破してやるさ、愛のために」
危うく素が出そうになるのを抑える。
これが家なら、間違いなく後ろから首を絞めて庭に埋めていた。むしろ、がまん出来た今の自分が奇跡のように思える。
「なんと。年頃のご令嬢の寝室に侵入するなど……! アルヴィオン紳士として、そんな羨ましい行為が許せるものか! エリザベスは、このシャーロック・アボーンズにこそ相応しい!」
「羨むがいいさ。君になにが出来る。私はリズと一つ屋根の下で毎日寝ているのだよ。つまりは、パパとして家族として信頼されている! そんな私だからこそ、許される必殺技なのだ!」
あとで覚えておきやがれ。
そんなことを心中で吐き捨てながら、リズは「自分がいかにエリザベスの寝室に侵入するに値する男か」を言い争っている馬鹿二人に背を向けた。