23.甘い香りの金貨
侯爵に案内された地下室に灯る燈が、揺れ動く影を作りあげる。
礼拝堂の地下だ。
湿り気を帯びて淀んだ空気が身体にまとわりついて不快だった。
「随分と陰険な場所ですね」
「誰かに聞かれると都合が悪いだろう。お互いに」
キースが問うと、侯爵は無表情のまま答えた。
「まずはエイムズの居場所を答えてもらおうか」
侯爵が振り返って立ち止まる。その表情からは、慈善活動を推進する温厚な貴族の顔など欠片も感じない。
こちらが本性なのだろう。
以前の侯爵は、賭博好きで借金を抱えていたことで知られていた。その噂を立ち消すために、慈善活動に精を出していたにすぎない。しかも、教会への寄付は実際のところ、ほとんど賄賂として流れている。
「それを言えば、あなたは僕をすぐ始末なさるでしょう? そこまで馬鹿ではありません。まずは、あなたが裏切らないという確証を得てからではないと」
「金か?」
「手に入れた金の隠し場所と、詳しい入手ルート。あと、関与していらっしゃる王族の方をご紹介お願い出来れば最高ですね」
「小賢しい」
侯爵は脂汗の浮かんだ顔を苦渋に染め、キースを睨みつける。
キースは焦らずに涼しい顔を装った。主導権を手放してはならない。
「それくらい、僕の持っている情報はあなたにとって有益だと感じていますが、どうでしょう? それに、僕自身があなたと秘密を共有すれば、他に洩らす心配もなくなる。違いますか?」
もっともらしいことを言って、キースは巧みに侯爵から情報を引き出そうと試みる。共犯の振りをして、可能な限り喋らせなければならない。
勿論、キースはウィルの居場所を知らない。
だが、自分は詐欺師だ。嘘をつくのは得意だと自負している。
「まず、君がエイムズの所在を知っているという証拠がほしい」
普通は、そうくる。キースは予想通りの展開に内心でほくそ笑んだ。
「北回廊で入れ替えられた絵画。あれは僕が彼から譲り受けたものです。それを盗賊に入れ替えさせました」
「ということは、君はエイムズに協力していたことになるな?」
「そうですね。しかし、損得を考えてみることにしました。エイムズに聞いても、なかなか証拠を出してくれないので、直接、侯爵に伺った方が良いと考えまして」
「仲違いか」
「交渉の決裂、というところですよ」
飽くまでも、詐欺師のビジネスとして話を進める。
「それなら、あの盗賊は何故、盗みに入っておるのだ。お前の依頼でなければ、エイムズの差し金ではないのかね?」
「実は報酬に満足しなかったようで。足りない分を、侯爵から頂こうとしているようですよ。あの貪欲な盗人は」
「義賊を名乗っていても、結局は金のためか」
ロビンを落とすようなことを言えば、またリズを怒らせてしまうかもしれないが、まあいい。勝負を仕掛けたのは向こうなのだから、手段は選んでいられなかった。
「僕が呼べば、エイムズは必ず来ます。そこをお好きなように」
清々しい笑顔を付け加えると、侯爵は奥歯を噛んで俯く。
「わかった。では、案内しよう」
侯爵はよほど、ウィルを捕まえたいのだろう。
大人しくつぶやくと、出口へ向けて歩いた。
「地獄へな」
だが、刹那。
侯爵は恰幅の良い身体からは想像も出来ない動作で振り返ると、まっすぐに刃をキースに向ける。
燭台の灯りを照り返して鈍く光る一閃が軌道を描く。キースはとっさに身を捩らせるが、足が絡まって冷たい床に倒れてしまう。
刃はキースの腕をかすめて、上衣を裂く。傷口を押さえるが、幸いにして、かすり傷のようだ。
キースが見上げると、侯爵は表情を押し殺して立っていた。
「あいにく、これ以上、部外者に知られたとなると、わしの立場が危ういのでね。君が死ねば、エイムズも痺れを切らして出てくるかもしれない。そうだろう?」
「随分と血迷っていますね。いや、余裕がないのかな?」
キースは辛うじて唇の端をつりあげ、侯爵と出来るだけ距離を取る。
侯爵はキースとの間合いを詰めながら、慣れない手つきで刃を握り直した。
キースに武芸の心得でもあれば、簡単にねじ伏せることが出来るだろう。
しかし、あいにく、キースにそんな芸当は出来なかった。狩猟にも参加しなかったので、侯爵もキースがあまり運動を得意としていないことを知っているはずだ。
侯爵はもっと慎重なタイプかと思っていたが、案外、考えなしのようだ。
どいつもこいつも……セドリックが言ったように、キースには人を見る目が少々足りないかもしれない。
「僕が死んでも、エイムズは出て来ませんよ」
「どうかな。それに、他人を裏切る人間と取引などして、裏切られたら困る」
完全に焦燥して冷静さを欠いた眼は、キースの話など聞き入れない。
キースはじりじりと壁際まで追いつめられ、逃げ場を失くした。悲鳴を上げても外へは響かず、助けも期待出来ない。
ここまでか?
自らに向けられた刃の鈍い煌めきを見て、キースは自嘲の笑みを漏らした。
詐欺師に成り下がった自分には、相応しい最期かもしれない。友や家族を裏切って、贋作を描き続けたキースにはお似合いだ。
こんな最期が知られれば、ウィルに笑われるだろうか?
母の面影を残したキースと一緒に消えたいと言ったロックは嘆くだろうか?
無様に敗北するキースを見て、リズは鼻で笑うだろうか?
「これで、終わりだ。グレイヴ男爵」
ミシリ、と不吉な音が響く。
明らかに、自分の肉が裂ける音ではない。
キースは瞼を開けて、頭上を確認した。
すると、頑丈な天井から細かい土埃のようなものが落ちていた。目を凝らすと、石造りの天井にあり得ない亀裂が走っているではないか。
侯爵は気づいていないようだ。
程なくして、なにかを叩きつける鈍い音と共に、天井の亀裂が更に大きくなる。
そして、ついに崩落した。
「な、なんだ!?」
崩落した天井から逃れようと、侯爵がキースから離れるが、足を滑らせて着衣の裾を瓦礫の下敷きにされてしまった。
キースは驚いて顔を庇ったが、運良く大量の埃を被っただけだった。
「ほぉらぁ、ロビン。やっぱり、下から匂ってたのよぉ!」
どこかで聞いたことがある甘い声が響く。
瞼を開くと、崩落した天井の穴から、小さな妖精がキース目がけて飛んで来ていた。確か、メイと言う鋼鉄の妖精だったか。
彼女はキースの懐を見据えて、なにかを強請るような仕草を見せた。
「とっても甘い、お菓子の匂い!」
「お菓子……?」
懐を探り、おずおずと取り出す。
メイはお菓子――と称したロビン金貨を奪い取って、嬉しそうに笑顔を咲かせた。
「おい、なにしてる。詐欺師」
天井の上から呆れたような声が聞こえる。
わずかな灯りによって、それが仁王立ちする怪盗ロビンであると、ようやく気づいた。




