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28.『湖の家』

 

 

 

 船から降りると、湖水地方ののどかな風景が広がっていた。

 都会からの観光客も多いこの町には、数多くの宿屋もある。船の周辺で客待ちをしていた辻馬車を使って、二人はエイムズが絵に記した住所に向かった。


 船内では飄々としていたキースだが、馬車に乗った辺りから口数が減って窓の外を眺めはじめていた。

 田舎らしい畑の広がる風景や、太陽の光を銀に反射させて煌めく湖が美しい。


「久々に会うんだろう? それとも、そんなに緊張する相手なのか?」


 問うと、キースはあいまいな表情を浮かべて、伏せていた視線をもたげた。


「緊張、ですか。殴られるような気はしていますよ。僕は詐欺師だから」


 若干、寂しげに逸らされた瞳が多くを語りたがらないようだった。

 エイムズはドハーティ侯爵の不正に気づき、戦おうとした。

 リズにも、彼が正義感の強い人間だということは予想出来た。きっと、キースの詐欺行為にも黙っていないだろう。そんな友人に会うのは、確かに複雑なのかもしれない。


「それでも、お前はエイムズのために必死だったろ。殴られそうになったら、あたしが止めてやるよ」


 詐欺師で嘘ばかりついて、なにが本当なのかわからなくても、キースがエイムズを救うために動いたことは事実だ。

 そのことは嘘ではないと、リズがきっちり証明出来る。


「ありがとうございます」


 キースは少しだけ表情を和らげる。そのすぐあとに、馬車が緩やかに停止した。

 二人は馭者(ぎょしゃ)に代金を払い、馬車を降りる。


 どこかで見た風景。

 美しい湖に臨む緑の森林を、優しい風が撫でている。淀んだ都会の空気とは違って、澄んだ空気が気持ちよく、肺いっぱいに吸い込むと、自然と穏やかな気持ちになれる。

 エイムズがこの地を気に入ったのも頷けた。


 エイムズが絵で描き示した風景を見下ろすように、丘の上に一軒の家が建っている。大きくはないが、洒落た木の家だ。

 二階建ての小さな一軒家を目指して、キースとリズは足を進めた。


「ねぇ、リズ。お菓子の匂いがい~っぱいするわぁ!」


 馬車を降りた頃からすっかり目を覚ましたメイが、元気に飛び回る。食いしん坊の妖精は太陽に羽をキラキラ輝かせると、そのまま先に飛んでいってしまった。


「おい、メイ! ったく、あいつ……」


 家の前に立つと、随分と静かな気がした。

 人の気配がまるでせず、本当に誰か住んでいるのか不安になる。

 庭には小さな花壇があるが手入れされず、草も伸び放題だ。「W・エイムズ」と書かれた表札も傾いて、風で音を立てている。


「ここか……?」


 問うが、キースはなにも答えなかった。


「リズ、早く早く!」


 先に飛んでいったメイが、家の鍵も勝手に開けてしまう。留守のようなので勝手に入ってもいいのかはばかれたが、キースが先に踏み込むので、リズも後に続いた。

 太陽の光がわずかに射し込む家の中は、静寂で溢れていた。どこからも音がせず、埃が薄っすらと積もっている。

 台所を覗くと、誰かが食事をしたようなあとがあったが、明らかに、数ヶ月間放置された食器はカビまで生えていた。

 まるで、ときが止まっているかのように、なにもかもが置き去りにされている。


「リズ~! ねぇ、見て。こんなにいっぱいお菓子!」


 地下室を覗きに行ったメイが嬉しそうな声を上げている。金を発見したのだろう。早く回収しに行かないと、いくつか食べられてしまうかもしれない。

 だが、リズは二階へあがるキースが気になった。

 あとを追うと、キースは寝室の扉を開けたまま、黙って立ち尽くしていた。


「キース……?」


 思わず名前を呼ぶが、キースはなにも返さない。黙って部屋の中を見て立ち止まっている。

 だが、やがて、彼は引き寄せられるように、部屋の中へと足を踏み入れた。

 キースのあとに、リズも部屋を覗く。

 そして、口を噤んだ。

 あまり大きくない寝室に横たわっているのは、恐らく、ウィリアム・エイムズだったのだろう。――時間が経ち、完全に白骨化した友人の身体を、キースはただ呆然と見据えていた。


「どうして、気づかなかったんでしょうね」


 薄々勘付いていた。そう言いたげに、キースは俯く。

 生きていれば、こんな方法など取る必要がなかった。自分の手で侯爵を追い詰めることだってできたはずだ。キースに頼る必要などない。

 生きていれば、キースがここへ来るのを予想して出迎えてくれたはずだ。

 生きていれば、――。


 予測は出来た。

 しかし、考えないようにしていた事実だ。


 寝台の横には小さなテーブルがあり、手紙が置いてあった。

 そこには、エイムズがキースに宛てた私信と、侯爵の悪行を知った経緯。そして、自分が病であまり長くないことが記されていた。遺書のようなものだろう。

 エイムズは自分の死を予感して身を隠し、そのまま朽ちたのだ。

 キースに全てを託して。


「これは罰かもしれませんね。僕が贋作を描いて詐欺師になったのが、ウィルは許せなかったんです……だから、自業自得だ。憎まれていたんですね、きっと」


 キースは心中を吐露して、その場に膝をつく。

 その姿が、まるで抜け殻のように思えて、リズはかける言葉がなかった。今の彼はリズが知っている詐欺師ではない。全く知らない人物だとさえ思えてしまった。

 だが、今の彼が誰かに似ている気がして、眉を寄せる。


 ああ、そうだ。似ているんだ。


 父から愛されていなかったかもしれないと、怯えていたリズに。

 自分の愛が一方的な思い込みで、拒絶されてしまったのではないかと怯えていたリズに、よく似ている。


「エイムズは、お前みたいに嘘つきの詐欺師だったのか?」


 問うと、キースは鈍い動作でリズを見上げる。そして、首を横に振った。


「あたしには、エイムズが描いた絵に恨みや憎しみがこもっているとは思えなかったぞ」


 昔、父が言っていた。絵筆は画家の心を映すのだと。

 優しい気持ちで描けば、優しい絵になる。気持ちが沈んでいれば、なにを描いても暗くなってしまう。愛を注げば、それは人に愛を伝える手段になる。


 エイムズがキースのために残した湖の絵は、醜い感情を抱いて描いたものではなかった。明るく澄んだ希望の光を髣髴(ほうふつ)させる、穏やかで軽やかな絵だ。微笑みながら描いたことがうかがえた。


 きっと、以前のリズには理解出来なかった。

 だが、今ならわかる。


「あたしの絵も――父さまの絵も、同じだから、わかる」


 エドワード・ランカの『微笑』は間違いなく父が描きかえたのだろう。

 それはリズを愛していないからではない。

 愛しているから。


 リズは表向きには、幼くして夭逝したことになっている。そして、ランカ王家の人間は残らず処刑された。

 だから、父が描いた忠実な絵姿は存在してはいけない。本来は、リズを手元から引き離したときに、燃やすべき絵だった。


 しかし、父にはそれが出来なかったのだ。愛した娘の肖像を失わせることは出来なかった。

 だから、上から違う絵を描いた。

 本物のリズを隠すために。

 残ったのは、大して似てもいない無駄に美化された王宮の肖像画だけ。


 ――なにがあっても、私はリズを愛しているよ。リズを守る。


「お前の方が、絵のことはよく見えているはずだったろう?」


 キースは俯き、エイムズの亡骸をじっと見つめる。

 リズはそれ以上語らず、足音を立てないよう、そっとその場を立ち去った。


「ねぇ~、リズ。さっきから呼んでるんだから、早く来てよぉ! あれぇ? 詐欺師は?」


 いつまでもやって来ないリズに痺れを切らしたのか、メイが階段をあがってきた。

 なにやら口をモグモグとさせてご満悦の様子だが、多少のことは気にしないことにする。


「しばらく、二人にしておいてやれ」


 リズは静かにつぶやくと、ゆっくりと、寝室の扉を閉めた。

 

 

 

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