20.画家ウィリアム・エイムズ
それは一種の見世物だった。
まんまる月夜が照らす庭を、リンディン市警騎士の面々が警備している。
その様をショーでも見るかのように、好奇に満ちた不躾な目で観賞する貴族たち。彼らにとって、ここで行われる盗人との攻防は、娯楽の一つでしかないのだ。
それをありありと感じ取って、キースは無表情を貼りつけた。
そして、部屋の中央でワイングラスを傾けるドハーティ侯爵を観察する。
邸宅に盗人が来るというのに、随分と余裕だ。北回廊の観賞者をすぐさま調査したときとは、打って変わった落ち着きようだった。
ここに盗みに入られても、なにも出ないと高をくくっているのか。まさか、無能な市警騎士団を当てにしているわけでもあるまい。
「どうして、我が邸を狙うのかはわかり兼ねますが、ここには、いくつか高価な品も置いていますからな。件の盗賊は義賊を名乗っておるらしいし、孤児院にでも寄付をしたと思えば痛くもないですよ」
密輸の事実が露見することは絶対にない。そう言っているようだった。
あまりに余裕な態度を見せるので、キースは逆に怪訝に思う。
普通は身に覚えがなくても、少しは慌てるはずだ。一番大事なものくらいは盗まれまいと、そばに置こうとしても良いではないか。
ロビンが狙うものがなにかハッキリとわかっており、その上で、絶対に見つからないと踏んでいるからこその態度だ。それとも、予告状を端から偽物と決めつけて、相手にしていないのか。
そのとき、廊下から騒がしい足音が聞こえた。
程なくして、市警騎士の一人が部屋に踏み込んでくる。
「侯爵、現れました! 盗賊です!」
怪盗って呼ばないと、殴られてしまうよ。
キースは冷静に心中で突っ込みつつ、侯爵の顔色を観察する。
侯爵は本当に来るとは思わなかったと言いたげに目を見開きつつも、「ああ、そうか。では、頼みますぞ」と穏やかに言った。
その報告を受けて、見物していた貴族たちが嬉々とした表情を見せる。
「せっかくですから、外で見物しましょうか」
「まあ、いい考えですわね」
「ご一緒させてください、伯爵」
誰かが言い出した。市警騎士団はいるが、重罪人が闊歩しているというのに悠長な。
およそ盗人が侵入する現場路は思えない雰囲気で、何人かが部屋から出て行ってしまう。
キースはそれを好機と思い、ドハーティ侯爵の傍らに立った。
「侯爵、少し見物に行きませんか?」
「おや、グレイヴ男爵も好きですな」
「ええ。このために、残ったようなものですから」
キースは人好きのする笑みを貼りつけて、巧みに侯爵を誘い出す。
「どうですか、礼拝堂など。あそこの装飾品は邸宅の中で最も金銀が使われており、華やかだ。盗賊に狙われてもおかしくありませんよ」
「ふむ。目の付けどころが良いですな、男爵。では、行きますか?」
侯爵はそう言って、恰幅の良い身体を揺らす。
礼拝堂へ行くと言っても、やはり、反応を示さない。
エイムズが残した「礼拝堂で待つ」というメッセージは、なんだったのだろう。
侯爵が所有する屋敷はまだあるが、エイムズが関わったのはここしかない。他の建物を指しては使わないだろう。
他に裏があるのか。それとも、キースに見落としがある? だとすれば、それはなんだ?
燭台の心もとない燈に照らされた回廊を進んで、キースは侯爵の背中を凝視する。
外では、現れた盗人を捕えようと、市警騎士団が騒いでいた。
夜会の空気は嫌いだ。
しかし、夜会の空気は思い出させる。
――ちょっとお兄さん、遊ばないかい?
エイムズ――ウィルとまともに会話をしたのは、たまたま訪れた夜会でのことだった。
学友連中に誘われたが、キースは安い服しか用意出来ずに壁の花を決め込んでいた。
そのときは事業も成功しておらず、知り合いの支援を受けて学校に通っていた。生活もギリギリで、とても夜遊びする余裕もない。
そんなキースに、突然声をかけた美女がいた。
毒々しいくらい鮮やかな紅いドレスをヒラヒラと揺らして笑う美女が誰なのか、キースにはわからなかった。
ただ、すごいのに絡まれている気がする、ということだけは感じていた。好みではないが、興味は持てる。
「どちらのご令嬢ですか?」
「爵位はないよ。絵を売って暮らしてる」
画家にしては、羽振りが良すぎる。しかも、女だ。
同じように絵を描いているキースとは、天と地ほどの差があると思った。
その美女が今をときめく画家ウィリアム・エイムズで、れっきとした男だと知ったのは、ワルツを二曲踊ったあとのことだった。
「騙されただろ? いやあ、ウケるわ。そういう顔見るのが趣味でねぇ。別に、普段から女装癖があるわけじゃないよ? ああ、その顔だよ。その顔、本当に傑作だな。ちょっと、一枚モデルになってくれないか? お兄さん、綺麗な顔してるし」
正体を明かし、純粋に笑うウィルを見ていると不思議と悪い気はしなかった。むしろ、騙された事実を一緒に面白がる自分がいることに驚いたものだ。
それから程なくして、キースは彼と交友するようになっていった。
「昔は、女顔だってだけで落ち込んだんだけどさぁ。なんか、絵を商売にしはじめてから、変わったって言うの? 俺、可愛いだろう? 割と面白い存在だと思うね。自分で言うのもアレだが。因みに、キース君は記念すべき十八人目の犠牲者です。おめでとう!」
「おめでたくないな。でも、まあ、確かに。夜会では派手に遊ぶ女装画家が、昼間はボロ一丁でホームレスの振りをして人間観察しているなんて、面白いかもね。しかも、よく喋る」
夜会では美女に成りすまして男を騙して遊び歩き、昼間は石畳の上に丸まって道行く人々の様子を一日中観察し続ける。
その変人じみた行動に、最初は興味を持った。
何度か飲みに行くうちに、親友と呼んでも差し支えない付き合いになっていた。
「なんだ。つまり、あれですか。その妖精琥珀が絵の過去を見せるせいで、製作過程まで全て把握出来る、と。それで、キースの絵は誰かの猿真似になりやすいわけだ。ああ、道理で、どれもどこかで見たような絵になってるわけだ。なるほどねぇ。難儀なこった」
「驚かないのか?」
「引いてほしかった? むしろ、俺は宝石の代わりになるくらい綺麗な眼ってのに、興味があるかな。そういうことも出来るなんて、初めて知ったよ。ちょっと見せてくれよ。あと、一枚描かせてほしいな。うーん、この金眼は、何色を混ぜて表現しようか」
「君は何枚、僕の絵を描けば気が済むんだ」
「気が済むまで描かせてくれるのかい? そりゃあ、嬉しい」
右眼について知ったときも、ウィルは純粋にそう言うだけだった。
今まで、誰に喋っても好奇の目で見られたり、気味悪がられたりしていただけに、拍子抜けの感すらあった。
「もう少しまとまった金が溜まったら湖水地方に家を買いたいねぇ。湖の見えるのどかな田舎で、のんびりと絵筆を走らせるのも悪くない。キースも招待してやるよ。良い場所、見つけてあるんだ」
「貴族からお声のかかる人気画家が田舎に引っ込んだら、騒ぐ輩がいそうだ」
「まあ、その辺は上手くやるさ。ほら、画家はインスピレーションが第一だろう? 俺だって、心の養生したいわけ。都会暮らしで、病んじゃってるんダヨ。そうだ。君が俺の別荘の管理をしてくれよ。それで、好きなときにお邪魔するからさ」
「病んだ人間が、そんなにペラペラは喋らないと思うよ。それに、なんだ。君は僕が隠居すべきだと言うのかい? そうなら、こちらも考えないでもないが、君がリンディンでフラッと飲みたくなったときに、家を温めて安い酒を用意してやる役目は、いったい誰がやるんだい?」
「すまん、キース。君はここにいてくれ」
「わかったら、よろしい」
思い出は美しい。
でも、記憶は美しいばかりではない。




