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6.セドリック・バートン伯爵

 

 

 

 アトリエでのやり取りを思い出し、リズは息をつくが、すぐに気を抜かないよう、表情を改めた。

 コルセットをつけていると、身体的に余裕がなくなる。一度、気を緩めてしまうと、そのままズルズルと疲労が溜まっていくのだ。

 まったく、こんな面倒な下着を開発したのは誰だと小一時間問いたい。


「まったく。リズのためならともかく、なんで見ず知らずの若造のために、パパが一肌脱いであげなきゃいけないのかなぁ」


 不規則なリズムを刻んで揺れる馬車の向かい側で、セドリックが足を組み直す。

 リズは何度目か知れない養父の小言にうんざりしながら、片肘をついた。


「仕方ないだろ……あたしは一応、納得して受けたんだ」

「信用出来るんだか」

「それは、正直なところ……あんまり、かな」

「話を聞いただけでも胡散臭いから、そんなところだろうね」


 セドリックは意地悪に笑いながら、さり気なくリズの隣に移動しようと、腰を浮かせる。

 リズは偶然を装って足を上げ、彼の腹に尖ったヒールを突き刺した。セドリックはそのまま腹部を押さえながら、前のめりになって悶絶する。


「うるさいな。やるって言ったら、やる」

「くそぉ。パパもいつかリズの秘密を握って、思い通りにしてやる。あんなことや、こんなことを要求して、可愛い娘に調教するんだいッ!」

「なに言ってんだ、馬鹿オヤジ。秘密なら、もう――」


 言いかけて、リズは口を噤んだ。


 セドリックはキース以上にリズの生命線を握っている。


 しかし、彼は決してリズを思い通りに操る真似はしてこなかった。いや、監督下にはしっかりと置かれている。養父にとってもリズは「危ない存在」であることは間違いない。

 本当は、今日もこんなことをするべきではないとわかっている。失敗して最も被害をこうむるのは、セドリックなのだから。

 ときどき、養父の考えていることがわからなくて、リズは戸惑っていた。


「とりあえず、うちに来たばかりの頃にオネショしたことをバラされたくなかったら、パパの言うことを聞いて膝枕しなさい」

「完璧に程度が低い上に、要求してることがいつもと変わっていないんだが」

「娘に優しくされたいと思ってなにが悪いんだい? こう見えても、パパは結構寂しい人生を送っているんだよ。まだ独身だし、彼女もいないの。唯一の家族の娘に甘えたっていいじゃないか。なんのために君を引き取ったと思っているんだい? 食事をアーンしてもらったり、耳かきしてもらったり、肩もみながらいろいろサービスしてもらったり、パパだ~いすきって毎晩ベッドに潜り込んできてもらうためだよ!?」

「見合いでもしろよ。癪だけど、あんたならその辺の女がヨダレ垂らして寄って来るぞ」

「パパの神聖で崇高なる理想の家庭像を実現出来る女性が寄って来る保証はないでしょ。それに、私はリズがその気になってくれたら、いつでも君を正妻として迎える用意があるんだ。ウェディングドレスも選んである」

「真顔で語るな!」


 リズは平然とセクハラ妄想を垂れ流すセドリックの顔めがけて拳を叩きこむ。

 だが、セドリックはごく自然な動作で、リズの一撃を避けてしまう。そして、流れるようにリズの右手首を捕まえ、ストロベリーブロンドに指を絡めた。


「せっかくお洒落しているのに、乱れちゃうよ?」


 ひと房だけ髪飾りからこぼれていた髪を拾って、セドリックが笑った。

 隙を見せたわけではないのに触れられて、リズは口を閉ざしてしまう。今の一撃は割と本気で殴ったつもりだった。それが易とも簡単に。


「久々の王宮なんだから――エリザベス・バートンとしては初めてだけどね」


 本当に、この養父は腹の底でなにを考えているのかわからない。

 リズは夜色の瞳から逃げるように、眼を伏せた。

 俯いた視界には、身にまとう美しいドレスが映る。

 若々しさと瑞々しさを際立たせる、淡い薄緑の衣装。飾りすぎず、媚すぎない真珠の装飾が、清楚な輝きを放っていた。至るところにあしらわれたリボンや花の飾りが愛らしく、いかにもセドリックの趣味である。


 エリザベス・バートンとして、初めて王宮へ赴く。


 定期的に開かれる王室の宴に、セドリックの養女として初めて出席するのだ。

 いくらメイの力を借りても、リズ一人では王宮に侵入することは困難。今回は、賓客として潜入し、行動することになる。


 瞼を閉じれば、幼い頃の記憶がおぼろげによみがえった。

 五歳だった少女にとっては高すぎる天井。先が見えないほど長く伸びる回廊に飾られた絵画の数々。

 少女には、その価値がいかなるものかは、わからなかった。

 しかし、その中に飾られる数点の絵は彼女にとって意味があり、そして、とても大好きだった。


 エドワード・ランカ――父が描いた絵を眺めるのが、好きだった。


「どうして、あたしを育ててくれた?」

「だって、娘だもん」

「真面目に答えろ」

「大真面目さ」


 今まで何度も聞こうと思ったが、結局、聞けなかった。それを今、敢えて口にして、リズは視線をもたげた。

 前王家、ランカの生き残りはエリザベス・ランカただ一人である。

 父は政変を予期して、十年前、五歳のリズをリンディンから遠ざけた。そして、公には不慮の事故で夭逝したと発表したのだ。

 その二年後、王位は簒奪され、ランカ家の者は皆殺された。


 その生き残りを引き取るなど、自ら火種を抱える行為だ。

 王位の奪還を狙う旧王家派の貴族は存在する。

 セドリックもその一員なのだろう。だから、敢えてリズを引き取って、教養を施したと思っている。

 義賊行為をすると言っても止めないのは、現王家の転覆を狙っているから。その要因となり得る行為なら、容認してしまっても構わない。今は機を見計らっているだけだ。


 考えれば、すぐにわかることだ。

 聞くまでもない。だから、敢えて聞かなかった。


「最初の理由は、エドワードに任されたから。一応、親友なんでね」


 セドリックはリズの視線に応えるかのように表情を綻ばせ、あらかじめ用意していたと思われる言葉を返す。


「今は?」


 問うと、セドリックはリズの乱れた髪をまとめ直してくれる。

 セドリックはリズの耳元に唇を寄せると、優しく囁いた。湿っぽい吐息と声が耳朶をかすめ、なんだかくすぐったい。


「今は、君を愛しているから。血は繋がっていなくても、大事な娘だよ。絶対に守る」


 上辺の理由でもなく、嘘でもない響きが心地良い。

 でも、リズからはセドリックの表情が見えず、真偽がわからない。


「だから、リズもパパ大好きって言って☆」

「黙れ、クソオヤジ」


 さり気なく付け加えながら頬に口づけようとするセドリックの頭を馬車の壁に押しつけて、リズは脱力の息をついたのだった。

 

 

 

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