24.ウィリアム・エイムズの『祖王の戴冠』
「おい、なにしてる。詐欺師」
「なにって……それは僕が聞きたいんですが。君こそ、なにをしているんです?」
なにがどうなれば、地下室の天井を上から壊すという状況に陥るのだろう。理解に苦しんだ。
しかも、なにがあったのか、彼女の着衣はボロボロに引き裂かれている。とても、貴族の令嬢が平気な顔をしていられる格好ではないと思った。
だが、ロビンは憮然とした表情でキースの前に降り立つ。
「まあ、ちょうどいい。不本意ながら、お前を探してたところだ」
「お菓子の匂いは嘘をつかないのよぉ?」
妖精にキースを探させたのか。
メイは金貨を撫で回した後に、幸せいっぱいの顔で口を大きく開けてかじりついた。妖精が金貨をかじる姿を見て、流石のキースも顔を引きつらせる。
「あたしじゃ見えないからな」
ロビンは渋面でキースを立ち上がらせると、改めて頭上を指差す。
崩落した天井に空いた大穴から見えるのは、上にあった礼拝堂だ。
仄暗いが、月光に照らされた堂内を見下ろしているのは、厳かな雰囲気を醸し出す天井画。ウィルが描いた絵だった。
「まさか……?」
何故、最初に気づかなかったのだろう。
ロビンに促されて、キースは初めてその意味を知る。
夢中で右眼を覆っていた眼帯を取り、美しい天井画――ウィリアム・エイムズの『祖王の戴冠』を見上げた。
アルヴィオンの歴史は、神から神聖なる王冠を授かってはじまったと言われている。『祖王の戴冠』は聖典に語られる一節を描いた宗教画だ。
絵が辿った記憶と軌跡が、右眼を通じて物凄い速度で情報として頭の中に入り込んでくる。下絵から絵を作りあげ、色を乗せていくウィルの姿が浮かんでくるようだった。
そして、塗り重ねられた色の下に、奇妙な文字列が浮かび上がってくる。
絵の下に隠された短い一文が、金色の瞳に映し出された。
「The Holy Mother of Crucifixion.――磔の聖母?」
「なんだそれ? まーた、言葉足らずのメッセージかよ」
ロビンが悪態をつくが、キースは思案する。
「聖メアリ教会だ。あそこには、ウィルの『磔刑』があります!」
もしかすると、また絵に伝言を残しているかもしれない。
ロビンはすぐさま身をひるがえして、天井の穴から上へと抜け出そうとする。だが、キースがいないと、また伝言が解けないかもしれないということに気づいたのか、面倒くさそうに息をついた。
「言っとくが、利害のための協力だからな。最後には、あたしが奪い取る」
「はあ」
ロビンはそう言うと、少しだけ身を屈める。
呆然とするキースの身体を肩に担ぎあげた。流石のキースも、その行為に驚いて抗議する。
「人を物みたいに担がないで欲しいですね」
「うるさいなぁ。お前、ここを上がれるのか?」
「そ、それは……」
「だったら、大人しく担がれていな」
言うが早く、ロビンはキースを担いだまま、軽々とした跳躍を見せる。あっという間に礼拝堂に上がってしまい、キースは呆気にとられてしまう。
その頃には、物音に気づいた市警騎士の何人かが礼拝堂に駆けつけていた。
これから、どうやって逃げるのだろう。
「メイ、頼む」
ロビンの声に応じて、金貨を食べていたメイが大きな金槌に姿を変える。
持ち上げることすらはばかれ大金槌を軽々と片手で振りあげると、ロビンはニッと悪戯っぽい表情を浮かべた。
「よっ、と」
次の瞬間、彼女は遠慮のない動作で金槌を振るう。
「え、ちょ!?」
「口閉じとけよ。埃吸っちまうぞ!」
立派な礼拝堂の壁に大きな穴を易々と空けてしまった。
なんとも大胆で、強引なやり口だ。道理で貴族然とした市警騎士団のボンクラどもに、この怪盗が手に負えないわけだ。
これが世間を賑わす怪盗ロビンか。キースは終始唖然として、壁穴から逃げようとするロビンを見据えた。
「なにしてるんだよ」
「……いや、リズって本当にお姫さまや、お嬢さまなのかと疑ってしまって……」
「うるさい。今度はお姫さま抱っこして運んでやろうか?」
「それは遠慮しておきますよ。僕にだってプライドがありますから」
「そっか、じゃあ遠慮なく」
ロビンは悪戯を思いついた子供のように無邪気に微笑むと、無防備なキースの身体を軽々と抱き上げた。……お姫さま抱っこで。
「な、なにを……ッ」
「どうだ、悔しいか! このあたしをからかったお返しだ、クソ詐欺師!」
もしかして、先日、殴られそうになったときにキスしたことを言っているのだろうか。
だとしても、元お姫さまに、お姫さま抱っこされるアルヴィオン紳士がどこにいる。
「自分で走れます!」
「遠慮するな。お前、足遅そうだからな」
「遅いのは余計です」
程度が低いように見える単純な仕返しだが、キースの羞恥にはこれ以上にない打撃を与えていた。
やられたな。
ウィルを美女と勘違いした次くらいに恥ずかしい思いをした。
ロビンは、そんなキースを軽々と抱えたまま、夜の闇を駆けるのだった。




