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4.依頼人キース・グレイヴ

 

 

 

 案内された応接室は趣味がよくて居心地がいい。

 新興貴族の屋敷と言えば、成り金で無意味に派手という印象がある。しかし、この屋敷はむしろ飾り気がなく、使用人も少なく感じた。金がないわけでもなさそうだ。

 華美な装飾はなく、かと言って、なにもないわけではない。さり気なく施された彫刻は細やかで手が込んでいるし、壁にかけられた風景画は明るい雰囲気で美しい。

 ほのかな蜜の甘さを秘めたアールグレイの香りを嗅いで、リズは思わず口を緩めてしまう。


「では、絵を見せていただけますか?」


 キースはリズの向かいに腰かけると、優しげに微笑んだ。

 眼帯をしているのに、ほとんど気にならないのは、この人好きのする笑みのせいかもしれない。

 しかし、これは直感だが――素直に彼を「優しい笑みの青年」とは呼べない気がした。

 どうも、この優しさは「貼りつけている」気がしてならない。

 リズも猫を被っているからこそわかる。キースの笑みは素直に好きになれないと、どこかで感じてしまった。

 貴族の社交なんて、ほとんどが謙遜と自慢のしあいで、本当に笑うことなど少ないので、別に珍しくはないが。


「こちらですわ、男爵」


 リズは出来るだけ上品な仕草で、絵をキースに手渡した。キースは慎重に額を受け取り、覆っていた布を丁寧に解く。

 右眼を覆っていた眼帯が外れた。

 その下から現れた眼を見て、リズは息を呑んだ。

 てっきり、眼帯の下は傷でもあるのかと思っていた。もしくは、失明しており、光を失っているのかもしれない、と。


 しかし、キースの右眼は不思議な色合いをしていた。


 左眼の灰とは違う。

 水面に反射する夕陽を思わせる、美しい金色だ。とても人間の瞳の色とは思えず、リズは無意識のうちに凝視してしまった。

 左右で色の違うオッドアイを隠すための眼帯か。

 キースはリズの反応など最初から予測していたかのように、涼しい顔で絵を観察している。そのときになって、リズはようやく自分の不躾に気づき、視線を逸らした。


「――エドワード・ランカですね」


 額にはまった絵を見て、キースが難しい表情を作る。

 無理もない。エドワード・ランカは「世に出てはならない画家」なのだから。


 現アルヴィオン王国を治めるのはヨースター家。八年前、クーデターによって王位を簒奪して成立した王家だ。

 一方、王位を追われ、一族を皆殺しにされた旧王家がランカ家だった。

 エドワード・ランカは当時の国王チャールズ三世の甥にあたる。本人は政治に興味がなく、画家として活躍していた。その腕は、王侯の趣味とは思えないほど素晴らしく、アルヴィオン美術の一時代を築いたとも言われている。


 だが、画家であっても王族だ。

 八年前の政権交代で地位を失い、国外逃亡。その後、身を寄せていたフランク王国に裏切られて、六年前に処刑された。表に出ていたランカの絵は全て焼却処分され、異端者の烙印を捺されてしまう。


 エドワード・ランカは禁断の画家だ。

 しかし、蒐集家は多い。未だに、王家に見つからないよう、彼の絵を隠し持つ者は山のようにいた。リズが昨夜ロビンとして盗みに入ったエルフォード公爵もその一人だ。


「その絵は描きかえられていますわ。元の状態に戻してほしいのです。あなたなら、それが可能だと聞いて伺いました」

「なるほど」


 リズは要件を早口で述べる。

 キースは終始難しい顔で絵を眺めており、なにかを考えていた。


「出来ますか?」

「出来ることには、出来ますが」

「ランカの絵はお嫌ですか?」

「そこは問題ありません。こういう品物は、稀に扱いますので。ただ……」

「なにか?」


 まさか、無理だと言うのだろうか。

 完全修繕家も、所詮は噂なのか……リズは焦る気持ちを抑えようと、息を整える。


「いえ、絵を元に戻すことは問題ありません」

「報酬なら払いますわ。可能な限り、お望みの額に近づけるつもりです」


 キースは悩ましげに息をついたあとに、改めてリズの顔に視線を戻す。

 彼が絵とリズを見比べているように思えて、リズは内心焦った。いったい、なにをしているのだろう。キースの意図するところがわからない。

 けれども、彼が放った次の一言に、リズは背筋を凍らせた。


「僕はこの絵を見たことがあるのですよ」


 予想しなかった言葉だ。リズは全身から汗が噴き出しそうになりながらも、辛うじて笑みを貼りつけた。

 この絵を見たことある?

 嘘だ。

 ランカの絵は禁忌とされている。一度買い取った貴族は、ほとんど誰にも見せずに、保管していることが常だ。軽々しく見せびらかせば、処罰されるかもしれない危険な絵なのだ。

 だからこそ、リズは盗んだ絵の修繕を依頼しても、問題ないと思った。この絵は、誰にも知られてはならないものだ。盗まれたエルフォード公爵も、駆けつけた市警騎士たちに違う絵の名を告げたらしい。大層なコレクションルームに飾っていたが、禁忌の絵を人に見せびらかす趣味はなかったようだ。

 この絵があの邸宅にあったことを知っているのは公爵本人と一部の使用人だけだった。セドリックが調べてくれるまで、リズたちも知らなかった。


「ランカの作品は贋作も多いですわ。同じ構図の絵を何枚も描く画家もいますし」

「そうですね。でも、この絵で間違いないと思いますよ」

「ランカの生前でしょうか? でしたら、幸運なことですね」

「いいえ、ごく最近です。場所は……エルフォード公爵の邸宅だったかと」


 エルフォード公爵ほどの超名門貴族が、最近名の知れたばかりの新興貴族にランカの絵など見せるものか。あのタヌキ親父は権力が服を着て歩いているような貴族の典型だ。

 リズは射抜くような視線をキースに向けた。


「以前に壁画の修繕を依頼されましてね。そのときに、エルフォード公爵が……公はあなたに絵をお譲りになったのでしょうか? レディ・エリザベス」

「お言葉ですがエルフォード公爵ほどのお方が、あなたのような新興貴族にランカの絵を見せるはずがありません。出任せを言わない方がご自分のためかと」

「身の程は弁えていますよ。困ったな」


 難しい修繕を依頼されていたとしたら、秘蔵の絵を見せてもらっても不思議ではないかもしれない。もっともらしい理由だろう。デタラメを言うにしても、分別はあるようだ。


「いや、困った……正直に言うと、これは僕の勘ですが」


 キースは不意に不敵な笑みを浮かべた。

 それまで顔に貼りつけていた笑みとは違う。

 蜜のように甘くて美しいが、悪魔のようにしたたかで妖しげな微笑。一瞬、彼の仮面が剥がれた気がして、リズは表情を強張らせた。

 逃げられない。不思議な糸に絡め取られ、視線を外すことが出来なかった。

 リズは取り憑かれたように、キースを見据えることしか出来ない。全身から汗が噴き出し、心臓の音が耳まで響くほど高鳴っている。


「公爵の邸宅から盗まれたのは、この絵だったんじゃありませんか? 怪盗のお姫さま」


 その言葉を聞いた瞬間、リズは魔法が解けたかのように、驚くほど軽やかに立ち上がっていた。

 そして、応接机の上に足を乗せ、スカートの下に仕込んでいた短剣をキースに向けて突きつける。


「物騒ですね。僕の推測は大当たりってことですか?」

「だったら、なんだよ。こっちは正体バレてんだから、力業に出てもいいんだぜ。優男?」

「もう充分、力業ですよ」


 無理をして被っていた猫を脱ぎ捨てて、リズは口汚くキースの胸倉をつかむ。


「参りましたね。自慢じゃないが、僕は運動音痴なんですよ」


 銀に輝く刃を突きつけられているというのに、キースは平然とした態度でリズを見上げていた。

 彼は先ほどまでの優しげな態度から一変して、飄々と構えると、唇の端をつりあげる。


「まさか、世間を騒がせる怪盗ロビンが、こんなに可愛らしいお嬢さんだったなんてね。カマかけてみた価値があったよ。確かに、以前に壁画の修復をしましたが、そのときに見せてもらえたコレクションなどありませんでした。あなたの言う通りだ」

「だろうな。すぐバレる嘘をつきやがって」

「しかし、本当に引っかかるとは思わなかった。案外、当たるものですね」


 世間から英雄扱いされる怪盗とはいえ、犯罪者に直感でカマをかけるなんて大胆すぎる。

 なにか確信を得るものがなければ、普通はこんな行動には出ないはずだ。リズは、自分がなにかヘマをしていないか、これまでの行動を思い返す。


「秘密だ」


 リズの思考を読んだように、キースがしたたかに笑う。


「まさか、人の心が読めるとか、そんな娯楽小説ビックリのご都合能力があるとか言い出さないよな? 今どき、そんな陳腐な設定流行らないぞ?」

「言葉尻から心理を読み解くことはあっても、流石にそんな便利な力はありませんね。むしろ、それはいい。そういう特技の方が欲しい。便利そうだ」


 まるで、他愛もない雑談をするように流されて、リズは腹立たしくて仕方がなかった。

 この男、完全にリズを馬鹿にしている。


「それにしても、すごい猫被りでしたね。すっかり、中身まで可愛いお嬢さんだと思い込んでいました。それとも、僕を脅すためにわざと強めな態度をとっているのかな?」

「こっちのセリフだ、優男。お前だって、紳士面してるが詐欺師みたいな真似で人をハメてるじゃないか」

「詐欺師ねぇ……お褒めに預かり光栄だな」

「褒めてない」


 リズは低い声で威嚇し、キースの首に刃を当てる。


「言われた通りに絵を戻せばいい。約束するなら、痛い目を見ずに済むぞ」

「どうしても、この絵を戻したいのでしょう? だったら、ものの頼み方があるはずだ。他所を当たるなら話は別だが……ランカの絵を無条件で修繕する画家など、そうそういないと思いますがね」


 キースの言わんとすることを悟って、リズは奥歯を噛む。

 ここでキースを殺すと脅すのは簡単だが、彼がいなければ絵は直せない。絵を直したければ、彼の安全を保証しなくてはならないのだ。

 しかも、キースにロビンの正体を知られてしまった。必然的に、リズは彼の言いなりになるしかないではないか。

 どこまでも人を馬鹿にしている。


「正体を知った僕の口を封じますか?」

「…………卑怯だ」


 怪盗ロビンは殺しをしない。

 リズが人など殺したことがないことを見抜かれて、気分が良くなかった。


「絵は直します。ただ、ちょっとした用事を頼まれてくれると嬉しい」

「金が欲しいか?」

「そんなもの、要求しませんよ」


 リズは憎々しげに表情を歪めて、短剣をおさめた。

 緊張から解放されたキースは肩を回しながら、立ち上がる。


「なに、君ならわけないことだと思いますよ? 悪い取引ではないはずだ。引き受けてくれれば、僕は絵も直すし、君の正体も口外しない」


 息がかかるほど間近に、キースの顔が迫る。

 彼の左右違う色の瞳には、不思議な魔力があるように思えた。視線に吸い込まれる気がして、指一本動かすことが出来なくなってしまう。

 リズは逃げることが出来ず、灰と金の瞳を凝視した。


「君に盗んでほしい絵がある」


 キースはリズのストロベリーブロンドに触れると、悪魔のように不敵な笑みを浮かべて囁いた。

 ほのかに香る、油絵具の香りが鼻腔を弄ぶ。

 

 

 

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