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27.令嬢と詐欺師

 

 

 

 運河を遡る船が、のどかな水面を掻き分けて進む。

 船の客席で向かい合うのは、不機嫌そうに頬杖をつく令嬢と、人好きのする涼しい笑みを浮かべた眼帯の紳士。


「言っておくが、別にお前と二人旅したくて来たわけじゃないぞ」

「わかっていますよ。それに、厳密には三人でしょう?」


 座席の傍らで寝息を立てているメイを見て、キースが微笑んだ。

 リズは淑女らしい群青のドレスには似合わぬ仕草で足を組み、口を曲げる。


 結局、聖メアリ教会に裏金はなかった。

 いや、既に持ち去られたあとだったのだ。

 キースと二人で踏み込んだときにはなにもなく、ただ、裏金の運用に関する証拠書類と、一枚の絵が飾ってあるだけだった。

 絵の下には、キース宛てにこう書いてある。


 ――ここで会おう。


 残された絵は風景画だった。

 キースのアトリエに飾ってあったのと似たような景色で、のどかな湖と森林が描かれている。澄んだ緑と青の色使いが美しく、見ているだけで心が鎮まるようだ。

 エイムズは田舎風景の広がる湖水地方に家を買いたいと、キースに話していたらしい。度々、題材を求めて旅行に行っては、何枚か絵を残していたようだ。


 恐らく、エイムズは侯爵の貯めこんだ裏金を持って逃げたのだろう。そして、買った家に隠れ住んでいる。

 恐らく、侯爵は頻繁に訪れて、隠し場所が割れるのは困ると思ったのだろう。それが仇になって、持ち去られていることに気づかなかったようだ。他にもいくつか隠し場所があり、聖メアリ教会はメインに使っていなかったようだ。


 リズは証拠の書類をロビンの名で新聞屋に流し、裏金も盗んだ振りをした。

 勿論、後日、エイムズが残した書類にあった他の隠し場所にあった裏金は有り難く頂戴した。

 ドハーティ侯爵は翌日の紙面を大きく飾り、世間に悪事が広く知れ渡ることとなった。王族や教会と癒着した金の密輸を暴いたロビンに、人々は賞賛の声を上げている。

 まあ、不本意なのは、


「あん? ジロジロ見て……あたしに喧嘩売ってんのか?」

「すみません。目の前に可愛い顔があると、つい見たくなるのが男なんですよ」

「キザったいこと言ってるんじゃない、優男」


 あいかわらず、つかみどころのない態度で接するキースに苛立ちを覚える。

 この男がいなければ、なにも解決しなかったと思うと余計に腹が立ってきた。


 キースと遠出すると言ったら、セドリックが子供みたいにダダを捏ねて「やだやだ、パパも一緒に行くんだもん。男と二人旅なんて、絶ッッ対に許しません! リズが寝てる間にほっぺたをプニプニ押していいのは、パパだけだ!」とか言っていたのだが、仕事の都合がつかなかったらしい。

 泣きながら悶絶する馬鹿養父を、屋敷に置いてきた。


「怒った顔も可愛らしいですね」

「本心でもないことを口走るな、詐欺師」


 嘘か本当か読めない灰色の瞳が、リズを捕える。

 リズはどことなく眼を逸らすことが出来なくて、唇を結んだ。


「心外ですね。僕だって、本当のことを言うこともあるでしょう?」

「常識で考えて、誰が壁を破壊して、男をお姫さま抱っこしながら走る非常識な女を可愛いと思うかってんだ」

「そうか、よかった。ちゃんと自分が非常識の塊だという自覚があったんですね」

「やっぱり、可愛いなんて嘘だったじゃないか、この詐欺師!」

「いやいや、非常識だとは申しましたが、可愛くないとは言っていませんよ」

「うるさい!」


 リズは目の前の澄まし顔を殴ろうと、とっさに腰を浮かせる。

 だが、キースがあまりにも平然とした様子で、避ける素振りすら見せないので、思わず拳の動きを止めてしまった。本気で殴ったら、鼻血を噴いて吹っ飛んでしまいそうだ。

 セドリックのように殴りやすい空気でも、シャーロックのように無視しやすい雰囲気もない。調子が狂わされているのがわかっていても、付き合い難い男だと感じた。


「でも、リズに興味がわいたのは本当かな」


 キースはそう言うと、少しだけ近づいたリズの頬に手を当てる。

 リズは露骨に表情を歪めると、正面からキースを睨みつけた。


「嘘だろ? 正気か、お前?」

「じゃあ、試してみますか?」


 ふんわりと笑うと、キースはリズのすぐそばまで顔を近づける。

 あっという間に吐息のかかる位置に顔が迫り、リズは息を呑む。鼻先をわずかに油絵具の香りが掠め、不思議な糸に絡め取られてしまう。

 拒もうと思えば、拒める。キースの力はさほど強くはない。


「顔が近いんだが」

「リズは甘い匂いがするから、一度口づけると、またしたくなるんです」


 以前に口づけられたときとは、違う声音で囁かれる。直接頭に響くような、蜜みたいに甘い声だ。リズは嫌な予感がして、肩を強張らせた。


「いや、まさか本当に」


 本気なのか嘘なのか、本当に興味があるのかないのか、その興味とはそもそもなんなのか。

 だいたい、体外的には猫を被っているが、キースに見せているリズの態度はおよそ可愛い女性とは言い難い。自分で言うのも変な話かもしれないが、こんな女のどこがいいのか。


「おま……」


 更に距離を縮めるキースから逃げるように、リズは瞼をギュッと閉じた。


 唇が、触れる。

 鼻先に。


 ちょこんと触れた鼻先の感触に、リズは思わず翠眼をパチクリと見開く。その表情を楽しむように、キースは声に小さな笑みを乗せた。


「口にした方がよかったですか?」


 別に、どこにキスしたいとは言っていませんよ。キースはそんな風に笑ってからかう。

 一方、リズは恥ずかしさと怒りで頭のてっぺんまで血が昇りそうだった。本当に、こいつは意味がわからないし、信用ならない!


「あまり変なことをして、バートン伯爵に殺されたくありませんから」

「その前に、あたしがブン殴る!」

「命がいくつあっても足りませんね。やめておいて正解でした」

「そ、そうだろうな!」


 僕はなにも悪いことはしていない。と、完全に開き直ったキースを、リズは言葉もなく睨むことしか出来なかった。噛みしめた奥歯がギリギリと音を立てる。

 こいつ、いつか必ず黙らせてやる!

 

 

 

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