19.予告状
侯爵邸が騒がしくなったのは、しばらく経ってからだった。
いつの間にか、エントランスに張り出されていた謎の予告状。その文面を見て、客人たちは好奇に目を輝かせていた。
今夜、盗みに入ります。
怪盗ロビン
短すぎる。
なにを盗むのか、どうして盗むのかも書かれていない簡素すぎる予告状だった。
悪戯だろうか? しかし、添えられていた金貨は、間違いなくロビンと名乗る盗人が撒いているものと同じだ。
使用人や客もおり、誰にも見られずに予告状を貼り出すことも、容易に出来るわけではない。
その騒ぎを眺めて、キースは頭を抱えたくなった。
――狙った獲物は必ず盗む。横取りしたかったら、正々堂々と勝負しな。
と言われたものの、まさか、こんな形で「正々堂々と勝負を挑まれる」とは思っていなかった。
セドリックが言っていた「面倒くさい」とは、こういうことか。キースは今更、リズに手をつけたことを後悔しはじめた。
身を隠す元王族のお嬢さまだ。もう少し慎重な性分だと思っていたが、意外と大胆な直情型らしい。単純馬鹿とも言えるが。
侯爵が隠している裏金がどこにあるのかもわからないのに、よく予告状など出せたものだ。しかも、まだ侯爵邸の客が全員帰らぬうちに、目立つようにだ。これでは、宣伝しているようなものではないか。
逆にこれでキースの動きが封じられてしまった気がした。むしろ、そのための予告状なのだろう。
頭が悪い行動に見えるが、キースを打ち負かすこと一点を考えると悪くもない。
しかし、チャンスでもあった。
ロビンが盗みに入るとすれば、侯爵は裏金の安否に気が向かうはずだ。侯爵は我が身を守ろうと動きを見せるかもしれない。
それに、ロビンが動くということが大々的に知られれば、どこかに隠れているエイムズも反応を見せるかもしれない。
ウィル……。
生きていてくれ。
一年前に絵を送ってきたときに気づいていれば、もっと対処出来たかもしれない。
彼は気づいていたのだろう。秘密を握って、侯爵に消されるかもしれないということを。だから、その場でキースを巻きこまずに身を隠す真似をした。
キースにヒントだけを残して。
何故、彼は隠れたままなのか。
それとも、――。
証拠を持っているなら、然るべき場所へ出るべきだ。
エイムズは正義感が強くて、不正を許す人間ではない。王族や教会が絡んだ密輸なので裁判所には持ち込んでも揉み消されるだろうが、新聞屋などに情報を売ることは出来る。
命が惜しくて逃げ回るタイプの人間ではないはずだ。
けれども、未だにエイムズはずっと沈黙したままだった。
半ば、諦めなければならないと思っていた。
しかし、信じていたかった。
「これは、あの姑息な盗賊の挑戦状に違いありません! このシャーロック・アボーンズが受けて立ちましょう。あの盗賊と私は宿命という名の因果で結ばれた敵同士。きっと、決着を望んでいるのです!」
「きゃぁん、シャーロックさま! 痺れすぎて、フロルは……フロルはッ……もうっぁッ!」
無意味に花吹雪を散らしながら、シャーロックが決めポーズをしている。
それを取り巻いて、残っていた客人たちがのんきに拍手をしていた。本当に貴族のボンクラどもの集まりである。
「これは心強い。頼みますぞ、アボーンズ子爵……しかし、わしには盗賊に入られる理由が見当たりませんな。いったい、なにを狙っているのやら」
当の侯爵は涼しい顔で口ひげに触れていた。今夜、盗みを予告されたというのに、余裕である。
絶対に見つからないという自信があるのか。
だとすれば、裏金の隠し場所は邸宅の中ではない……?
キースは侯爵の様子をうかがいつつ、客たちの中に紛れる。
どうやら、集まった貴族たちは「世間を賑わす盗人の逮捕劇」を見物するつもりでいるらしい。悪趣味だが、ちょうどいいので、そこに便乗させてもらおう。
「このシャーロック・アボーンズに全てお任せください! 必ずや、憎き盗賊を捕えてみせましょう!」
「よろしく頼みますぞ」
さて、どうするか。
キースは突きつけられた勝負を煩わしく思いながらも、一方で、愉しんでいる自分がいることに気づいた。
こういう趣向は嫌いではない。
流れるようなストロベリーブロンドの下に浮かぶ翠の瞳を思い出し、かすかに唇を綻ばせた。
屋敷に帰るなり、リズは地下室に隠していたロビンの衣装を引っ張り出した。
「まったく、リズは負けず嫌いだね」
「うるさいなぁ、負けて喜ぶ趣味がないだけだよ」
「それを負けず嫌いって言うんじゃないのかな?」
セドリックが壁にもたれて、クスクスと笑っている。
リズは少しばつが悪くなって口を曲げるが、行動を曲げるつもりはなかった。セドリックだって、本気で止める気も、諌める気もない。いつもと同じだ。
「だいたい、なんで予告状なのさ。今まで、一回も出したことなかったのに。偽物説も出ていたよ」
「正々堂々と真剣勝負だからな」
「アボーンズ子爵と?」
「んなわけあるかっ! あの詐欺師だよ!」
反論すると、セドリックは「だよねー」と言いたげに笑った。
そう思っているのなら、最初から言わないでほしい。
「しかし、真剣勝負ね……どうして、そうなっちゃうのかな。平和的じゃないな。パパはそんな風に育てた覚えはないし、エドワードは大人しくて人畜無害の天然ボケだったのに、どうやったら、その発想に行きついてしまうのか謎だよ」
そう言えば、リズを十歳まで引き取っていた元使用人の養母も、「旦那さまはあんなに大人しくて物静かな方だったのに、どうして、こんなにお転婆に育ったのかしら。しかも、ボスだなんて……」といつも漏らしていたような。
だが、こうも付け加えていた。「でも、よく考えたら奥方さまが、いつも旦那さまを振り回していらっしゃったのよね。破天荒で型破りで……きっと、あなたは奥方さまに似てしまわれたのね」と。
「まあ、ピンチになったら、いつでもパパに頼りなさい!」
「勝手に言ってろ」
セドリックは一人で胸を張る。
――『微笑』を描きかえたのは、ランカ自身です。
今でも、頭にこびりついて離れない迷い。
そんなはずはない。
父がそんなことをするはずがないのだ。しかし……。
その迷いを、キースにぶつけようとしている。
意味がないことだと、わかっているのに。




