26.『磔刑の聖母』
「そうか……!」
呆然とステンドグラスの影を見ていたロビンに気づき、キースが短く声を上げた。
彼は急いで祭壇の前に立つと、聖母メアリの像を仰ぎ見る。
「どうした?」
「磔刑に遭ったのは、祖王リチャードだ。聖母メアリではありません」
「さっき、メイも言っていたが、そんなの子供でも知ってるぞ?」
「そうです。だから、おかしいんです」
キースはそう言うなり、聖母像を見上げたまま一歩ずつ後ろに下がっていく。ロビンには意図がわからなかったが、キースに促されるまま、一緒に一歩ずつ下がってみた。
一歩さがるたびに、聖母像が少しずつ遠ざかる。それに伴って、背後に飾られるエイムズの宗教画が露わになっていく。
「磔の聖母……そういうことか」
聖母像に重なるように飾られた磔刑の祖王が、月光の中に浮かび上がる。その様を見て、ロビンもキースが言わんとすることがわかった。
後ろの磔刑画と、手前の聖母像がちょうど重なる。
まさに、聖母が磔刑を受けているかのように見える位置があるのだ。そこに立ったとき、二人は足元を見下ろした。
「ここか」
教会のほぼ中央に敷かれたタペストリーを、ロビンが剥ぎ取る。
しかし、なにも変わったものはない。
「壊すか?」
「何でもかんでも破壊して解決しないでください」
ロビンが顔をしかめていると、キースがその場に膝をついて床に触れる。
「この部分、床が欠けています。もしかしたら、手を入れて開くためかもしれませんね」
そういえば、先ほども似たように欠けた床があった。それが偶然ではなく、この傷を隠すために、わざとつけられたものだとすれば……ロビンはキースを押し退けて、欠けた床に手をかけた。
持ち上げやすい。恐らく、元々、簡単に開くように工夫されているのだろう。
「流石は、床や壁を易々と破壊してまわる怪盗さんですね」
「そういう造りなんだよ」
「そうなんですか? ああ、本当だ。軽い」
ロビンが軽々と大理石の床を持ち上げて外してしまったので、キースが皮肉めいた世辞を述べる。
「また抱っこしてやろうか?」
「どうせ近づくなら、またキスさせてもらいたいですよ」
「そんな隙、何度も見せるかよ。返り討にしてやる」
どこまで本気なのかわからない笑みから、ロビンは顔を逸らした。
だが、この詐欺師は嘘を言ったり、真実を言ったり、油断ならない。注意深く意識していないと足元をすくわれてしまう気がするのだ。
「カタコームか」
床を取り除くと、地下への階段が現れた。恐らく、古い地下墓所だろう。今は使わなくなったので、穴を塞いでいたのかもしれない。
なるほど、なにかを隠すには良い場所だ。
ロビンとキースは、暗い口を開けた階段を降りてみた。だが、十数段降りたところに扉が備えてあり、鍵がかけられている。
「暗号式の錠のようですね」
キースがマッチを擦り、鍵を照らした。遅れて、メイが灯りを持ってきてくれる。
アルファベットを回して並べるタイプの錠前のようだ。
六文字の単語を合わせなければならない。
「お前の友人は随分と遠回しだな」
「たぶん、仕掛けを作ったのはドハーティ侯爵ですよ。ウィルはヒントを置いているだけだと思います」
「なるほどな。ってことは、またどこかにヒントがあるのか?」
キースになにかを伝えるとしたら、また絵画が妥当だろう。しかし、ここには絵は飾っていないし、教会内の絵にも、なにも描かれていなかった。
面倒くさい。こういうことは苦手だった。
「いっそ、扉を壊すか」
「また壊すんですか? ――その必要はありませんよ」
ロビンが強硬手段に出ようとすると、キースがやんわりと制止した。
彼は甘い笑みを浮かべた顔でロビンを振り返ると、階段を上がってみるように促す。
「何なんだよ」
「説明しますよ」
ロビンは渋々と階段を上がり、ステンドグラスの光が美しい教会へ戻る。
「勿体ぶるな」
「では、簡単に……ウィルが残した伝言はThe Holy Mother of Crucifixion.です。このメッセージで『聖母』が『聖母像』を示していたことは、証明されましたよね。だったら、The Holy Motherではなく、Madonnaと表すべきではありませんか?」
確かに、そうだ。キースの言う通り、聖母像は後者の言い回しを使う。
「更に聖母は固有名詞で、そのように使うのが慣例なので措くとして、問題は磔のCrucifixionだ。この単語は大文字で表記する必要がありません。何故でしょう? 因みに、ウィルは一般教育は受けています」
まさか、小文字と大文字の大きさを書き間違えたわけではないだろう。聖母の表現にしても、考えればいろいろと不可解な一文だ。
「大文字にすることに意味があった……いや、頭文字を強調したかったのか。わざわざ、おかしい言い回しにしたのは、なにか意図があったから」
ということは、文中での大文字を抜きだすと「T」「H」「M」「C」となる。
けれども、これらの文字を並び替えても単語にはならないし、六文字に届かなかった。
頭文字を大文字で表記するのは固有名詞、つまり、名前などが一般的だ。この教会内でT、H、M、Cが頭に来る名前は……。
「そうか、ステンドグラスだ」
ロビンは答えに辿りつき、急いでステンドグラス一枚一枚に描かれた人物を見た。
祖王リチャード(Richard)は当てはまらない。Hは敬虔王ヘンリ(Henry)、Mは女王メアリ(Mary)、Cは獅子王チャールズ(Charles)、Tは戦王トーマス(Thomas)。
この中で、六文字の名前になるのは、
「THOMASか!」
「正解」
エイムズは隠し場所と鍵、両方のヒントを残していたのだ。
ロビンが言い当てると、キースが扉の鍵を開けた。
そして、急いで中へと踏み込んでいく。
† † † † † † †
郊外の邸宅で盗人騒ぎがあってしばらく。
聖メアリ教会へと向かう一台の馬車があった。只ならぬ形相の主に馭者は辟易し、言われるまま石畳の路地を全力で疾走している。
やがて、馬車が停止すると、一人の紳士が血相を欠いた様子で転がり出た。慌てすぎて足を絡まらせながら、紳士――アルフォード・ドハーティ侯爵が教会の扉を押し開ける。
薄暗い闇を彩るように、ステンドグラスの蒼光が射し込む教会に、落ち着きのない足音が響く。中の異変に気づくと、足音は更に荒立った。
「嘘だ……!」
教会の中央に敷かれたタペストリーが引き剥がされている。
すぐさま近づくと、下に隠されていたカタコームへの入口が露わになっていた。
「あ、ああ……!」
いったい、この短時間にあの金塊の山をどうやって運び出したのだろう。
そこには、山のように敷きつめていたはずの金が一切消えており、寒々とした古い地下墓所の光景だけが残っていた。
埃を被った床に、猫の紋章が描かれた一枚の金貨を残して。




