22.仮面の騎士
「いたぞ! 捕まえろ!」
「待て!」
静まり返っているはずの庭から、複数の叫び声が聞こえる。
それらを掻きわけるように、闇を切り裂く影。
青いマントをひるがえして、ロビンは疾風のごとく庭園を駆けていた。
「もぅっ、ロビンが予告状なんて子供っぽいもの出すから、面倒なのがウジャウジャいるじゃないのっ! これじゃあ、じっくりつまみ食いも出来なわっ!」
「うるっさいな。雑魚がいくら増えたって同じだよ」
目で促すと、メイが仕方なさそうにクルンと跳ねる。
鋼鉄の妖精はあっという間に剣の形に変身した。
ロビンは黒いマスクの下で微笑むと、メイの柄を取る。そして、目の前に現れた市警騎士の男が振りあげた刃を弾いた。
というより、薙ぎ払った。
「ぎゃぁっ」
「大した腕もないくせに、邪魔するんじゃない」
風を斬って唸る大刃。身の丈ほどもある大剣を振り回して、ロビンは得意げに走り去る。
やはり、自分にはチマチマと細っこい剣を扱うより、こちらの方が合っているのだ。剣術を教えてくれるセドリックには悪いが、向き不向きがある。
向かってくる市警騎士たちを、ロビンは間合いに入られる前に蹴散らした。
「グッド・イーブニング。そして、わざわざ挑戦状をありがとう、忌まわしき我が宿敵。このシャーロック・アボーンズが来たからには、君の命運もここまでだ! ――ちょ、待ちたまえ! 何故に無視をする! 素通りしないでくれたまえ。無視されるのが一番堪えるんだ! せめて、踏んで行きたまえ!」
薔薇の生垣を横切って走ると、変な馬鹿が騒いでいた。
棘にマントを引っ掛けては堪らないので、とりあえず、無視をする。
「メイ!」
叫ぶと、メイが大剣の姿を解き、屋根まで伸びる鉄の階段を作る。
ロビンは追手を撒くために階段に飛び乗り、一気に駆け上がった。
「そうはさせませんことよっ。シャーロックさまのいたいけな心を弄ぶなんて、羨ましいプレイをなさる盗賊は、このフロルが許しません!」
突如、目の前に妖精フロルが飛び込んでくる。
ロビンは邪魔者を払い除けようとしたが、異変に気づく。
背中でなびいていたマントが、後ろから強く引っ張られている。いや、なにかに引っ掛かったのだと思った。
肩越しに振り返ると、庭園から伸びた茨の蔦が、ロビンを捕えんと蛇のように押し寄せていた。
「くそッ」
メイが鋼鉄を操るように、フロルも花を出すだけでなく、操れるということか。今まで、シャーロックの隣で花びらを撒き散らして絶頂している姿しか見たことがなかったので、油断していた。
「うあっ」
足を絡め取られ、ロビンはそのままバランスを崩して庭へと落下する。彼女を縛ろうと伸びる茨の蔦が服に細かい傷をつけて裂いていく。
「エクセレントだ、フロル」
「いやぁっん、シャーロックさまに褒めて頂いて、フロルは、もうッ……あ、ぁッん。う、生まれてしまいますッ!」
身体から花を撒き散らしながら身体をくねらせて妄想妊娠(出産?)しているフロルの横で、シャーロックがビシッとポーズを決めた。
「このシャーロック・アボーンズを無視するから、こうなるのだ! さあ、盗賊君。卑しき顔を拝ませて頂こうか」
「怪盗って呼べ」
「ふむ。まだ強がっていられるのか。それでこそ、我が宿敵!」
茨に絡め取られて動けないロビンに、シャーロックが一歩ずつ近づく。メイがなんとかしようと姿を戻すが、茨が邪魔をした。
動けば、茨が服越しに白い肌に食い込んでいく。
ロビンはその痛みに顔を引きつらせながら、懸命に解こうとした。
いくらシャーロックが阿呆でも、マスクを取ったロビンの顔を見れば、リズだと気づかないはずがない。
ロビンは唇を噛みしめる。
「お待ちなさい!」
刹那、ロビンのマスクに触れようとしたシャーロックの手元を、なにかが横切る。
見ると、地面に鋭い短剣が突き刺さっていた。
「はっはっはっ。そこまでだ、その子から離れていただこうか」
驚いたシャーロックが後すさると、ロビンとの間に壁を作るように、何者かが地面に降り立つ。
「ふっふっふっ、こんなこともあろうかと思って、常にストーキングじゃなくて見守りながら衣装を用意しておいた甲斐があったよ」
軽やかに舞い降りた影は真紅のマントを揺らし、仮面の下で笑う。
両手に持った細い刀身のレイピアを構え、シャーロックに向ける。
「我が名は仮面の騎士。ここは任せて、お急ぎなさい」
いつの間にか、ロビンを縛りつけていた茨が細かく刻まれていた。
ロビンは自由になった身体を立ちあげて、仮面の騎士を見た。仮面の下で笑う夜色の瞳が得意げに細められる。
「オヤジ、なにやってんの?」
どう見ても、セドリックである。
ロビンはアッサリと言い放ち、年甲斐もなく頑張っている養父に、冷めた視線を向けた。
「なッ……パパって呼んでって、いつも言っ――じゃなくて、今はナイトさまって呼んでよ! 雰囲気出ないじゃないか! 今はロビンのピンチを助けに来たナイトさまなの! 仮面の騎士なの! わかった!?」
「わかんねぇよ!?」
一発で見破られたことに落胆しつつも、セドリックは必死で自分が仮面の騎士であることを訴えた。
これが本当に二十八歳の伯爵さまなのか疑いたくなる。っていうか、これが当主でいいのかバートン伯爵家。
いつもながら、物凄く面倒くさい養父である。
「とにかく、ここは私に任せてお行きなさい」
セドリック、ではなく、仮面の騎士がシャーロックに向き直る。
その背には隙など一切感じられず、熟練の剣士を思わせる張りつめた空気が降りていた。十代でリンディン市警騎士団長を拝命した元天才剣士とかいう経歴は本当らしい。
普段から、そのオーラをまとっていれば、もう少しかっこよく見えるのに、と思わなくもないが。
「じゃあ、任せたぞ。オヤジ」
「だから、パパ……じゃなくて、ナイトさまって呼んで!」
面倒くさい養父じゃなくて、仮面の騎士を置いて、ロビンはメイと共に走り去った。
「待ちたまえ、盗賊君! このシャーロック・アボーンズとの因縁の対決は、まだ終わっていないぞ!」
ロビンを追おうと、シャーロックは地を蹴る。
しかし、仮面の騎士がシャーロックの前に立ちはだかった。
「おっと、続きは私を倒してからにしてもらおうか。倒されてあげるつもりはないけれどね」
振るった二本の刃を、シャーロックは反射的に受け止める。
現在の市警騎士はお飾りの無能だと揶揄されるが、一応の技術はあるらしい。刃を押し戻されて、仮面の騎士は愉しげに表情を緩ませた。
「く……強い!」
「では、野外授業と行こうか。市警騎士団長殿」
月夜に響き渡る、剣技の音色。
セドリックにシャーロックを任せて、ロビンは礼拝堂に忍び込む。
月明かりに浮かぶステンドグラスの色合いが美しく、昼間とは全く違う雰囲気を醸し出していた。決して広くはないが、教会と比べても遜色ない立派な礼拝堂である。
ロビンは、入口の傍らに置いてあった燭台に燈を灯し、堂内を見渡す。
「ねぇ、あの詐欺師が探しても、なにもなかったんでしょう? 本当に、ここになにかあるのかしらぁ?」
メイが羽をせわしなく動かして、辺りを見回す。
ここは既にキースが探りを入れている。
だが、手がかりがあるとすれば、ここしかないのだ。
なにか見落としていないか、ロビンは入念に探索する。外でセドリックが市警騎士たちをひきつけているお陰で、邪魔はしばらく入らないだろう。
祭壇は当然、キースが探している。なにかが隠してありそうなところは、きっと、もう手がつけられているはずだ。それに、簡単に見つかる仕掛けならば、その前にドハーティ侯爵が見つけている。
なにかないか……リズは一つひとつ、整理して考えることにした。
自分が誰かに伝言を残す場合、どんな方法を取るだろう。
まず、絶対に他者に見つからない場所を選び、工夫を施す。
例えば、セドリックに伝言する場合なら、彼以外が出入りしない場所を選ぶ。
書斎に飾ってあるリズの肖像画の裏などが良いかもしれない。セドリックは、いつもアレを壁から外して変態的な眼でニヤニヤ眺めている。あそこなら、他の者に見つかることなく、セドリックだけに伝言が伝わるだろう。
その要領で考えれば、第一前提として、絶対に知られてはならないはずの侯爵邸になにかを隠すことがおかしいのではないか?
どうして、エイムズは、そんな真似をしたのだろう。
キースに伝えたければ、もっと場所があったはずだ。それなのに、敢えて侯爵邸を選んでいる。
すぐに見つけられても困るということか? しばらくの間は気づかれない工夫がしたかったのか。
そう考えれば、キースにとって見つけにくい場所に隠すメリットもある。
時間をかけて辿りつけば良いのだから。実際、キースはエイムズの思惑通りに、見つけるまでにたっぷり時間をかけている。
だとすれば、侯爵には絶対に見つからず、且つ、キースにだけわかる方法を取らなければならない。
「ねぇ、ロビンぅ。近くでちょっとだけ甘い匂いがするんだけど、探してきてもいい?」
「お前は黙れないのか、大食妖精。太って飛べなくなるぞ」
「ふ、太らないんだもんねっ! 最近、羽が重くなって疲れるとか、そんなことないんだからねっ! 関係ないもんっ!」
「思いっきり太ったせいじゃないのか?」
「う、うるさいわよぉ。いじわるぅ! ロビンもお菓子いっぱい食べて、太ればいいのよ!」
「いつも、そのお菓子を食べるのはお前だけだって――」
キースにしかわからない方法。
――礼拝堂の天井画も、エイムズ氏が?
――ああ、よくわかりましたな。
ロビンはハッと目を見開き、頭上を仰ぐ。
「メイ、照らしてくれ」
「だから、太ってなんかないってば!」
「わかったから、照らしてくれ。太ってないんだろ?」
薄っすら涙を浮かべるメイに灯りのついた燭台を投げ、天井を照らさせる。
仄暗い燈を受けて、アルヴィオン祖王の戴冠を描いた天井画が浮き上がった。




